Mr.Nagasima

2006-11-30 23:46:31 | Weblog
 TVのC.Mを見ていたら、急に子供の頃聞いていたCMソングが頭に浮かんできました!「3,3,3,3、長島さん、3,3,3,3、背番号は3、ミスター・サンヨー長島さん」、、そう打順も3番のナガシマ!さんでしたね。

   

 ホームランを打ったのに1塁のベースを踏まずにアウトになってしまった、そのゲームを実は1塁側で(ちょうど1塁ベースを正面にした席でした)見ていたので今でも抗議するその光景をはっきり憶えています。水原監督、ファースト川上、セカンド土屋、サード長島、ショート広岡、キャチャー藤尾、外野は、、エンディー宮本と誰でしたか、与那嶺、坂崎、十時、南村、加倉井?思い出せませんが、、。試合後、後楽園球場の外をエンディー宮本と内藤が歩いていて子供たちが群がっていました。私もサインを欲しくて少し付いて歩いたのですがもらえませんでした、。当時ジャイアンツのウォームアップジャンパーは薄緑(鶯の糞色)でしたね。「少年マガジン」などが発刊され、カラー放送が始まった頃でジャイアンツのユニフォームもTV映りを考えてゴールドがかった白だったのですよね。みんな若くて元気でした、、、、。
  
         

Bridge over troubled water

2006-11-28 23:04:44 | Weblog

 
 昨日NHKでポール・サイモンのこの名曲を主題とした番組がありました。「アパルトヘイト」へのポール・サイモン自身のインタビューもありましたが、欧米のミュージシャンの時事に関する関心の深さを改めて認識しました(ジャクソン・ブラウンも曲を書いていましたね)。「明日に架ける橋」が南アの人々の大きな心の支えとなっていた、そして今も、、というのは私にとっては初めて知ったことでした。昨年でしたかね、S&Gのライブ(再放送)を見たのは、、。A.ガーファンクルが少々~で呂律が、、だったり、出だしを間違えたりもありましたが、ハーモニーはやはり良いですね。もう一度二人のステージを聞けたらいいですよねえ。

            
            
When you're weary, feeling small
When tears are in your eyes, I will dry them all
I'm on your side when time get rough
And friends just can't be found
Like a bridge over troubled water
I will lay me down
Like a bridge over troubld water
I will lay me down

Elvis Presley

2006-11-26 21:30:42 | Weblog
車中ラジオを聴いていたら、万年筆(ウォーターマン)の話をしてました。私にとって始めての万年筆は多分、中学の入学祝いにもらった「パーカー」だったなあとしばしその頃の万年筆に対する新鮮な、そして少し大人になったような、気持ちを思い出していたら突然プレスリーが頭に浮かんできました。確か彼のマネージャーが「パーカー大佐」でしたよね?それで急にプレスリーが出てきたのです。アメリカ留学中に一夏コロラドで過ごしL.Aに戻る途中(’77年8月)のことでしたが、何気なく聞いていたラジオから急にプレスリーの曲が流れ始めました。「何だ?」と思ったら「今日エルビスが亡くなりました」のニュースが、、。途中泊まったモーテルでTVをつけるとやはりエルビス関連のニュースや特集が多かったのを憶えています。初期の頃の「監獄ロック」や「トラブル」など好きだったし、映画では「Blue Hawai]など、出来はともかくわりと好きでしたね。そう、パーカー大佐がパスポートを持っていないので(取れない理由があった?)海外でのコンサートは行わなかった、という記事を昔読んだことを思い出しました。真相は?
                       
