ウインブルドンの死角/

2012-05-30 06:52:53 | Weblog

               1995                                  

 図書館で、タイトルが気になって手にとってみると、なんとナブロチロワがリズ・ニクルズと共著で書いたミステリー仕立ての小説でした。
あまり期待しないで読んだのですが、結構楽しめましたよ。まあサラッと読めるストーリーですが、やはり、プロテニス界のさまざまな事、プレイヤーの生活など興味深く読みました。

 テニスに関わる描写を抜粋してみると、、、

 「多くのトッププレーヤーがラケットを1度使っただけでストリングスの張替えを希望する。
何人かの、例えばレンドルのような特別な選手は、プレイの感触が常に一定になるように、ボールが変わるたびにラケットを替えている」

「トッププレイヤーたちは、プラスマイナス0.14グラムから0.08グラムの差異を感じ取れる。
大量生産のラケットの重さは平均で5グラムの差がある」

「おおかたのエキジビジョンは、あらかじめ決められた手順どうりに進められる。勝っても負けても受け取る金額は同じ - トッププレイヤーなら通常5万ドルから7万5千ドル、特別な場合だと25万ドル以上になることもある。試合は2セットか3セット。終わったら小切手を受け取る」

                  

「自分がランキング上位の選手だったときには、、、ウインブルドンの会場近くに誰かが借りておいてくれたSW19番地の煉瓦の家に連れて行かれた。
 ポルシェは毎年トーナメントの期間中、車を貸す習慣になっていた」

「センターコートのそう遠くないところに、400体を収容できる仮の遺体安置所として、特別なスペースが確保されている。ゲートの内側では、紺色の制服を着た8名からなる一団が、5,6匹のラブラドールとイングリッシュ・スプリンガー・スパニエルを率いて、、、。爆弾や爆発物を探し出す探知犬だ」

                    

「多くの選手は、コートまで気軽に行き来できる貸家に滞在するほうを好む。
イワン・レンドルなどは、チャンピオン・シップの2週間、妻と子供たち、ナニー、マネジャー、コーチ、栄養士、専属のラケット・ストリンガーを引き連れて引っ越してくる。
 貸家はウインブルドンにとって、副収入のほぼ全体を占める大きな要素となっている。
ラインズマン、アンパイア、ジュニア・プレイヤーのようなつましい客は、地元の民家の来客用の部屋に1泊25ポンド前後で泊めてもらう」

 


Yellow Submarine/ In His Own Write

2012-05-27 08:06:40 | Weblog

           1968 95c

  先日帰宅してメールを見ると、iTunes から 「Yellow submarine」B.D発売の知らせが。
1968年発売のこの作品を、「フレームごとにデジタル修復して」とありますね。ひとコマごとに全て手作業、ということですが、どんな感じに仕上がっているのだろう、、。見たいです!

 日本でTV放送をしたのは、、、おっと、それは「マジカル・ミステリー・ツアー」だったかな?(これは曲以外はどうにも評価のしようがないものでしたが、、)
「イエロー・サブマリン」は映画館で見たと思うのですが、どこだったか、、。 

そうだ、アメリカでYellow Submarine ペーパーバック版を買ったなあ、と本棚を探してみると、ありました!

                       

  一緒にジョン・レノンの「In his own write」が並んで置いてありましたよ。懐かしい!
はさんであったレシートを見ると、、1973年1月9日に買って95セントでした(定価)。

            1964

              


春を恨んだりはしない / 震災をめぐって考えたこと

2012-05-20 07:44:56 | Weblog

          2011

 原子力は人間の手には負えないのだ。フクシマはそれを最悪の形で証明した。
もっと早く気づいて手を引いていればこんなことにはならなかった。

 エネルギー源として原子力を使うのを止めなければならない。稼働中の原始炉はなるべく速やかに停止し、廃棄する。新設はもちろん認めない。それでも残り膨大な量の放射性廃棄物の保管に、我々はこれから何十年も、ひょっとしたら何千年も、苦労することだろう。

 我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。撒き散らされた放射性の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがて誰かの身体に癌を引き起こす。そういう確率論的な死者を我々は抱え込んだわけで、その死者は我々自身であり、我々の子であり孫である

 我々はこれからずっと脅えて暮らすことになる。
今もこれからも、我々の背後には死者たちがいる。

 自然は人間に対して無関心だ。 
自然にはいかなる意思もない。大気に関わるいくつもの条件が重なった時に、雲の中で雪が生まれて地表に達する。それを人間は降る雪として受け取り、勝手に喜んだり嘆いたりする。
 その感情に自然は一切関与しない。

 ヴィスワヴァ・シンボルスカ 「眺めとの別れ」

またやってきたからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
はたしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
................
                                                     (沼野充義訳 「終わりと始まり」未知谷)  

もう1年たってしまったのに、まだ光が見えない思いでこの本を再読。風化させてはならないと、あらためて感じています。                                


NAVAJO/ Flying Burrito Brothers

2012-05-16 18:28:42 | Weblog

          日曜の午後、用事をすませコーヒーを飲みながら、テレビのチャンネルを変えていたら、モニュメント・ヴァレーとナヴァホの人が。何だろう、と見ていたらルート66を辿る番組のようでした。
 
