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モデラーズミーティング イン熊本 2019


ようこそ趣味人( シュミット )のブログへ!
あなたのご訪問をお待ちしていました!






「先生がお持ちのZIPPOライター、拝見出来ますか?」

何の躊躇も無く手に取らせて頂いた、ジーンズのポケットも突き破ろうかという重さのアーマード仕様だった。

入手の経緯やチャンバーの開閉音の心地好さを、よくぞ聞いてくれましたとばかり語って頂いた。
私も十年ほど前までたばこを嗜んでいたので、コレクションしていたジッポーライターを、機会が有れば愛煙家にお手渡ししてきた。

モデミ熊2019の前夜祭の宴席で先生がこのライターでたばこに火を点けているのを見て、明けて本ちゃんの作品展会場で一段落した合間に、初来熊のお土産のひとつとして受け取って頂いた。

「たばこをお止めになったら、返して下さいね!(笑)」と振ったら、
「止めんでしょうね。たばこが元での病気より、他の病気になりそうで。酒とたばこは付きもんですわ!」
神経をすり減らすクリエーターという仕事柄、精神安定剤的なものとして切っても切れない物かも知れない。

長寿記録で有名になった鹿児島の泉重千代さんにしても、105歳(120歳説は疑問視され、ギネス記録から抹消)で天寿を全うされるまで焼酎とたばこはやめなかったというから、ストレスを溜めるとこなくこれからも益々のご活躍を期待したいものだ。



トークショーで使われたスライドに映し出された名言(迷言?)で、往年のモデラーなら誰もが耳目にした言葉であろう。

と言いながら、先生本人はストレートフロムボックス的な作り方より、キットの素性を活かしたピンポイントの改造やリベット打ちなど、メーカーのスケールダウンのニュアンスを殺さずに仕上げる事に「改造しちゃあかん」と当てはめているのであって、図面(これもソリッドモデラー曰く信用に値しないと)と比較して寸法がどうのこうのというこだわりより、如何にカッコいい塗装とスタイルに仕上げるかに腐心していると語られた。
模型誌で発表される作例に対して良くも悪しくも色んな意見を貰うが、話題に上ること自体が一番いい事であって、それがきっかけとなり、キットをはじめ模型関連の書籍・塗料などなど買ってもらい業界が潤えば御の字と。

「色が違うとか形が違うとか散々言われても、俺がかっこいいと思ってんだから文句言わせねぇ。その手の輩がオレが言う事聞かないの最近解ってきたようで、だんだん減ってきたよ!」

と、豪放磊落に笑い飛ばしながら酒を呑んでいる松本州平氏自体を、誰が何と言おうと改造しちゃあかん(やれるもんならやってみな的な!)ブレない存在なのである。




作品展から帰宅して梱包を解くのも煩わしく、サインを頂いた最新号のSA誌に載った氏の作例のページを開き、独り悦に入る。
一瞬たばこが欲しくなった。

そのSA誌の38ページ、56/67番目の質問の答えに「おしり。これはブレない。」とあったので、巻頭のバニーガールのお尻にも書いてと冷やかすと、「汚しちゃあかん!」と、一本取られた。




トークショーなのかカブちゃんとの掛け合い漫才なのか、いい雰囲気の笑いの絶えないひと時でした。松本州平氏とまだフサフサの相方カブちゃん。←何としてもゲーハーに引きずり込もうという、嫉妬心の練り込まれた画像と紹介文。むしっちゃあかん!


 



1/32 ドイツ機2点 SA誌掲載の作例





特集号/手掛けられた絵本/ムック




撤収時、寄ってたかって梱包の様子をバシバシ撮られ、汗びっしょりになりながら詰め込むシャイな髭のおいちゃん。
トークショーでカブちゃんが散々いじってそれに輪をかけて反撃して、何を話されたかあんまり覚えていないほど笑かしてもらったんだから、独りにしてあげよーよ!っておまえも撮っとるやんか!





前夜祭で参加者全員の自己紹介の時間を設けていただき、「先生のひとつ年下ですが、頭は既に追いついています!」と言うや否や、お気に入りの帽子をペロッと取って、ピカピカ攻撃を食らってしもうたよ。

作品展もお開きが迫る中、代わる代わる気さくに記念撮影に応じて頂き、フラッシュライトを撥ね返す恐れがあったので、髭のオッサン二人とも着帽のまま撮ってもらいますたっ!