                   生まれて初めて買ったレコード           

The catcher in the Rye & Keith Jarrett

2006-11-25 18:52:22 | Weblog
最近オープンしたスーパーに昨日行って(駐車場があるので楽です)野菜、魚など鍋物の材料を買い、最後にビールと朝食用のパンを探していたら、、あ、ライ麦パンがありました。かなり久しぶりです。今朝、そのパンをトーストしてバターで食べていたら(美味しい!)「ライ麦畑で捕まえて」を思い出しました。初めて読んだのは高校生の時でしたか、?確か当時アメリカでは青少年に害があると言われていた、という記事を読んだ記憶がありますが、コーンフィールドに自分を見て、以来サリンジャーの作品はほとんど(多分全部)読みましたね。サリンジャーを読んでいる時、頭に浮かんでくるのは特定の曲ではは無くて、”ジャズ”が軽く流れているのです。留学していた頃にナット・ヘントフの「ジャズ・カントリー」を”Young Adult”のコーナーで見つけて読んだのですが、それにもコーンフィールドに通じるものを感じていたものでした。その頃同じ留学生仲間でピアニスト志望の女性がいて、あるときジャズの話になったので「ピアノでいい感じのを教えて」と聞くと、、紹介されたのがキース・ジャレットで、試しに「ケルン コンサート」を買ってみたら、これが凄い!!かなり気に入ってしまって今でも車の中で良く聞くのです。ライ麦畑、ジャズ・カントリー、キース・ジャレット、、そして「ラム&レーズン」、、、。。。

Let It Be.

2006-11-23 18:49:33 | Weblog
TVのチャンネルを変えていたら「レット イット ビー」が、。今日、少し後ろ向きの心になりそうなことがあったので、この曲が流れている間、しばしチャンネルを変えずにいました。映画”Let it be”が上映されたのは’71年頃?でしたか、、。
           
確か有楽町の「スバル座」で見ました(一人で)。平日であまり混んでなく、ゆったりと座って、、。ジョンがヨーコとの世界に入り、他のメンバーとも(特にポール)、お互いのコミュニケーションが取れない、と言うか、ちぐはぐな感じでレコーディングをしているのが、何だかビートルズの終焉を思わせて、悲しく思いながら見た記憶があります。そう、当時レコードを発売当時に買うお金がなくて、しばらく後で新宿の中古レコード屋で見つけて買ったのでした。「アクロス ザ ユニバース」が特に好きで(ジョンの歌い方!)、海賊版の「鳥が飛び立つ音で」始まるバージョンが特に気に入って、1日何度も聞いたりしていました。もうすぐ12月8日ですね、、、、、、。

Take it to the Limit

2006-11-20 23:24:35 | Weblog
             

来年度の基本的な予定を作るために、色々と紙に書いたり訂正したり、を繰り返していたら、Take it to the limit が頭の中に溢れている。「こうやれば、」とか「これだけやれば」など考えながらこの曲が流れていました。’76年の何月だったか、イーグルスの全米ツアーが発表されて、それに合わせてニューアルバムの発売が、というので楽しみに待っていたのですが、。結局そのツアーには間に合わずにコンサートの日が来て(L.Aフォーラム)。ステージ後ろにスクリーンのようなものが。コンサート半ばでライトがあたり人影がシルエットで、?、。ストりングスの演奏が始まりスクリーンが上がるとオーケストラが!!(会場大盛り上がりでした。イーグルスのコンサートにオーケストラ、とは全く考えてもいませんでしたからね)Wasted Time 、そしてこのTake it to the limit、、。もちろんその日初めて聞く曲でしたが、今思えば、私にとってランディー・マイズナーのいるイーグルス最後のライブでしたねえ!
             

 Hungry Heart

2006-11-19 20:18:44 | Weblog
雨の日曜、しかも寒くて、なかなか布団から出る気になれずにいたのですが、頭の中では”Everybody’s got a Hungry heart”が鳴っていて時計を見ると8:30でした。しばし、まどろんでいる内にトム・ぺティーの”Refugee”に変わっていて、武道館でB.ディランのバックで来たときのステージを思い出していました。”Like a Rolling Stone”良かったなあ、。昼間、用事をすませ昨日に続き部屋の整理。夕方TVを見ていると懐かしいブレッドの歌が画面のバックに流されていました。「ギターマン」ともう1曲(タイトルは、、)。ちょっとしみじみとした気分でした。讃岐うどんを食べて満足な夜です。明日も雨、の天気予報にカーペンターズの「雨の日と月曜日は」?が浮かんできました。

          

