Autumn Leaves/Bill Evans

2011-10-30 17:30:58 | Weblog

          1959  

公園の落ち葉を見ていたら、ビル・エヴァンスの「枯葉」が頭に流れてきましたよ。これはイントロからグッと心を掴まれてしまうのですが、加えてスコット・ラファロのベースも良いですねえ。ピアノとベースの絡み具合が絶妙です。

「1950年後期から60年代初頭にかけての『ヴィレッジ・ヴァンガード』のギャラは、一人当たり10ドルだったという」

「『ポートレイト・イン・ジャズ』は12月28日、ニューヨークのリーヴス・サウンド・スタジオでわずか数時間で録音された。エヴァンス、ラファロ、モチアンの3人は、おそらく3人で250ドル程度のギャラだった」            {ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄}中山康樹より


                 Scott Lafaro

 枯葉(autumn leaves)
原題は「Les Feuilles mortes」 1945年、ジョゼフ・コズマ曲。後にジャック・プレヴェールが詞をつけた。
 アメリカには1949年に紹介された。作詞はジョニー・マーサー(キャピトル・レコードの創立者でもあり、ムーン・リヴァーなどの作詞家としても知られる)

           The falling leaves drift by the window
          The autumn leaves of red and gold
          I see your lips,the summer kisses
          The sun-burned hands I used to hold

          Since you went away the days grow long
          And soon I’ll hear old winter’s song
          But I miss you most of all my darling
          When autumn leaves start to fall

 


Glenn Gould 未来のピアニスト

2011-10-27 18:24:31 | Weblog

                           

  
「普通のピアニストでは骨盤に当たる部分が、グールドでは肩なのだ。肩が固定されている分、背中から下は自由に動き回り、前後左右に回転運動を起こしている。

 左右の手の独立は驚異的で、他のピアニストたちと一線を画しているが、これは彼が生まれつき左利きだったことと無関係ではあるまい。

グールドがなぜ低い椅子を好み、鍵盤に近づいて座ったか、というと、その方が指の運動量が少なくてすむからだ。

低い椅子、ぶらさがった肘、固定された肩、、、一見不自然に見えるグールドの姿勢や弾きかたは、実は、彼の理想の音楽をもっとも自然に表出させるための奏法だった」

                    

 アルバート・ゲレーロのピアノ・レッスンで握力をつけるために
「ゴムボールをギュッと握る。 椅子の上に置いたクッションを二の腕で押す。
腕と共に鍛えたのは肩と背中で、ピアノを弾く生徒の両肩をぐいと押さえ込み、反発する力を利用して肩と背筋を重量上げの選手並みにしあげた、という。
 こうして両脇を締め、鍵盤にかがみこむようにして弾くグールド独特のスタイルが生まれた」

 暗譜
「(グールドは)見たまま写真に写るように覚えてしまう、フォトグラフィック・メモリーを持ち、思い出すのも速かった」チェロ奏者 ザラ・ネルソヴァ

「12歳くらいの時から、私はどんな作品についても、完全な分析と暗譜を強制されました。
{中略} 一つの楽譜を数週間かけて分析することで、けして忘れられないイメージを頭に焼き付けることができます」 グールド

               

「演奏活動を引退してからは、理想のピアノである CD318を自由に調整するることを許されたため、ハンマーを普通より弦に近づけ「ハープシコード風」の効果が出るよう工夫を重ねた」
                                              以上 本文より抜粋


 グールドのCDを買ったのは30年以上も前でしょうか?今日、ipodでは久しぶりに「ゴルトベルク変奏曲」を聞いたのですが、もしも彼がipodを知ったら、きっと愛用したのでは?など思ったのでした。

 


LIVERPOOL/ビートルズ

2011-10-23 10:45:45 | Weblog

            

   BSの「ゆらり街角 リバプール編」。ビートルズの生まれ育った街を案内してくれました。      

 ST.PETER’S CHURCH

               

          ジョンとポールが出合った教会と初対面の図。 July 6.1957(ジョン16歳)

