イエスの涙/ JESUS CHRIST SUPERSTAR

2011-07-29 17:09:38 | Weblog

        2008年       2010年
       
 「この2千年間、クリスチャンたちは、私を神の立場に置いて、神聖を強調し、私の人間としての苦しみには殆ど関心を持って来なかった」        

「自らの意思に反して、十字架を見ると吐き気を催す修道女。その苦悩の中で、イエスが彼女に語りかけた。世界中に起こり始めた「十字架シンドローム」に秘められた究極の誤解、とは?
 日本人シスターと神父、そしてローマ教皇がヨーロッパと京都を舞台に織り成す、ダイナミックなサスペンス・ロマンは、「ダ・ヴィンチ・コード」よりもセンセーショナルなテーマを扱いながらも、一人ひとりの心に深く訴えかけてくる」 紹介文より
 
 「十字架に磔になることが父なる神の願いではなかったし、前もって計画されたものではなかった」
「マリアは無原罪ではなかった」
「救い主としてのイエスの心情や使命を理解できず、母として正しく支えられなかった罪あるマリア」

敬虔なクリスチャンからは反発を受けそうな内容にも思えますが、同時に、こういった解釈もあるな、と、、。この2冊とも、案外日本人の方が理解しやすいかな?と思いながら興味深く読みました。

読みながら頭に浮かんだのが映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」でした。
 
 詳しい内容は覚えてないので作品紹介を見ると、、
「聖書を題材に、イエス・キリストの最後の七日間を描いた、全編、音楽と歌曲のみで進行するオペラ型ロック・ミュージカル」
 当初、キリスト教徒などからは「聖書に忠実でない」「冒涜だ」など、かなり批判を受けたようです。(舞台初演は1971年)    

  マグダラのマリアがイエスに思慕の念を抱き、その心情を歌ったのがこれです。

                 1973年       

                   I don't know how to love him
                                    What to do how to move him
                                    I've been changed Yes really changed
                                    In these past few days when I've seen myself
                                    I seem like someone else


Andy Wahol/Just Like a Woman

2011-07-25 17:05:55 | Weblog

          1962           1965

    「僕について知りたければ、表面だけ見ればいいよ。裏側には何もないから」

NHK BSより
「2011年5月、クリスティーズで自画像が3840万ドル(31億円)で落札された」

兄 「何でスープ缶を描いたのか、と聞くと毎日家族で食べていたからだよ、と言ったよ。我が家の昼はいつもあのスープだったんだ。アンディーは特にトマトとチキンがお気に入りだった」

ピッツバーグのウォーホル美術舘で資料を調べると
 「スープ製品の資料リストがあり、ウォーホルは仕上げたものにチェックを入れていた。
 多量のスープ缶の写真があり、缶をつぶしたり重ねたり、様々な角度から撮影していた。

 写真の文字を正確に切り抜いていた。それを基に文字の型紙を作ったのです。

 文字の配置から見ると、「TOMATO」が他の文字のカーブと微妙に違う。多くの資料を検証し、結局キャンベル社が当時使用していた、封筒に印刷されている缶のデザインを使ったことが判明した」

ウォーホルは毎週教会に通っていた。
「スープ缶の蓋の部分は他の箇所より、より立体的に描いてある。これは宗教画にある、光の輪を意味するのでは」

カラー・キャンベル  
 「当時はベトナム戦争が。その時代の空気から、教会のステンドグラスから差し込む光を表しているのでは」 千住 博

                      「60年代はみんなが皆に興味を持った。
                       70年代はみんなが皆を捨てた。

                      60年代はごったがえしていた。
                      70年代は空、だった」      Wahol

                     
                                     camouflage Last Supper 1986(一部)             
                                     

  「迷彩は戦争のイメージ。晩餐は神。激しい対比
 迷彩模様で人々の顔だけ活かし、他の部分は迷彩柄で消している。絶妙な構成で、恐れおののく顔だけをクローズアップしている。この絵の人々が、こんなに恐怖に怯えた顔をしていたことは今日初めて知りました。ダヴィンチの描いた絵の持っている意味が、強烈に浮かび上がってきた気がする」 千住 博