 もう数十年前ですが、L.Aからコロラドへ行く途中、ただただ真っ直ぐ伸びている道を走っていると、路上で品物を拡げているのに気が付いて止めてみると、ネイティブらしき若い女性がネックレス、リングなどを並べて売っているのでした。聞いてみるとナヴァホだと言う答えだったのを思い出しました。
                      夕方を過ぎるとこんな光景が、、

 あの時はコロラドまで何泊したのかな?2泊か3泊か、、夕方を過ぎる頃、どこら辺で泊まるか地図を見ながら計算してモーテルなどに泊まったのですが、その時のメモが見つからないので場所など分からないのが残念。
 そうだ、ひと夏コロラドで過ごし、L.Aへ戻るときのことです。ラス・ヴェガスのモーテルで1泊したのですが、、軽くビールを飲みベッドに入って暫くしたら「ガチャ」とキーの音が。ん?と見ると誰かが部屋に1,2歩入ってきたのです。「Who's it!」と言うと、「Oh,Sorry」と腰にぶら下げたキーの束のガシャガシャいう音と共にすぐ出て行ったのです。若いロングヘアーの多分モーテルの管理人なのでしたが、もしこちらがガンを持っていたら、撃ってもオーケイな状況ですよねえ。ともかく少々ヒヤッとした経験ですね。
 その翌日かな?午後2時か3時頃、タイヤがパンクして(そろそろやばいかも、と確かラスヴェガスのギャス・ステーションで売っていた中古のスペア・タイヤを買っておいたのでしたが、助かった!!)、まあ、何とか取り替えて事なきを得たのですが、周りには人家も見えない処だし、スペアが無かったらどうするんだ?と、今思うと結構冷や汗もんだなあ、と思うのですが、同時にあの頃の自分が懐かしくもありますね。 

                 

 フライング・ブリトー・ブラザーズの「コロラド」を聞くと、あの頃の当地の空気の匂い(牧場の匂いですね)や、地元のスーパー・マーケット(牛の街だけにステーキが本当に安かった!!)、ロデオ会場での牛糞投げ、そしてコアーズなどが思い出されます、、。そうだ、現地のラジオを録音したテープがあるのですが、CDにダビングしておいたほうがいいんだろうなあ、、。

                                      

                   Hey,Colorado,it was not so long ago,
                        I left your mountain to try life on the road
                        Now I'm finished with that race it was much first a pace
                        And I think I know my place Colorado I wanna come home


                         I was too young to know what I've done 
                         I made my place but I was wrong,Yes,I was wrong

                       Wanna come home
                         Won't you let me come home 


Mother's Day/ SANTANA

2012-05-13 09:24:25 | Weblog

        

 昨日(土曜)アメリカから「母の日」に苺が届きました。毎年この日に合わせて送ってくれるのですが有難いなあ。朝食のデザートにヨーグルトと一緒に食べましたよ。いつもながらアメリカ苺の味でした。感謝!!

 母の部屋の片付けがひと段落し、後はしばらくは母に任せて、とちょっと休憩を決めたせいか、何だか少々「気が抜けている」感じです(3週間ほど毎日整理していたのですよ)。まだ整理するものがたくさんあるのですが、イマイチ気合入らず状態ですねえ。
 
そんな気分で電車に乗っていると、ipodからサンタナの「哀愁のヨーロッパ」が流れてきました。これも久しぶりですねえ。何年ぶりかな?目を瞑って聴いていたら武道館でのサンタナ公演を思い出していました。
 サンタナ、そしてサポートのミュージシャンが熱い演奏で、文字どうり熱気溢れるコンサートでした。
そう、途中ドラムス、「マイケル・シュリーヴスの誕生日」と紹介もあって盛り上がりましたね。

 今検索してみると、私の行ったのはどうやら1973年の7月のようです。この数日前の大阪公演が「ロータス」として出たのですよね。何といっても横尾忠則のジャケットが秀逸です!!
 
                     
                            1974
             
                       ジャケット内側 (22面体)


あの川のほとりで/Tangled Up in Blue

2012-05-10 17:33:13 | Weblog

                        2011

 ニュー・ハンプシャーの辺鄙な林業の集落。そこの食堂で働くコックとその息子。息子が夜中、父親が熊に襲われていると思い、フライパンで撲殺したのはコックと愛人関係にあった女だった。
 かくして親子の半世紀に渡る逃避行が始まる。ボストン、バーモント、アイオワ、カナダのトロントと移動する。その間に息子のダニーは若い父親となり、作家として有名になる。
 この物語では禍々しい運命が最初から不吉な陰を落とし、コック親子はそれから逃げようとするが、結局は運命に追いつかれてしまう。  