 番組は産業革命当時、貿易の拠点だったアルバート・ドック(現在はショッピング・モール)からスタート。そこに1990年にオープンした「ビートルズ・ストーリー」、 ビートルズが歩んできた道のりを体験できる所ですね。

           

 クォーリーメン、カスバ・コーヒー・ショップ、ハンブルグ、そしてキャヴァーン・クラブなどの、写真と楽器などが展示してあります。

            
ハンブルグで荒々しいステージを身につけ、リバプールに戻ったビートルズの人気は急上昇。
キャヴァーン・クラブには長い行列が出来るようになった!!

   
      ライヴの待ち時間によく利用した店。           店内、いつも座った席

     
   ハード・デイズ・ホテル       レノン・スイート        マッカートニー・スイート
 2008年オープン。19世紀の建物を改装。全110室。2部屋がスイート・ルーム。

       
       ペニー・レーン                           ツアー・タクシー
  
 ”Come together ~ In my life”まで25曲ほどかかりました。普段ipodには入れていない”Misery” ”Theres a place” ”Ask me why”など数年ぶり(10年以上かも)に聞いたのでかなり懐かしかったのです!
 「ミーズリー ♪ 」のハーモニーが耳に繰り返し聞こえています。そういえば、リード・ヴォーカルはジョンですよね?当時はジョージの声にも聞こえたりしたものですが、。1963年ということは、もう48年も前!!

           
   イギリスにはまだ行った事がないのですが、 この街を一度は訪れてみたいですねえ。
  ホテルはやはりハード・デイズでしょうか?


オリーブ・キタリッジの生活/My Little Town

2011-10-20 18:21:37 | Weblog

      2008

 Tからカナル型のイヤホーンをもらいました。何かイヤホンのスペアが欲しい、と言ったら持って来てくれました。「SENNHEISER」ですか。最近のブランドは疎いので知らない名前でしたが、今日使ってみると、音も以前のより良いし、有難い!!やはり私はカナル型がいいですね。しかもヴォリュームもアップしているのですねえ。感謝です。

 やっと「オリーヴ・キタリッジ」を読みました!評判どうりの素敵な本です。

 「アメリカ北東部の小さな港町クロスビー。一見静かな町の暮らしだが、そこに生きる人々の心には、まれに嵐も吹き荒れ生々しい傷跡を残す。
 13編すべてに姿を見せる傍若無人な元教師オリーヴは、ときに激しく、時にはささやかに周囲を揺り動かしていく。 ピューリツア賞を受賞した珠玉の連作短編集」   紹介文より

 「チューリップ」より
 夫のヘンリーが病に倒れ、療養ホームに。話しかけても反応はなく、いつも笑った顔でいる。

「そういえば思い出す日々がある。まだ人生の盛りだった。中年夫婦としてヘンリーと手をつないで帰った。ああいう瞬間には静かな幸福を味わうという知恵が働いただろうか。
おそらく分かっていなかった。
 たいていの人々は、人生の途中では、生きているということがわからない」

 毎日療養ホームへ通う日々が続いている。

「オリーヴはベッドの横に座り、ヘンリーの手をとる。帰ろうとする頃には、暗くなっていた。
 周りを見て邪魔が入らないと思うまで待ってから、ヘンリーの耳元に口を寄せてささやいた。

 ヘンリー、もう頑張らなくてもいいの。先に行っていいわ。あたしは大丈夫。
いつでもいいからね、平気よ」

 長い間連れ添った夫婦たちが、ちょっとしたことで心の亀裂を垣間見せ、お互いに、時には愛しく、時にはうとましく思う、アメリカの田舎町の日常の中のドラマを描いています。
 読みながら、サイモン&ガーファンクルの「My little town」が頭に流れてきました。

                    

       In my little town  I grew up believing 
       God keeps his eyes on us all
       And he used to lean up on me
       As I pledged to the wall
       Lord I recall  My little town