 
            
    
              Edie Sedgwick                                       

 ボブ・ディランは65年頃、ウォホルのファクトリーを訪ねていたようです。
そこで会ったイーディ・セジウィックに触発されて「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」を書いた、と言う説がありますね(イーディとジョーン・バエズの事だ、という話もありますが)。
                           
She takes just like a woman                       彼女はいかにも女性のようにふるまう
She makes love just like a woman       いかにも女性のように愛し合う
And she aches just like a woman        そしていかにも女性のように苦しむ
But she breaks just like a little girl       でもまさしく、少女のように壊してしまう 

 


芸術ウソつかない/#9Dream

2011-07-22 17:23:36 | Weblog

       
                                   1972月刊誌表紙 横尾忠則                                       

  横尾忠則対談集を読んでいたら夢の話が出てきました。関連する話など抜粋してみました。

横尾:夢の中の自分が本性で、むしろ目が覚めてる時の自分は自意識に左右されている。
    夢は嘘をつかないから、自分を知るためのメディアだと考えたほうが面白い。

吉本ばなな:(神様って何だと思いますか?と聞かれ)
        強烈な力を感じることはあります。ガーンと強引に夢に入ってくる。それでいて清
        潔空間、無菌状態って感じなんです。 

     横尾:宇宙摂理とか原理とか、そういうものがこの世にいろんな形で現れている。森羅
         万象として。そういうものが神様だと思う。     

       テレパシーとか原始的なコミュニケーションの代行を、携帯電話とかコンピューター
      がしていて、そういう能力はますます退化していく。    

吉本:身体と心の関係についての小説に取り組んでいた。身体の方が先に分かっていること
    があるとか、記憶には身体の感覚もあるとか。   

横尾:体ほど正直なものはない。体に従うことは魂に従うこと。
    今の社会は心を優先している。心はなんぼでも嘘を尽くし、迷ってるし、優柔不断、その
    点、体は正直。

横尾美美:幽体離脱はしょっちゅう。二階から床を抜けて一階の玄関まで行ったりとか。

横尾:同じ夢を見たりすることもわりとあった。火事の夢を見てパッと目が覚めたら、美美が僕
    の部屋に入ってきて、「今、火事の夢を見た?」って。

 不思議な話が出てきますが、実は我が家にもそんな話がわりとあったのです、。
 Rが小学生の頃の夏休みでした。午前にTとの3人で近所に自転車で行ったのですが、ある河のそばでRが「この道を曲がると帽子を被った女の人が」と言ったのです。果たしてそのとうり、だったのですがいわゆる「予知夢」ですよね。私もいっとき夢日記というかメモをつけていたこともあるし、予知夢も体験しているので特に驚きはせず、「やっぱり」と思ったのでしたが、、。      

                          

 ジョン・レノンはどんな夢をみたのでしょうか。
「Ah bowakawa,posse posse」は夢に出てきた言葉で特に意味は無いそうですが、、。
 歌の中で「ジョン」とささやく声はメイ・パンなのですねえ(ヨーコだと思っていました)。
9というのは、ジョンにとって何らか意味ある数字のようで、”Revolution9”、"One after 909",などありますが、wikipediaなどによると、ジョンの母の家の番号が#9、エド・サリバン・ショーに出演したのが2月9日、この歌のトップ・チャートは9位!だそうです。誕生日は10月9日ですね。 

                                            So long ago 
                                            Was it in a dream? Was it just a dream? 

