日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

諏訪上原城の巻 武田信玄に滅ぼされた諏訪頼重の山城

2015-03-20 19:04:54 | 長野

先日訪ねた新府城に続いて中央線沿線の古城、武田信玄に滅ぼされた諏訪頼重の山城、上原城を訪ねました。茅野駅で下車。茅野駅は茅野市民館、茅野市美術館に直結、モダンな建物です。

駅から上原城の入り口までは約1km。ここから上原城までは約2km、上原城は永明寺山の山腹に位置しています。

千鹿頭神社

上原城への道は永明寺山遊歩道として整備されています。

所々に石垣があります。

山の斜面はきのこ山となっていて立入禁止です。


永明寺山遊歩道の1km地点

崖下は墓地です。

陽の当たらない部分は雪道でした。融けた雪が凍結し滑りやすく非常に歩きにくい。ノーマルタイヤの車だと無理ですね。車も歩行者も私以外はゼロでした。

上原城の入口に着きました。上原城は永明寺山の山腹のコブ状の山・金毘羅山にあります。

上原城跡案内図

上原城址の石碑




主郭下の帯郭の石仏

井戸

金比羅神社の鳥居。上原城の三の郭です。

金比羅神社は四国・讃岐の金比羅権現が分祀されたものです。


神社の下、諏訪盆地側は断崖絶壁です。


上原城址碑



二の郭の物見石。高さ5m以上の巨石


標高978mの主郭跡。主郭は広くはありません。上原城は小規模な山城です。金毘羅神社のある諏訪盆地側は断崖絶壁ですが、永明寺山の中腹にあるため永明寺山側は守りが弱い印象です。






上原城は室町時代後期に諏訪氏によって築城され、天正11年(1542年)諏訪氏五代目の諏訪頼重の時に武田信玄に攻められ落城しました。諏訪頼重の娘は信玄の側室となり、武田勝頼の母・諏訪御料人として知られています。豊臣秀吉・淀君・秀頼の物語と似ていますね。

上原城を下って城山の麓の頼岳寺へ向いました。



頼岳寺山門



頼岳寺本堂

本堂の裏手に諏訪一族の霊廟があります。


諏訪氏は頼重滅亡後、江戸時代に別の系統の諏訪頼水が高島藩初代藩主となり再興しました。この霊廟の中央に頼水の父・頼忠(頼重の従兄弟)、右に頼水夫人、左に頼水自身が祀られています。


頼岳寺の裏山、板垣平に諏訪氏の居館がありました。

帰路に穴山駅で途中下車

以前から中央線でここを通るたびに、穴山駅のホームのこの案内板は気になっていました。穴山といえば武田を裏切って徳川家康と内通した穴山梅雪です。穴山氏の発祥の地だそうです。

駅の正面にある能見城。能見城が穴山氏ゆかりの城です。






かなり期待はずれの本丸跡です。

能見城跡の碑の隣には守屋一族発祥の地の碑。守屋一族について説明はありません。穴山氏とはどういう関係なのか不明です。この碑は守屋一族の末裔が建てたものです。

穴山氏の墓や居館跡もあるようですが、城跡がやや残念なものだったし、時間もないのでパスしました。穴山氏はともかく、諏訪氏の歴史探訪は有意義でした。