       Nothing but the dead and dying   
       In my little town 


The Long Journey/When you say nothing at all

2011-10-16 10:44:13 | Weblog

              
                                   2007

人によっては薄手のジャンパーだったり、カーディガンを着るこの頃、少々眠気を感じながらipodをシャッフルにしてポケットに。1曲目、あ、さわやかないい声だなあ、誰だっけとipodを見ると、アリソン・クラウスでした。この曲も久しぶりに聞きますねえ。(シャッフル以外に、半年あるいは1年以上かかっていない曲、という設定があれば良いのですが、、)
 この人はロバート・プラントとの共演[レイジング・サンド」で始めて知ったのです。ロバート・プラントがブルーグラスの歌手とデュエット?と思いながら聞いてみると何の違和感も無く、なかなか「いい感じ」だと思いました。プロデューサーのT・ボーン・バーネットはディランの「ローリング・サンダー・レヴュー」でのギタリストなんですねえ。
 この中では「ロング・ジャーニー」が一番好きかな。愛する人との別れを嘆き、、、、泣けます、、、、。

                 

     God given us years of happiness here 
     Now we must part
     And as the angels come and call for you
     The pains of grief tug at my heart

     Oh my darling
     My darling
     My heart breaks as you take your long journey 

 そうそう、ipodで1曲目に流れたのは「When you say nothing at all」でした。
この人の声が本当に良いのですねえ。フラット・マンドリンもさりげなく効いています。

                

         It’s amazing how you can speak
         Right to my heart without saying a word
         You can light up the dark try as I may
         Ⅰ would never explain what I hear 
         When you don’t say anything

         The smile on your face lets me know
         That you need me there’s a truth
         In your eyes saying you’ll never leave me
         The touch of your hand says you’ll catch me
         Whenever I fall you say it best
         When you say nothing at all


燈台守の話/The Water is Wide

2011-10-12 20:41:18 | Weblog

          
         2007                  Cape Rass Scotland

「お話して、ピュー」
「どんな話だね?」
「何度でも最初から始まるお話
「それはつまり、人生の物語だ」
「でもそれってあたしの人生の物語なの?」
「お前さんが語りさえすればな」

 スコットランド、ケープ・ラス近くの港町ソルツ。
10歳で孤児となったシルバーを養女にしたいと、灯台に住むピューが申し出た。
こうしてシルバーは燈台守の見習いとして、ユニコーンよりも長く生き、200年前のことも見てきたように語って聞かせる、不思議な老人ピューと灯台で暮らすようになる。

 ピューの口から夜ごと語られる、今から百年も前のソルツの町に生きたバベル・ダークの数奇な人生の物語。

灯台が無人化されることが決まり、シルバーとピューも離れ離れになる。シルバーは灯台に残されていた、ダークの日記を携え、旅に出る。
 こうして二百年の時を経て、シルバーとダーク、二つの魂が響きあい、交差していく----.。
                                           訳者あとがきより抜粋

「現在(いま)ってどこにあるの?」
「周りすべてだ。この海のように。わしから見れば海はいっときもじっとしておらぬ。わしは陸に住んだことがないから、これは何、あれは何、ということは言えん。
わしに言えるのは引いていくのが何で、寄せてくるのが何かってことだ。
「引いていくものは何?」
「わしの命だ」
「じゃあ、寄せてくるものは?」
「お前さんの命だ」

「自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことではなくなる」
        
         ジャネット・ウインターソン

 「自分自身を常にフィクションとして語り読むことができれば、
人は自分を押しつぶしにかかるものを変えることができるのです」     
                            J・ウインターソン 「ガーディアン」インタビューより

 

 読みながら海の匂いと静かな波の音にに囲まれていました。後半シルバーが一人で生きていくあたりからは、少々荒波になったように感じましたが、、、。こんな歌も聞こえてきました。

          The Water is wide (1600年代から歌われているスコットランド民謡)

