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上越線の各駅停車で長岡駅にやってきました。
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長岡といえば花火があまりにも有名。三尺玉打上げ筒のモニュメントです。私は30年ほど前に三尺玉の花火を見ました。本当に巨大な花火でしたが、重過ぎて空高くは上がらなかったと記憶しています。
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花火筒の後ろに長岡城本丸跡の碑。知ってはいましたが、長岡城は戊辰戦争で全焼、その後は上越線敷設に際して本丸跡に長岡駅が建設されたために遺構はまったく残っていません。これほど見事に残っていない事例は稀有ではないかと思います。
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シティホールプラザ・アオーレ長岡です。市役所、市議会、スポーツ・コミュニティの複合施設です。
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アオーレ長岡の脇に長岡城址碑と二の丸跡の碑があります。
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城内稲荷神社
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長岡戦災資料館。長岡は終戦直前の7月20日と8月1日に空襲を受けました。20日の空襲は超大型爆弾が投下されました。これは模擬原子爆弾だったそうです。8月1日はB29の大編隊が来襲、市内は焼け野原となりました。
不思議に思ったのはなぜ長岡が米軍に狙われたかということです。館内の展示では「米軍は人口の多い都市の順に爆撃をした。新潟市が原子爆弾投下の候補地にリストアップされていたために通常爆弾の標的からは除外され、県内第2の市・長岡が空襲を受けた」と説明されていました。
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河井継之助記念館。司馬遼太郎の「峠」で描かれた戊辰戦争時の長岡藩家老です。
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テレビドラマ「駆け抜けた蒼龍」のポスター。河井継之助を演じたのは中村勘三郎、2005年日本テレビで放映。歴史ドラマ好きの私ですが、見逃したようです。
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長岡藩が購入し、河井継之助も扱ったというガトリング砲のレプリカ。6つの銃身が回転しながら銃弾を装填し発射します。なんと1分間に200~300発の弾を発射するという高性能です。南北戦争で登場した新兵器ですが、カタログ性能ほどのことはなかった。そもそも機構が複雑過ぎます。ガトリング砲は西南戦争でも日清戦争でも活躍することなく、単銃身の機関銃が主流となっていきました。ガトリング砲が再び注目されるようになったのは第二次世界大戦後、ジェット戦闘機の時代となりバルカン砲としてその技術は復活しました。
数ヶ月前に「アメリカン・スナイパー」という映画を見ましたが、現代戦でも狙撃銃というのは大変威力を発揮するようです。下手な鉄砲数射ちゃ当たるではなく、一発必中の狙撃は戦場を支配するようです。ということでガトリング砲は命中精度も低く、射程距離も短く、接近戦で弾幕を張るという効果はありましたが、費用対効果は低く、結局は高すぎた買い物だったと思われます。
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「常在戦場」は長岡藩の藩風・藩訓。三河以来の徳川家臣団、長岡藩の初代藩主・牧野氏の家訓だそうです。衆議院の解散風が吹き始めるとよく耳にする言葉ですが。
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長岡城の模型
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続いて山本五十六記念館です。
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山本五十六の都内の自宅庭に植えられていた唐楓の木。
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館内の展示。中央にあるのは山本が搭乗して墜落死した一式陸上攻撃機の実機の左翼です。
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真珠湾攻撃と日本降伏を伝えるアメリカの新聞報道
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山本公園。山本五十六生誕の地です。
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山本五十六の生家
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山本五十六の碑
長岡が生んだ人材というと河井継之助と山本五十六ですが、もう一人忘れてならないのは田中角栄。長岡市は柏崎市などと共に旧新潟3区(中選挙区)だったので、田中角栄のイメージが強いです。しかし田中角栄は二田村(のちの西山町、現在の柏崎市)の出身です。田中の支持団体・越山会の本部は長岡市の越後交通本社内あったために、長岡は田中にとってきわめて重要な地盤でした。ちなみに田中角栄の像は浦佐駅前にあります。
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アオーレ長岡に戻ってきました。
この建物の建築デザインは隈研吾です。実は私、隈研吾の建築物が長岡にあることを知らずに長岡にやってきました。建物を見て、総合案内の人に設計者は誰かを質問したところ、隈研吾と教えてくれました。
私は都内や栃木県など隈研吾の建築はけっこう見ています。長崎の美術館の設計も隈研吾でした。私は隈研吾ファンであると自負しています。東京周辺にある建築は調べて積極的に見にいきますが、新潟県は調査不足で、知りませんでした。長岡で隈研吾の建築を見ることができたのはラッキーでした。アオーレ長岡は「会おうね」という意味の長岡弁「会おうれ」から名付けられました。
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この場所は長岡城の二の丸跡で、明治以降は新潟の石油会社・宝田石油の本社所在地でした。新潟はかつては日本有数の産油県で、長岡近くにも油田がありました。その油田を開発したのが宝田石油です。宝田石油はその後、同じ新潟県の石油会社・日本石油と合併し、現在のJX日鉱日石に至っています。山田又七はその宝田石油の創業者です。日本の石油会社のルーツを発見しました。ついでにいうと新潟の有名企業・新潟鉄工所は日本石油から派生した総合機械メーカーです。
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