                                            Somebody call out my name as it started to rain
                                            Two spirits dancing so strange       


私は英国王に給仕した/ブリキの太鼓

2011-07-18 17:00:57 | Weblog

            

 先週眼鏡を新調して(遠近両用)手元の細かい字が見やすくなりました。 ipodの曲名が見えるのが嬉しいです!以前のは、遠近両用が初めてだったこともあって、作ってまもなく手元が見えにくくなってしまっていたのでしたが、これでデジカメを構えても画面が見えるので楽になりました。ホッ、。
 その眼鏡で最初に読んだのがチェコの作家フラベルの「私は英国王に給仕した」なのですが、これ18日間で一気に書き上げた、そうですね。
 「チェコの若者が、ホテルの給仕として転々としながら、ドイツ人女性と結婚。ナチスにより同輩が処刑されていくのを横目に、妻がユダヤ人から奪った高額な切手で大金を手にし、、、。おかしく、悲しい物語」

 チェコ独特?の空気、というか気配を感じながら、淡々と読み進んでいたのですが、最終章は次第に集中し、入り込んで読みました。主人公の精神障害を持った息子が、他の子はぬいぐるみなどで遊んでいるのに、関心を示せず、金槌と釘を手にした途端、床に釘を打ちつけ続ける、、という章を読んでる内に映画「ブリキの太鼓」を思い出していました。

                     1979年
      原作 ギュンター・グラス

 「街が急激にナチズムに染まり、ゆがんでいく人々の心。狂気が日常になっていくプロセスを永遠の3歳児オスカル(本人が自ら成長しないと決心し,3歳の時、階段から落ち成長が止まった)が目の当たりにする。激動のポーランドを舞台にオスカルがブリキの太鼓の連打に載せて語る」 映画紹介より抜粋

 見たのはかなり前なのですが、屈折した少年の心と、彼の目を通して見る街の光景、全編異様な空気の映画(秀作)、という印象でした。


Englishman in NewYork/めぐり逢えたら

2011-07-15 17:18:27 | Weblog

                     

 スティングの「Englishman in NewYork]を、丁寧に作っているなあ、と思いながら聞いていたら、突然昔歩いたニューヨークを思い出したのです。5番街を歩いたり、自由の女神はシーズンオフでボートで渡れず、遠くから写した、とか、。
 。そうだ、トム・ハンクス、メグ・ライアンの「めぐり逢えたら」にも出てくる摩天楼「エンパイアー・ステートビル」も行ったなあ(風が強かった!)、と。
 
「妻に先立たれた父親サム(トム・ハンクス)の為に、新しい奥さんを捜そうとラジオで訴える8歳の息子ジョナ。その放送を聴いたアニー(メグ・ライアン)はこの男性こそ自分にふさわしいと、、。ジョナは、アニーとサムがエンパイア・ステートビルで逢うことを約束したが、サムは耳を貸さない。ジョナは単身ニューヨークへ行き、エンパイア・ステートビルへ。何とかアニーとは逢えたが、サムは、、、、」
 なかなか楽しい映画でした。これや「ユー・ガッタ・メール」のメグ・ライアンは好きですね。

                             1993年

 懐かしくてアルバムを出してみました。当時買ったコダックの薄いカメラなのであまりクリアではありませんが、。
 3月のニューヨークは厳冬で、5分と歩いていられないくらいだったので、あわてて路上の店でニット・キャップを1ドルで買ったのでした。着ているコートは日本から持っていったヘッド製。(長めのPコートタイプ。当時日本では、まだPコートという名称はなかったかな?)
 * Rが小学生の冬、学校の制服の上に皆がダッフルやPコートを着てくるというので、これを着せたのでした!  