「海は広く 泳いでは渡れない。 空を飛べるような翼も持っていない
二人を運べる船を作ってくれないか  それで漕いでいくよ 愛する人と私で」

         The Water is wide、I can’t cross over
         And neither have I wings to fly
         Build me a boat that will carry two 
         And both shall row,my love and I
 


While My Guitar Gently Weeps/Change the world

2011-10-09 11:01:52 | Weblog

        
          2003      

NHK「songs」でエリック・クラプトンを特集。曲にまつわるエピソードなど特に目新しいこともなかったのですが、「ジョージ・ハリソン・トリビュート」のライヴは初めて見ました。
 ジョージの息子のダーニも大きめのギターで参加しての「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」、ちょっと感動したのです。

*ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープスについて (アンソロジー より抜粋)  
 「ワリントンの母の家で書いた。中国のI-Ching(易経)について考えていたんだ。何が起ころうと全ては意味がある、ということを。

 
何か本を開いて最初に目にしたことをベースにして歌を書こうと思った。
本をアトランダムに選んで、開いた。”gently weeps”が目に入った。本を置いて歌を書き始めた」

「ジョンとポールは当時、僕の歌をレコーディングすることをシリアス(マジに)に考えるのは難しかった。演奏することさえ考えにくかった。それで家に帰って考えた。
 翌日、エリック・クラプトンを乗せ、ロンドンへ車を運転していた。スタジオに来てプレイしてくれないか、と彼に言った。彼は、ノー、今まで誰もビートルズとレコーディングしていないし、他のメンバーも嫌がるだろ、と言った。僕は言った。僕の歌だ、僕は君にプレイしてほしいんだ、と。
                   
 良かったよ。(彼のプレイが)みんなの演奏をベターにした。ポールがピアノでナイスなイントロをプレイし、みんなシリアスになったんだ」          *ホワイト・アルバム 1968 発売

エリック・クラプトンはレス・ポールで演奏。(アルバムにはクレジットされていない)
*このレス・ポールのギターはエリック・クラプトンが以前ジョージに譲ったもの。
 アコウスティック・バージョンのフィンガー・ピッキングのギター・スタイルは、ドノヴァンがインドのリシケシでビートルズに教えた、ということですね。

 どうやってジョン、ポールに、自分の曲に注意を払ってもらおうか、と考えるジョージ、、。
「レット・イット・ビー」でのポールとぶつかったシーンを思い出しました。
   
今日はこの曲をipodでビートルズ、アコウスティック・ソロ、と続けて聞いてしまいました。
ピアノのイントロは見事ですね。エリック・クラプトンのギターも勿論良いのですが、彼はこの曲を何回くらい聞いてソロを演奏したのでしょうか、、?

         2001 武道館
   (G)Andy Fairweather Low       (B)Nathan East

   番組の最後に「チェンジ・ザ・ワールド」ライヴ。これがライヴならではの、段々と熱の入っていく演奏。良かったです!
サポート・メンバーがしっかりと、文字どうり支えているなあ、というステージでした。
10年前の武道館ということは、確か、2階席で見たと思うのですが、、。
 
 かなり昔あるTV番組で、このベースのネイザンがベース・ギター一本でティアーズ・イン・へヴンをプレイしたのを見たのを思い出しました。いい感じでしたよ。VTRで録ってあるかも、ですが、、。

*映画 ジョージ・ハリソン「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」11月公開のニュース。
 これも楽しみです。


Godfather/大人たちは判ってくれない

2011-10-05 18:03:57 | Weblog

             
                  1972   1974    1990

wowwowが10月1日から3つのチャンネルになったと言うことで36時間無料放送。番組表を見ると「ゴッドファーザー」がありましたね。
 ブルーレイ・レコーダーに変えたので、DVDに録ってあった「ゴッド・ファーザー」3作は無駄になるかな?と思ったのですが、これでオーケイですね。
 3作のうち一番好きなのは、若きドンをロバート・デ・ニーロが演ずるパートⅡかな?