We will Rock You

2006-11-18 22:53:46 | Weblog
部屋の模様替えのためもあってタンスや本棚を整理していると、子供たちのNIKEのウォームアップやテニス・パンツ、JORDANのTシャツなどが出てきました。背中に「AIR」のウォームアップも!!(確かアメリカから通販で買った)。日本にNIKETOWNがオープンした頃で、彼らのテニスウェアーはほとんどNIKEだった記憶があります。しばしその頃の色々なことを思い出してしまいました。今では二人とも、色んなブランドや古着などを上手に着こなしてNIKEの話はあまり出なくなってしまいましたね。その当時はNIKEのC.Mもかなり面白かったのですが、、今は、、?JORDANのC.Mも好きでしたね。BULLSのゲームもTVで良く見ていましたが、試合前、試合中に3拍子のリズムが聞こえたり、会場から「ディーフェンス!」という声が上がるとQUEENのこれ”We will rock you”が。Bullsのチャンピオン記念のTシャツも出てきましたが、今は昔、、、お宝ではない、?ですよね。
          

Autumn Leaves

2006-11-16 23:40:49 | Weblog
   

原題のフランス語が思い出せないな。ともかく「枯葉」です。銀杏の葉が、先週の木枯らし一番から仕事場の前の通りに拡がって、雨の日は歩きずらいので掃除しながら、この曲(イブ・モンタンですね)が頭にうかんできました。ロックを聞いていた時からシャンソンにも興味があって、当時NHKラジオで1時間くらいの、シャンソンを聞かせる番組がありよく聞いていたのです。ビートニックという言葉を知ったのはもう少しあとでしたか、、。フランスの文化(映画、服、歌)にも興味を持ち、シルビー・バルタンなど若い人だけでなく、シャルル・アズナブールなどや、映画では後年、フランソワ-ズ・トルフォーのが気に入って、と言っても「わんぱく戦争」くらいしか映画館では見ていなかったのですが、アメリカ留学中に確かサンタモニカ・ブルバードにある「NUART」(日本で言う名画座)で、彼のそれまでの作品の殆んどを(当時日本には入って来なかったのがかなりあったことを知ったのですが)見たのでした。トルフォーの出ている「未知との遭遇」をWestwoodの映画館で見たのはその翌年頃でしたかね。

       

Runaway

2006-11-14 13:11:33 | Weblog
   
午前中、床屋へ行くと待たずに席へ。店内に流れている女性の歌声、誰かに似ているなあ、、。そうだボニー・レイットだ。特にファンではないのですが、1度ステージを見た記憶が、、、。確かジャクソン・ブラウンのニュー・イヤーズ・イブ・コンサート、L.A フォーラムでした!何人かのゲストの一人でしたがデル・シャノンの「悲しき街角」と、、他には良く憶えていませんがボトルネックのスライドギターを披露してくれましたね。夜中の0:00が近ずくと、J.ブラウンが音頭をとって出演者、会場全体でTen,Nine,とカウントダウンを大合唱して、Three,Two,One,、Happy New Year!!と新年のスタートを祝ったのですが、1年の始まりとしては言うことのない日でした。帰宅し軽くビールで乾杯。お昼頃に起き、知人の家に行ったのですが空は見事に晴れ渡った青空。皆で「今日は日本晴れだねえ」と挨拶をして、穏やかなL.Aのお正月でした。
       

The Byrds

2006-11-12 20:08:04 | Weblog
雨の昨日、19の甥っ子がYou Tubeを見ながら「バッファロー・スプリングフィールド」のスペルは?と聞いてきた。出てきた映像リストにバッファローはなく、BYRDSがあったので「時代は変わる」を見ると、やせた!D.クロスビーがいました。次にPOCOの”You better think twice”若きティモシー・シュミット(今とそれほどイメージは変わっていませんね)のこの映像は初めてでした。そして他に彼の好みのバンドなどいくつか見た後、B.スキャグスの話からリタ・クーリッジに。カラオケ用の”We’re all alone’があって、見るとただ単にリタの歌う画面に歌詞が出てくるというものでした。ま、一緒に歌いましたけどね、。それにしてもYou Tube があれば何時間でも過ごせるなあ、と改めて感心した雨の日の午後でした。
           

