近所の本屋に雑誌を買いに行ったら、男性の声でゆったりとこの歌が。(この本屋の店内にはいつもこの種のボーカルが流れている)ジャズボーカルはあまり詳しくないので、「誰だろう?」と思いながら雑誌をめくっていたら、、オティス・レディングを思い出した!そう、オティスの歌うこの歌に浸っていた時期もありました。ビートルズ、ストーンズに入れ込んでいる頃、日曜の昼間(午前かも。横幅1メートル、高さ30センチ位のステレオ・セットで)の民放の番組でオティス・レディングの特集を聞いたのが彼との最初の出会いでした(それまでにも何度か聞いたことはありましたが)。「凄いな!!」とすぐにレコードを買って、以来R&Bにも関心を持ち始めたのですが、確かモンタレー・ポップ・フェスティバルでのライブをテレビで見たのが、映像としては初めてだったのでは、、。これもやはり「ぶっ飛んだ!」というのが正直な気持ち。ジミヘンの、ギターに火を付ける場面もありましたが、オティスのパフォーマンスには適いませんね。久しぶりに、少し酔って聞きたくなりました。
ケーブルTVで映画を見ていたら子供たちが野球をしている場面とそれを見ているピクニック気分の親子。緑の芝生、暖かな日差し、ホットドッグ、ハンバーグにコーラ、コーヒーの香り、L.Aにいた頃あちこちの公園で見た光景です。茶色の紙袋から何かを飲んでいるのはビールなどのアルコール(公共の場所でアルコール類を飲むのは法律違反)。一昨日車でカーペンターズのこの曲を聴いた時、たまたまL.Aを思い出したこともあって今日は何だか”Yesterday once more”の気分でいます。暖かい日差しが待ち遠しいです。
「ウォウオアー」といきなり頭の中で始まった!階段を下りながらジョンの歌声が力強く蘇ってきたのです。元気一杯で、熱気あふれる頃のビートルズは久しぶりです。アルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」では裏面に入っていた曲ですが、私個人としては大ヒットしたタイトル曲や「キャント・バイ・ミー・ラブ」よりも、むしろこの「家に帰れば」や「ユー・キャント・ドー・ザット」のほうが好きでしたね。今、本を見ると1964年の発売とあります。日本発売は翌年?映画「ヤー・ヤー・ヤー」を上野の映画館で見た記憶がありますが、当時はFEN(現AFN) を暇さえあれば聞いていて、ビートルズがしょっちゅうかかっていたのを覚えています。そうだ「ウルフマン・ジャック・ショウ」もありましたね!映画「アメリカン・グラフィティ」ではアイスクリームを食べながら出演していましたが、今、名物ディスク・ジョッキーと言える人はいるのでしょうか?
昨日からギルバート・オサリバンのこの歌を気が付くと口ずさんでいます。この曲を聴いたのは1972年辺り?アメリカへ行くためにアルバイトをしていた頃でいつもはロックを聞いていたのですが、時折この曲のような少し心を休ませる曲調のものも好きでしたね。レコードは買いませんでしたが、しょっちゅうラジオでかかっていたので”alone again ,naturally"のフレーズには何かジーンと来る、というか胸打つものがあり、聞くたびに静かな気持ちになったものでした。この曲がヒットしていたあの頃、バイト仲間と仕事を終えた後に短時間のドライブをしたことがあるのですが、何だか女の子と色々とあった頃で、ラジオのF.E.Nからこの曲が流れた時、助手席に座っていて、、そうだ、5人乗りに6人(助手席に2人)だった事を思い出しました。U.F.Oらしきものを見たのもこの頃でしたね!。
2,3日前からピンク・フロイドが頭の中に流れている。「狂気」を良く聞いていたのは’70年代半ばでしたか。彼らが箱根のロック・フェスに来たのは、その前、いや後でしたか?。友人と行ったのですが、メインのステージ以外にも数ヶ所にステージが設けられていましたね。ピンク・フロイドまで「フルーツガム・カンパニー」とかバフィ・セントメリー(いましたよね?)とかがやっていましたが、夕方になってようやくピンク・フロイド登場!まず音が違う、厚い!曲目など覚えていませんが「これが本場の音だ」なんて思ったのでした。しかし寒かった!その時一緒に行った友人は後にプロになり、ある人のバックバンドでギターを弾いていて、武道館に招待されて見に行った思い出があります。ギター・ソロが今でも目に浮かびます!
