日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

龍岡城の巻 日本で二つだけの西洋式城郭、佐久の五稜郭

2015-07-29 14:34:37 | 長野
信州・佐久の五稜郭、龍岡城を訪ねました。私は小学校時代を函館で過ごし、五稜郭はきわめて身近な存在です。函館五稜郭と同様の西洋式城郭の五稜郭が佐久にもあると知り、是非一度訪問したいと思っていました。

龍岡城駅に到着。無人駅です。鉄道を利用してあちこちの城をまわっていますが、城の名前と同一の駅名は全国でも珍しいのでは。





龍岡城駅から龍岡城跡までは徒歩で20分ほどです。大手門の手前に城跡碑と部分的な石垣があります。ここの石垣は後世の物という気がします。


曹洞宗の寺院、蕃松院



佐久市歴史の里であいの館



であいの館の内部。龍岡城は函館五稜郭と同様に五角形、西洋式の星形城郭です。

龍岡城の大手門。龍岡城は幕末期に三河の大給(おおぎゅう)松平の藩主、松平乗謨(のりかた)が西洋式築城術に興味を持ち、函館五稜郭を築いた武田斐三郎の影響を受けて、佐久に西洋式城郭を築いたものです。工事は1864年(元治元年)に開始されたが、幕末風雲急な時に乗謨も幕政に関与し多忙を極め、建物は完成したが堀は未完のまま1867年(慶応3年)に工事は中止され、明治初期に廃城となりました。五角形の城郭のうち大手門側の濠の五分の三は完成したが、裏側は土塁です。

松平乗謨改め大給恒の像。大給恒は明治期には赤十字社運動に活躍しました。

北側の大手門付近の濠。幅は9mほどです。

大手門の内側

大手門近くの田口招魂社

五稜郭内の田口小学校




御台所。当時の建物のようです。

土塁外側の小学校プール


西側の黒門。現在は小学校の通学路となっています。黒門から南側の濠は未完成で土塁のままです。






東側の通用門

小学校の体育館のようです。

北側の大手門付近の石垣はきれいな切込みはぎですが、南側の濠の外淵は野面積みです。
龍岡城は幕末に蝦夷地防衛のために築城された函館五稜郭とは異なり、城郭というより藩主の居館です。周囲の濠は平均で7mくらいですから、防衛というより防犯という程度の意味合いです。
私は函館時代に小学校で函館の五稜郭が日本で唯一の西洋式城郭だと教わりました。佐久にも五稜郭があるとすると、五稜郭は普通名詞なんでしょうか。
函館にはあまり知られてはいませんが、四稜郭もあります。こちらは五稜郭ほど本格的な城郭ではなく、濠のない四角形の土塁です。箱館戦争の際に旧幕府軍が五稜郭の出城として築いた砦です。

龍岡城駅に戻ってきました。






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