Heartache Tonight

2006-11-09 23:57:51 | Weblog
     

夕方、急に右胸辺りが痛くなって,何なんだ?と考えていたら、イーグルスのこの曲を思い出しました。’80年頃に武道館でイーグルスを見たときにやっていましたね。私にとってはティモシー・シュミットが加わってから初めてのイーグルスでした。”We’re The Eagles from Los Angeles”とG.フライの挨拶で始まって、。もしかしてロングヘアーのイーグルスもこれが最後でしたかね?今の記憶では次に彼らを見たのが東京ドームで、”Get over it”の後だったと、、。そしてこれがドン・フェルダーを見た最後だったのかな?彼がいないイーグルスはいまいちピンと来なくて、昨年の東京ドームはやはり何だか寂しいなあ、と思いながら見ていたのでした。またいつか一緒に来てくれませんかね。
                            
          

Colorado

2006-11-08 23:24:07 | Weblog
アメリカ肉牛に新たな問題が、のニュースでコロラドの牧場と牛がTV画面に流れているのを見ていたらリンダ・ロンシュタッドのこの歌を重い出しました。コロラド(グリーレー)には一夏過ごしたことがあるのですが、この歌も確か「フライング・バリット・ブラザーズ」でわりと気に入っていた曲です。

グリーレーには日本人が「ほんの数人しか住んでいない」、と地元の銀行の人に言われて驚いたのですが、確かにその夏日本の人とは誰一人会いませんでしたね。学校の周りにあるのはスーパーマーケット「セーフ・ウェイ」と「セブン・イレブン」、そしてドラッグ・ストアーくらいで、空気中にかすかにフンの匂いが漂っているカントリーでした。そう、一度「ロデオ大会」を見に行き、ロデオ、乾燥した牛糞投げなどCoorsを飲みながら地元の人たちに混じって見た事もあったなあ、と、ここまで書いていたらセーフウェイで「デンバー豆腐」!を買ったのを思い出しました。
                                 
そうだ、J.ブラウン「ランニング・オン・エンプティー」のジャケット写真の会場でコンサートを見たのがこの年でした!その時の話は、、長くなりそうなのでまたいつかに、、。


   





Vanilla Fudge

2006-11-06 23:17:56 | Weblog


新幹線の話題をTVで見ていたらこの曲が浮かんできました。初めて新幹線に乗った頃にヒットしていた曲で(多分前年のヒット曲?)バニラ・ファッジが「ニューロック」(当初はアートロックと言われていましたね)というジャンルでロック世代に強く印象付けた曲ですねえ。シュプリームスのヒット曲がこんな風になるんだ、と当時かなり聞いていた曲、アルバムでした。初めて乗った新幹線(こだま、だったかな?)、私たちの席の前に座った2人の10代の女性が全く声を出さず、間もなく聾唖の人と気ずいたのですが、手話を知らない私たちは何の会話も出来ず、食堂車に行く際たまたま?なぜか持っていた「アンアン」を「見ますか?」と身振りで示すと、一人がニコニコとうなずいて手にとりました。それだけの話ですが、友人と2人食堂車でも,何だか静かにコーヒーを飲んでいたのでした。
   
                                 

Blue River

2006-11-05 21:59:49 | Weblog
   

TVにスケボーの風景が、流されている。サンタモニカ?すぐにサーフィンの画面になり、ピアの下に入ってくるサーフボード、、。どうやらハンティントン・ビーチか   
そう、あれは79年頃でしょうか、このあたりのミュージックハウスでエリック.アンダーセンがやるというので来たことがあります。早めに着いたので少し周辺を散歩でも、と店の前から海岸のほうへ歩きはじめたら、誰やら見覚えのある背の高い人が向こうから歩いてきました。おや、エリック・アンダーセン本人だ。「ハーイ」とお互い挨拶しながらすれ違いました。しばらく経ち、そろそろ店に行こうかと戻り始めたらまた向こうから彼が歩いてきました。今度は彼から「ハーイ・アゲイン」と言われたのを憶えています。小さな店でギターだけで歌う「ブルー・リバー」はもちろん、彼の歌をしみじみと味わった1時間半ほど。後年東京で彼のコンサートを見たのですが、やはりその時の味わいは得られませんでしたね。懐かしく忘れがたい思い出です。