ある男/ 影の部分

2013-01-27 13:44:10 | Weblog

 

        

 7つの短編だが、気がつくとどの主人公にも名前がない。権力を持つ者と支配される者、したたかに生きる女たち。時代に翻弄されながら望みを果たせず消えていく人たち。悲しく切なさもある物語だが、今の時代だからこその思いで書かれた物語だろうか、。いつもながら読み始めたら、一気に読んでしまったのです。

            
                2012

  1957年「ぼくの叔父さん」で初めて映画買い付けの現場に参加。1959年「勝手にしやがれ」を撮影中に世界で最初に買い付け、パリ公開の10日後、1960年3月、日本公開に。「太陽がいっぱい」「危険な関係」など数々の名作を日本に輸入した。     著者略歴より

             

 映画のバイヤーとしてのパリ時代と、戦前から戦後にかけての東京の少々上流家庭の生活ぶりを交互に配して語る構成の回想記?だがどちらも読み応えある話でしたね。語り口もフランス映画を思わせてくれました。
 J.タチの「ぼくの叔父さん」を初めて見たのは高校生のころかな?確か2本立ての映画館で見たと思うのですがほのぼの面白かったなあ、と思った記憶がありますが、今の時代ではどうだろう?


息の発見/白隠 軟酥の法

2013-01-13 09:29:22 | Weblog

 

                  
                 2008

 新しい年に、あらためて呼吸を意識しようと読んで見たのですが、白隠の話が紹介されていて、久しぶりに思いだしました。もう数十年前に何かの本で白隠の「軟酥の法」「内観の法」を知ったのですが、すっかり忘れていましたね。

「密教者は、最初は自分のなかで息をめぐらす。具体的には、丹田からはじまって背中にまわし、後頭部から額におさめる。そこから鼻を伝って胸をとうってまた丹田に戻る。
最初は体の中だけでめぐらせ、それをだんだん巨大化していく。まず自分が球形のなかにいるとイメージする。めぐる息はその球形のものの中にいるとイメージする。めぐる息は」しの球形の内側をまわっていくのですが、その球形がだんだん地球大、宇宙大にまで拡がっていく。というふうに考えるんです」

「長生きは長息」

「お経の意味はわからないほうがいい。純粋に音として扱うほうが。歌の場合、脳波からすれば、ハミングのほうがアルファー波になりやすいそうです。歌詞を追うとつい意味を考えますから、いい気持ちにはなりにくい。そういう意味でもお経の意味がわからないというのはわるくないです」

姿勢と呼吸
「例えば、椅子にもたれているときは、もたれて何かに接しているところに意識を置く。そうするとそのままの姿勢で脱力できます。意識の置き様が悪いと疲れがでてくる。だから座禅のときは意識を座布と接する所までおろします。
「いま座布団と椅子に接しているのはお尻と背中ですから、お尻と背中に意識を置いておくと非常に楽。背中を立てた時も、背中をどうこうしようとはあまり思わず、意識を、たとえばお尻の下に落とすだけで、ある程度の姿勢になるのです」

呼吸法
「まず自分の体を空っぽの容器とみなします。その空っぽの容器に足の裏からでも、脳天からでもいいんですが、息を吸うたびに水が入ってくる、とイメージします(光でも良い)。
 一息吸うと一気に全身に満ちる。そしてイメージで喫水線を描き続けます。息を吸って足から脳天まで上がった喫水線をこんどは吐きながらゆっくり下げていきます。
 
映像に置き換えるのがとても重要だと思います。たぶんそれによって脳は言葉を扱えなくなります。
喫水線がみぞおちまで来た、胃の幽門部まで来た、腎臓のあたりに下がってきた、と具体的にイメージするんです」

  白隠の軟酥の法

*卵くらいの大きさの軟酥(バター)の丸薬を、頭上に乗せたとイメージする。
 その丸薬が溶けて、頭上から足の裏まで流れて行く、と想像。

 頭上から徐々に頭全体を潤し、両肩、腕、胸、肝臓、帳、胃、尾骨まで潤すと観想する。
   (すべての内蔵の疾患などが消失するとイメージ)
さらに軟酥が両下肢を暖かく潤し、足の裏まで到達するとその流れは止まる、と観想する。

「この方法を何回も根気よく行えば、どんな病気でも直せないものはない。そして立派な徳を積むことが出来る。その効果はこれを行う人の熱心さ、いかんによるので一生懸命」精進せよ」 白隠

 


LENNONNYC/ Sometime in New York city

2013-01-06 12:30:17 | Weblog

              
                            2010年   

 ジョンのニューヨークでの日々を、本人のインタビュー映像や近しいミュージシャンたちの話を交えて綴る、ドキュメンタリー。
 平和運動とバッシング、裁判闘争。所謂L.Aの「ロストウイークエンド」時代、「ハウス・ハズバンド」としての穏やかな日々。音楽への新たな情熱、そしてダコタハウス前の突然の悲劇まで、ジョンの苦悩や挫折、落胆などが描き出されていく。
               

 12月30日に録画しておいたのを1日に見たのですが、、あれ?これ見たことあるような、、と、思い出したのが「ピースベッド」(2006年)でした。これも昨年の9月頃に放映したのでしたね。ほぼ似たような内容で、「ピースベッド」の後に作るのならもっと違う観点から迫って欲しかったな、と思ったのでしたが、、いずれにしても強烈な人生でしたね。

         
                          1971年N.Y最初のアパート                 E.ジョン MSGコンサート

                
                  1972

 そう、この歌詞「ケ・パサ」(英語で言えば What's up? How's it going? 元気?どうだい?の意)、L.Aのアダルト・スクール(成人のための各種講座学校)に通っていた頃によく聞いた言葉です。「ケ・パサ・アミーゴ?」「ケ・パソ?」と毎晩のようにメキシカンと挨拶をしていたものでした。

                                            New York city
                                               Que pasa,New York? 
                                               Que pasa,new York?