 それと公開当時映画館で見て以来の「大人たちは判ってくれない」も予約。ついでに?「NBA 蘇る栄光の歴史 マイケル・ジョーダンが神になった日」も録画。

            1959

 さてと、日曜の夕食後、「大人は判ってくれない」をスタートしたら、何と殆ど覚えていません。初めて見る?ような、、。
 「12歳の少年。学校の成績も悪く、家では厳しい母親とうだつの上がらない父親との息づまる生活。映画を見るのが唯一の楽しみ。ある日友人と学校をさぼり、その後停学。盗み。親に鑑別所に入れられ、、、、脱走、、、、」 
 フランソワーズ・トリュフォーの自伝をベースにして、思春期の少年の心模様を描いた作品。

 およそ2時間あまり、早見もせず見てしまいました。良かったです。
見ながら「メロディー・フェア」が頭に浮かんできましたよ。この映画がヒントになっているのでは、と思いましたが、、。
 ジャンヌ・モローとジャン・クロード・ブリアリがほんの1シーンだけ出ていましたね。
生徒たちの散歩のシーン、歩いているうちに少しずつ生徒たちが列から抜けて街の中に消えていくのは何かの映画のパロディーだそうです。

           ジャン・ピエール・レオ
                    ラストシーンです。

鑑別所を脱走して走り続け、海までやってきたこの少年の目には、何が写っているのでしょうか、、。


Here Comes Those Tears Again/Red Rocks  

2011-10-02 10:51:41 | Weblog

       
             1977 Red Rocks Amphithatre

夏もようやく終わりかな、と思いながら歩いていると「Here Comes~、あふれ出る涙」がipodから。これで3日連続だなあ、、そういえば、と思い出したのがひと夏過ごしたコロラドでのこと。AMラジオで盛んにジャクソン・ブラウンのコンサートを告知していたのですが、まずこの曲の出だしが流れ、8月~日、RedRocks Amphitheatre、(この間にPretenderの一節も流れていました)、そして最後に”Tickets available at ~”と終わるのです。
 これは逃せないとチケットを買い(席指定なし)、さて当日。地図を見ながら目指したのですが途中で少々不安になってきました。ギャス・ステイションで確認したのですが、彼らもはっきりは分からないようで、地図を見て「この方向へ行って~のあたりを~へ」なんて感じで言われて、よくわからないままともかく進んで行き、大丈夫かな?と思い始めた頃に、道の先の方に何やら大きな岩のような山が。
 暫くすると、その岩の合間に人がいるのが見えます(客席でした)。
               1977

  はっきりは見えませんが、中央左側の岩壁の中ほどに客席の人が(画面中央より少し左)。

ああ、あれだ、と、何とか着くと、駐車場は山の中の広い原っぱのような所でした。(区画の番号など目印になるものがなくて、あるいは見逃したのか、帰りは我々の車が何処なのか分からず、薄暗い中ちょっと焦ったのでした)
 さて場内は本当に岩と傾斜を活用した会場で、言葉では形容のしようがないほど、圧倒されましたね。

  他の会場と同様にMがどこからともなく回ってきて(数回吸って隣へ渡す。もちろん吸わずに渡しても良いのです)いましたよ。
 暗くなった頃にコーデュロイ・パンツでジャクソン・ブラウンが登場。バックはおなじみのデビッド・リンドレー、ダニー・コーチマー、ラス・カンケルなど。
 野外のコンサートはL.Aで何回も体験していますが、巨大な岩に囲まれた環境でのライヴはやはり独特のものを感じさせましたね。
          
             オープニングは誰だったか覚えていません、、、失礼!

この時のライヴも入れたアルバムが”Running on empty”なのですが、発売されてすぐライヴの日付けをチェックすると、、残念ながら我々の見た日ではなかったのでした。

   

 「あふれ出る涙」の詞は、亡くなった妻の母親と共に書いたそうですね。またリタ・クーリッジがオルガンで参加しているようです。

         Here comes those tears again
                Just when I was getting over you
                Just when I was going to make it through
                Another night without missing you   ..............