                                  自由の女神                                                                                             NewYork  1973-3

                         
        コダック・インスタマチック・カメラ        William Slone House YMCA 
                                  356 west 34th st. N.Y
        
YMCAに数泊したのですが、1日6ドルでした。カフェテリアでは、コーヒー15セント、ハンバーガー15セント、サンドイッチ85セントなど。朝食をとったのは覚えていますが、何を食べたかは、、、。

           「礼節が人を作ると言う。それなら彼こそまさにヒーローだ。
           無視されようが、微笑んで、 何を言われようと自分自身であれ。

           私はエイリアン、合法的異邦人、ニューヨークの英国紳士」

                           In manners makes man as someone said
                      Then he's the hero of the day
                      It takes a man to suffer ignorance and smile
                      Be yorself  no matter what they say

                        Oh,I'm an alien I'm a legal alien
                        I'm an Englishman in New York 


DYLAN/Love Minus Zero/No Limit

2011-07-12 17:18:45 | Weblog

  1965年 

 数週間前にipodで聞いてから(おそらく1年ぶりくらい?)何度かシャッフルで流れて、それ以来時折ですが、気がつくとこの曲が頭に流れているのです。集中して聞いてみると、メロディーライン、歌詞、と、やはりディランは凄い、天才だな、と(この曲に限りませんが)改めて感心してしまいましたね。
  
 このレコードを買った当初はジャケットの女性がサラ?と思ったのですが、実はマネージャー、グロスマンの奥様だったのですねえ。  このジャケットを解説した文を見ると

「デイランが開いている雑誌のページはジーン・ハーローのライフ・ストーリーの広告。
カフリンクスはジョーン・バエズからの贈り物。
 写っているLPレコードは、
 Impressions(Keep on pushing),Robert Johnson(King of the Delta Blues Singers),Ravi Shankar(India's Musician),Loretta Lenya(Sings Berlin Theatre ),Eric Von Schmidt(The Folk Blues of Schmidt)」

 と、書いてあります。そしてディランはE.V.シュミットのアルバムカバーのポーズを「ナッシュビル・スカイライン」で真似しているそうですよ。

                                    

久しぶりに「ディラン全詩集」(1974年3月発行)を本棚から出して、埃をはたき中をチェック。特に傷みはなかったのですが、全ページ、紙の周囲が黄ばんでいたのには時間の経過をイヤでも実感させられました!

                                 

 「この歌は後に結婚することになる、サラへ捧げる歌。
当初タイトルは、歌詞から取った「Dime Store」だった。
歌詞は「サラの禅のような静けさ(穏やかさ)を反映している」(以上Wikipediaより)。

She speaks silence,                               彼女は沈黙のように話す
without ideas or violence                 
理想も暴力も無しに
She doesn't have to say faithful                貞節を誓う必要もない

yet she's true,like ice,like fire                   そう、彼女はまこと、氷のように、火のように

She knows there's no success like failure,    失敗みたいな成功はないし
and that failure's nosuccess at all         
失敗は成功でないことを彼女は 知っている


JFK/ CHINATOWN

2011-07-09 17:50:20 | Weblog

                      1991年  

  映画「JFK」を見るのは3度目かな?久しぶりだったのでじっくり見たのですが、、思うのは、「やはり何かおかしい」。2039年に情報公開される、ということですがそれも果たしてどこまで明らかにされるのか、、。分かっているのは、アメリカの持つ深い闇、でしょうか、、。

 日米間の初の宇宙中継が、「ケネディー死亡」のニュースだった、というのも忘れられないですね。今は衛星中継と言うようですが、1963年11月23日に実験放送をする、ということで、ケネディーの挨拶も予定されていたのが、全てキャンセルとなり急遽、「ケネディー暗殺」を知らせる事になってしまったのでしたね。

                   1963年

 一説によるとケネディーは「UFOに関して何らかの情報開示をする予定だったので暗殺された」なんて話もありますが、そういえばカーター大統領も「U.F.Oを見たことがある」と公表し、後に「あれは金星の見間違い」と訂正したことがありましたよ(かえってあやしい、と思ったものですが)。
 カーターと言えば、私は、彼が大統領選(1976年)に立候補し全米を遊説していた年にL.Aにいたのですが、ある女教師が「~日にカーターがL.Aのダウンタウンで演説予定なので、見たい人は一緒に行きましょう」と呼びかけたのです。私も手をあげて、チャーターした?15人ほど乗れるミニバスで連れて行ってもらったのでした。
 カーターは立候補当初「ジミー・フー?」と呼ばれていたのが、L.Aに来る頃には一種のブームのような現象を起こしていたので、会場(野外)の熱気は想像以上で、拍手や歓声の大きさは何だか「自分もカーターに一票」(投票権はありませんが)なんて思わせるような空気に満ちていたのでした。