愛犬と近くの公園を散歩していて気が付くと「ダンス・ウイズ・ミー」と歌っていました。いつごろだったかなあ、と考えていると何だかステージを見たことがあるな、という気がして、。もしかしたらJ.ブラウンのコンサートの前座だった?1975年頃、L.Aの「シュライン・オーディトリアム」でのJ.Bのコンサートで見たような気億があります。
(記憶違いかも、、プレイヤーズだった?)はっきり覚えているのは、友人の一人(女性)が「小さい人がいる」とメンバーの一人を指さして、。そう、J.ブラウンが登場して歌い始めたのですが、どうにも歌声が聞きずらくて(我々は2階席)周辺の人たちもざわざわとして「P.A」と叫ぶ人もいました。やがて音も解決して何とか楽しめるコンサートになったのですが、バック・バンドがイマイチだったなあ、と(D・リンドレーは別として)思いました。特に「フォー・エブリマン」でのドラムスに力強さが無くて(レコードト通り、と言えばそうなのですが)ちょっと不満だったのでした。
図書館の帰り道、中学校の体育館あたりからピアノの音が、。何だかいい音だ。誰が弾いているのかな、と自転車をゆっくり走らせて耳を澄ましてみると、女性の声でこの歌が始まりました。ワリとゆっくりのテンポでしたが、プロでしょうか。自作のクリスマスCDにはジュデイー・コリンズが入っていて、12月には車や部屋で良く聞いたのですが、中学校から聞こえてくるとは想定外でした。そういえば最近ジュデイー・コリンズの名前を聞きませんが、。C.S.N&Yのステイーブン・スティルスが書いた「青い瞳のジュディー」は確かこのジュディー・コリンズのことでしたよね?S.スティルスはL.Aの空港ですれ違ったことがあります。もう25年ほど前のことですが、テンガロン・ハットを被り、ジーンズにブーツ、でしたが、正直ちょっと田舎のおっさん、ぽかった(失礼!)のでした。
天気予報を見ていたらバックにこの曲が流れていて、ビックリ。何で?(まあ何の意味もなく使っているのでしょうが、)。車に乗るとワリと良く聞く曲の一つですがこの所聞いてなかったので、しばらく頭の中で流れていました。それで思い出した事が。L・Aにいた頃、イーグルスのニューアルバムがまもなく出る、それに合わせてコンサートツアーが、とメディアに出ていて楽しみにしていたのですが、なかなかアルバム発売のニュース無く、それでもコンサートの予定が発表され、ともかくチケットを買ってアルバム発売を待っていたのです。結局ツアーには間に合わず、コンサートで初めてH・カルフォー二アを聞いた訳ですが、この曲は確か最初にシングルで出された曲で、いつも聞いていたFMラジオから「イーグルスの新曲」として流されたのが強く印象に残っています。レコード発売前だったのでもっと聞きたいと思い、当時聞いていたFMラジオ局に英語の勉強にもなる、と電話し"New Kid in town"をリクエストしたら、「それはウエスターン・ムービーか?」と聞かれ、「いや、イーグルスの新曲」と答えると「O・K伝える」という会話をしたのでしたが、。今思い出すとちょっと懐かしくも恥ずかしい思い出ですね。後で、この「ニューキッド」というのは「ホール&オーツ」のことだ、と聞いたの事がありますが、、。
テレヴィでこの映画の主人公トラップ家の話を見ていたら、楽しい話ばかりでは無く、実はわずか4ドルだけ持ってオーストリアからアメリカへ渡った(移住した)時代背景など、全く知らなかった話でした。1938年アメリカへ渡ってトラップ・ファミリー・シンガーズとして生計を立てる話、戦争中のF.B.I(ドイツのスパイの疑い)の捜査など、私がアメリカ留学中に聞いた日系人の体験したことを思い出しました、、。そう、この映画はロード・ショウ当時あまり関心がなかったのですが、友達に誘われて見に行ったのです。’66年頃でしたかね、銀座で待ち合わせし、ある喫茶店で軽くランチを取ってから映画館に行ったのです。歌も映像も期待以上だった記憶があります。VAN やJUN など所謂アイビーという言葉が新鮮だった時代です。
図書館に行き何気なく音楽の棚を見ていたら、ローリング・ストーンズが目に入った。「トーク・イズ・チープ」は以前ざっとですが、読んだことがありますね。「涙が流れるままに」をパラパラとめくっていたら”タイム・イズ・オン・マイ・サイド”が頭に流れてきました。’64の発売というから今から、、もう40年以上前? 絶句!です。確か映画「ローリング・ストーンズ」ではステージのこの歌にあわせて’60年代のテレヴィの映像が流されていましたね。この映画は’70年頃だったか、夏に見た記憶があります。そうあの頃、千駄ヶ谷にアイスクリームの「スウェンセン」がオープンして、車が止めやすい、という事もあって良く行きました。いつの間にか無くなってしまいましたが、、。
久しぶりにフリーの土曜、自転車に乗っていて気が付くとこの歌を声を出して歌っていました。ハーモニーが好きで車の中だと一緒に声を張り上げて(スティービー・ワンダーのパートを)歌うのですが、自転車ではやはり控えめにしました。それにしても連日暖かい冬ですが、「地球温暖化」心配ですね。皆、真剣に考えてほしいのですが、、。
We all know that people are the same wherever you go
There is good and bad in everyyone
We learn to live when we learn to give each other
What we need to survive
Together alive
先日、甥っ子とほぼ1年ぶりに原宿に行きました。昨年出来たPOLO に初めて入り、その後表参道ヒルズへ。あまり時間が無かったので1階と地下を歩いたのみですが、地下2階だったかな?疲れたので「お茶でも飲もう」とカフェを探そうとしたら、カウンターが見えて立ち止まり、よく見るとATMが右側にあり、、あれ?。入るとメニューがあり、見るとカウンターが4席ほど、奥に4人座れるソファが3席、4席?店員2人が白人で一瞬英語で、と迷ったら「こちらで」と日本語で言われともかく座りました(テーブルが高い!)。カフェ・オーレを飲みながら話しているとカウンターの2人がイタリア語でお喋りをしている。ごく普通の声の高さで!もし日本の店員なら「うるさいな!」と思うところでしたが、生のイタリア語が面白くて、しばらくその響きを楽しんだのでした。それで昔好きだったカンツォーネを思い出し、この歌、ジリオラがが浮かんできました。60年代の半ば頃と思うのですが、三越デパート(多分銀座)の屋上のステージで彼女を見た事があるのです、。ワンピースで、、可愛かった事を覚えています。カンツォーネと言う言葉も久しぶりに思い出したのでした。