 アーヴィングはこの物語を書き始めるまで20年近くも胸に暖めてきたという。ニュー・ハンプシャーの伐採作業場を舞台に、作者のおじやいとこが従事する林業を絡め、コックとその息子が逃亡する物語、と輪郭は描けていた2月の物語の終着点をまず決めてから、底へ向けてストーリーの詳細を作り上げていくという手法を鉄則としているアーヴィングは、その最後の一文をおもいつかないまま、他の小説を次々と書いていた。
 2005年1月、車を走らせているときにかけていたボブ・ディランの古いCDから流れてきた”ブルーにこんがらがって"を聴いて突如閃いたのがその本作の最後の一文で、かくしてやっと物語が動き出し、2008年9月に編集者に渡す、、。                                    訳者あとがきより抜粋

 おもしろい!でも長い、、。一つ一つの描写が緻密なので必然的に上・下の2巻になっているのですが、個人的にはそこまで細かく描かなくても、と時々飛ばし読みしてしまいました(アーヴィングを好きな人はそれらの描写をきっと堪能するのでしょうね、、)。
 50年代から80年代の物語なので、アメリカに起きていたこと(9.11など)をあらためて考えさせられました。
作者は重要な登場人物の樵にこう言わせています。
「アホみたいなクソ愛国心のどこが悪いか教えてやろうか - あんなものは妄想なんだ!アメリカ人の勝ちたいという欲求を表しているにすぎん」
 イラク戦争について
「アメリカ人の大多数は殆どが何も知らないから、この戦争がいわゆるテロとの戦いから目をそらせるためのものである - あの明言された戦争の推進ではなく - ということがわからないのだ」

 ディランの「ブルーにこんがらがって」で、本作の最後の一文をが閃いた、ということですが、Tangled が twistedを想起させたのでしょうか?そう、物語の初めに出てくる少年がエンジェル、主人公のペンネームもエンジェル、というのはディランの「ユー・エンジェル・ユー」から、、ということは考えすぎですね?

                             1975
                    I was standing on the side of the road
                        Rain falling on my shoes
                        Heading out for the East Coast
                        Lord knows I've paid some dues getting through
                        Tangled up in blue


That’s Why God Made the Radio/ Beach Boys

2012-05-06 10:11:23 | Weblog

                                          

  新聞にビーチボーイズが再結成で8月に来日の記事が。しかもブライアン・ウイルソンの名前がありますねえ。レコードデビュー50周年ですか、。
 4月からアメリカでツアーがスタートしたようですが、日本に来るまでに何のトラブルもなければよいのですが、。
 さてとシングルが4月下旬に発売されていたのですね。YouTubeで聞いてみたら、初夏の気候にふさわしいサウンドでしたね。いかにもラジオから、それもモノラル(AM)で聞いていた時代を思い出させてくれました。
 日本には33年ぶり、と書いてありましたが、当時テレビで見た記憶がありますよ。確かおなじみの縦のストライプの半袖でしたね。あの頃、好きな曲は数曲ありましたが、バンドとしてはそれほど、、なんて感じで、まだブライアン・ウイルソンの凄さを認識してはいなかったのでした。
   

         

              That's why God made the radio
              So tune right in everywhere you go
              He waved his hand,gave us rock'n' roll
              The soundtrack of falling love

     


おじさん的思考 

2012-05-02 18:19:14 | Weblog

             

  「おじさんの正しい思想」「老人国日本に向けて」「説教はおじさんの義務」、といつもながら頷くことが多いのですが、ここでは「対外国」の日本のありかたを抜粋してみます。。

 私は海外派兵にはもちろん反対である。「そういうことをしない非常識な国」というのが国際社会における日本の「奇妙なポジション」なのである。その奇妙なポジションを日本は戦後56年かけてようやく獲得したのである。
『日本はあーだからさ。あいつは蚊帳の外においといて、こっちだけで話きめようぜ』と欧米列強やロシアや中国が頭の上で談合するのであれば、多少は腹立つかもしれなおけれど、それはそれで「どうぞご勝手に」でよいではないか。
 G8の中で「かっこがつかない」ことなんかどうだってよいではないか。
大義名分を立てて戦争することより、大義名分のない平和にしがみつく方がずっとむずかしい。 ー中略ー

 問題は、形式上、国際法上、「敵か味方か」にあるのではない。ある国の軍隊が別の国に行って、そこで人を殺すかかどうか、というごくリアルなことである。
 だから、私は対テロで日本政府がアメリカ政府を支援するぞと「口だけで言う」ことには賛成である。「金も出すぞ」というのもどうかご勝手に。
 
 しかし兵士を戦地に送り込むことには絶対に反対である。    ー中略ー

 派兵されれば、「死ぬ」だけでなく、必ず「殺す」ことになる。
日本政府の人々がアナウンスすることを避けているのは、一度でも一人でもその国の人間を軍事的行動のなかで殺せば、日本はその国の全員から、何世代にもわたって、深い憎しみを引き受けることになる、という当然の予想である。

日本の国際戦略の大儀は、国際社会において「蔑み」の対象となっても、「憎しみ」の対象とは決してならないことに存する。私はそう信じる。                    国際社会における威信より大事なもの より 

 日本の、ともすれば「あいまい」と言われる態度も、こういう観点で考えると案外合理的なのかもしれませんね。