おまけ↓




Twitter仲間のしうしうちゃんは、お気に入りの覆面?をつけて写真に収まるしうせいが抜けません。それも許しちゃる心の広いしうへい氏。

作品展の模様は次回!って、タイトルそっちのけで、これ何のレポート?


今回はこのへんで!ごきげんよう(^-^)v

愛あるあなたのピンポンダッシュ

↓決めてちょれい↓




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母と私とプラモデル

母の初七日を迎え、ようやく一段落はしましたが、まだ実感としては薄っすらとしか受け止めてられていない心境です。
火葬場で悲痛の思いの点火ボタンを押す喪主の役目も、金輪際にしてもらいたいものです。

父が他界したのは、私の息子が生まれた昭和60年(1985)の、年も越そうかという師走の押し詰まった29日の慌ただしい中でした。

あれから34年………。時を隔てながらも同じく、雷鳴轟く遣らずの雨に見舞われた中に執り行われた葬儀に、参列して頂いた縁者の方々の弔問に、母の人間の巾を垣間見た思いでした。

母が30才で産んだ私は61になり、母は91の齢を重ね、晩年は痴ほうは進みましたが、我が子の名前はちゃんと覚えていてくれました。
デイケア、ショートステイサービスを受けながら、私の二つ上の姉が身の回りの世話をしていましたが、最近では脚が弱くなり車椅子とベッドの上が生活の大半を占め、食も細り出しだんだんか弱くなってきていました。

ベッドの乗り降りで右脚のスネを擦過したキズに血腫ができ、その治療に毎日姉と二人で介助して通院し、その治療も終わろうとする中あらたに左脚に異変がみられ、掛かりつけの医院から大病院の紹介を受け、左脚全体に血の流れが滞っていることが検査で分かり、緊急手術を受ける事になりました。

高齢の身には体力的に手術を受けるリスクは高かったものの、最低限の身体への負担と高度な医療技術で血流は回復し、壊疽を回避することが出来ました。

術後の経過はおおむね良好で、執刀された医師もひとつの山は越えたようだとおっしゃってましたが、その小さく細く弱々しくなってしまった身体は、限界に達していたのでしょう。
潮が引く明け方に、致死性の心房細動により、静かに静かに息を引き取っていきました…………………













私と同じくらいの年廻りの皆さまには、お馴染みのサンダーバードのプラモデルです。
小学生の頃に流行ったゼンマイ仕掛けの動かして遊ぶプラモデルにはまって、この4号機も作ったそのひとつでした。

画像のキットは私が40代の頃に古物商からわざわざ母が買ってきたものです。
現在では店自体がなくなりましたが、子供相手の駄菓子から、懐かしいオモチャやプラモデルを歩道に溢れんばかりに積み上げた店の前に、店番のオヤジさんが丸椅子に腰掛けて、暇そうにしていたのを憶えています。

母の妹さんがその店の近所に住んでいて、母がしばしば訪ねては二、三日泊まって、夫を亡くした姉妹の親交を深めていました。

ある時叔母さんの家から戻り、さも自分も見つけた喜びに顔をほころばせ、これをお土産に手渡してくれたのが、このサンダーバード4号機のプラモデルです。
古物商のタヌキおやじにふっかけられたか、逆にまくし立てて値切って買ったのかは定かではありませんが、山と積まれた中から、マニアックなしかも小さい頃に作ったものを憶えていて偶然にも探し当てた、母の愛がこもったプラモデルです。

もったいなくて作れません。
お気に入りだけをストックした衣装ケースに保管しています。
何を差し置いても、私にとって一番の母の形見の品となりました。

仮通夜の親戚が集まって思い出話しに花が咲いた後、お線香の番を残し寝静まる中に、どんなに大人になろうともいつまでも子は子であるという、母の思いが蘇って来ました。

三途の川を4号機を蹴立てて渡っていることでしょう。
91年間、ご苦労様でした。ありがとう。
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母 逝く

今朝、母ソヨ子(91歳)が旅立ちました。

しばらく更新停止します。

落ち着きましたら再開します。
ご迷惑をおかけします。
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