 そうだ、その会場にいる間、映画「チャイナタウン」を見て間もない事もあって、ボートを漕ぐシーンのエコー・パークはここから近いかな?など考えていたのを思い出しました。

ジャック・ニコルソンの出演作はそれまで殆ど見ていますが、これは彼の映画ではベスト・ワン、と当時は思ったくらい好きな映画でしたね。ジョン・ヒューストンが渋いです。

                
                           1974年                                           


観念的生活/ ENDE/MOMO

2011-07-06 17:21:07 | Weblog

     

 久しぶりに哲学。19、20歳頃には「哲学入門」の類や、「カント」などをけっこう一生懸命読んでいた時期もあったのですが、それ以来でしょうか?
すぐに閉じるかな、、と思いながら読み始めたのですが、段々と心地よいというか、けっこう楽しんで読み進めたのでした(面倒そうなページは早送りしたり、飛ばしたりですが)。
 「思索する生活」に少々うらやましさを覚えたりしながら、「時の流れ」の章に。

「多分、人間の言葉は、時間を語るのに適していないのだろう。
空間の長さなら正確に分かるが、時間の長さ、といった瞬間に得体の知れないものになる。
現象の経過、と言えば良く分かるが、時間の経過は皆目わからない。しかもわからないままに、とにかく何かを理解してしまうことが一番わからない」

これを読みながら、分かったような分からないような、、、、と、、ミヒャエル・エンデの「モモ」が頭に浮かんできました。エンデも好きな作家の一人です。
 RやTが小学生、中学生の頃に読むよう勧めたことがありますが、読んだのかな?映画「ネバー・エンディング・ストーリー」を皆で見たのは覚えているのですが、、、。

 「灰色の男たちにより、人間から時間が盗まれて行き、人々の心から余裕が無くなっていく。
しかし不思議な力を持つ少女モモが冒険の中で奪われた時間を取り戻す」

 読んだ当時は文字どうり、「時間(余裕)を失いつつある人々への注意を促す話」と思っていたのですが、後に「エンデ本人が訴えたかったのは、この「時間」は「お金」のことで、利子が利子を生む現代の経済システムへの疑問」と言うことでした。
 なるほど、時間をお金に置き換えると、分かり易いですね。そういえば「モモ」の映画もテレビで見たのですが、、もう数十年前だったかな?

                  


ナンサ/ もののけ姫

2011-07-03 12:31:39 | Weblog

    

  録画した「天空の草原のナンサ」を半分くらい見ようか、とスタートしたら結局最後まで見てしまいました(いつもならどこかで早送りしたりするのですが、)。
カメラの位置など、演出もあるはずですが殆どそれを感じさせず、草原の美しい映像と共にゆったりと観賞しました。
 家族、とりわけナンサの自然な演技?が見事でしたね。
自分の育った子供の頃の「家族」のありかたは、周りも含めてこんなだったよなあ、と少々感傷的になりながら見ていました。
 懐かしさと、、、見終わって暖かいものを感じながら、同時に若干複雑な、もう取り戻せないやるせなさ、と、、、でも、、、。風呂に入り、しばし。
 
 風呂から上がると「もののけ姫」が始まっていました。(初めて見ました)。ビールを飲みながらすんなり入って行けましたね。背景に屋久島の照葉樹林や白神山地をモデルにしている、と聞いていますが、映像が美しいですね。人間と自然、森と神々、今に通じる環境問題、など思いながら、後半少々気持ちが分散したりもしたのですが(最近はビール小缶のあとは軽く冷やした赤ワインを飲んでいますが、それで段々いい気持ちになってしまった、せいもあります)、見応えありました!