JAMES DEAN /September 30.1955

2011-05-31 17:46:06 | Weblog

                  

図書館で映画の棚を見ていたら、「ジェームス・ディーン/ ワーズ」という背表紙が目に入りました。このコーナーはたまに見ているのですが、この本は初めて見たのです。手にとってパラパラとしていると、思い出しました!L.Aにいた頃、何かの用事でハリウッドに行ったら、歩道でロケをしていたのです。見るとジェームス・ディーンらしき俳優が立っていました。周りの見物人が「テレビドラマの撮影らしい」などと話していたのですが、あれ以来すっかり忘れていました。

 翌日、1976、77年頃のジェームス・ディーン関係のドラマ、映画を検索してみると、二つありますね。 一つは1966年のテレビ・ドラマのようで、DVDがありました(私がロケを見たのはこれかも)。
 もう一つは「ジェームス・ディーンにさよならを」1978年。ひどいタイトルですねえ。原題は"September 30. 1955"、 どうやら未公開のようですね。wowwow開局当初、放映したらしいのですが、、。
 「ジェームス・ディーンと自身を重ねる一人の若者にとって、1955年、9月30日は自身の青春の最後の日でもあった、というシニカルな物語」と紹介されています。
 リチャード・スミス、デニス・クエイド、デニス・クリストファーなどが出演しています。機会があれば見てみたいですね。

ひとまず借りてきたこの本には、あまり長生きはしない、という言葉がありますね。監督などの彼への発言を読むと、かなり扱いにくい若者だったようです。本人も、自分の性格を持て余しているのかな、と思わせる発言もありましたが、、。

                            

「僕はただ旨いだけの俳優にはなりたくない。どんどん成長し続け、誰も僕に手が届かないくらい大きくなりたい。何かを証明するためではなく、自分と自分の人生すべてを一つのことに捧げたら、導かれざるを得ないところへ行くだけだ」

「人生には避けることが出来ないものがある、と思う。運命は予め作られていて、僕らが自分たちの運命の糸に引かれて行くから起きることなんだろう。・・・・そうやって僕らは自分たちの運命を形作って行くんだ」

「年老いてからのヘミングウェイは、うまい汁を絞り取った後の、残りかすの人生を送っていた        ・・・・・・・・ ぼくは30歳以上は生きないよ」

 車でも相当スピードを出すようで、死ぬ直前にも、スピード違反でチケットを切られていたのですね。チケットを渡したパトロール・ポリスはその時「スピードダウンしなければ、生きてサリナスへはいけないぞ」とジェームス・ディーンに言ったそうです、、、、。

      

 イーグルスが歌っていましたね。「 生きるのを急ぎすぎた。死ぬには若すぎた」                                                                               

                                        James Dean,James Dean                                      
                                        I know just what you mean 
                                       James Dean,you said it all so clean
                                       And I know my life would look all right
                                       If I could see it on the silver screen
                                       You were the lowdown rebel if there ever was
                                       Even if you had no cause
                                       You were too fast to live, too young to die

                   You were too fast to live,too young to die  

        


男と女/モンパルナスの灯

2011-05-28 18:24:59 | Weblog

              

「G8サミットが「男と女」の舞台だったフランスのドービルで行われ」、とニュースで言うのを聞き、思い出しました。懐かしいなあ。この映画を見たのはかなり昔ですが、つい数年前にもBSで見たのです。
  
 アンヌは日曜日に、ドービルにある寄宿舎にいる娘に面会に。遅くなり、パリ行きの汽車に乗り遅れる。
そのアンヌに声をかけたジャン。彼も息子を寄宿舎に訪れた帰りだった。車でパリへ、。
 過去のつらい思い出に引きずられながらも、惹かれあっていく二人、、、。 

若い頃もそれなりに楽しんだ映画でしたが、やはり年を重ねてきて見ると、男女の心の揺れ、など味わいあるなあ、と改めて思ったのでした。監督のクロード・ルルーシュ、29歳の時の作品というから、大人ですねえ。モノクロとカラーの映像(無名だったので予算少なく、回想シーンはカラー、現在のシーンはモノクロで撮影。また望遠が多いのは同録のさい、カメラの作動音が入るのを避けるため、だったそうですが、これもまた効果的だったのですね)そしてフランシス・レイの甘美なメロディーが一層この映画の魅力を高めていますよね。(F.レイが作った音楽に合わせてフィルムを編集したので、映像と音楽の一体感があるのですね。今のPV、プロモーション・ビデオの先駆けとも言えますね) アヌーク・エーメが魅力的でした。

                1966年

 アヌーク・エーメの出た映画では「モンパルナスの灯」(1958年)も見ました。確か池袋の文芸座、、あるいは東武デパートの中にあった映画館ですが、、。画家のモジリアニを支える恋人、妻?の役でしたね。

 1917年のパリ、モンパルナス。どん底生活。恋人を得る。個展を開く機会を得るが、無理解、認められない屈辱感、貧窮。
 モディリアーニは数枚のデッサンをカフェでたった数フランで売る。道で倒れ、運ばれた病院で息を引き取る。36歳だった。その死を見取った画商は、モディリアーニの家に行き、何も知らない恋人からモディリアーニの絵を買いあさる、、、。

                          

  *この映画は事実をベースにしているが、全てが史実どうりではない、そうです。
 ジェラール・フィリップがまさに適役でした。 (J.フィリップはこの1年後、36歳で没)                                                         
                                           

     

 

 

 

              

 


Paulo Coelho/巡礼者の告白

2011-05-25 17:43:51 | Weblog

  
                   

 精神病院体験。2度の脱出。ヒッピー生活。ブラジルからアメリカを横断してメキシコまで。
作詞家として成功。牢獄体験。軍事政権下での投獄。誘拐、拷問。

「死への恐怖はない。サンティアゴ街道の巡礼をしたとき、自分の死を目の前にする、という体験をしたからね」

「巡礼をして以来、私は自分のかたわらに、たえず静かな存在を感じている」

 魔術体験、麻薬による妄想症。精神的な道を求めて旅に。半年間の世界旅行。

 ドイツ強制収容所を訪れる。
 「内部を見学したが、私の心の深い深いところを強く叩き始めた。
外へ出て、歩き始めると正午を知らせる鐘が鳴りだした。
絶望と無力間にさいなまれ、すさまじい虚しさを感じた。 
 自分はこの人生で何かすべきだ、と考え出したその瞬間、誰かの声が聞こえ、その人物の顔を見たが、目にした途端消えてしまった」

「2ヵ月後、アムステルダムのホテルのバーで、ある男性が入ってきた。すぐに収容所で見た人物だと気がついた。声をかけた(私の人生における重要人物だと感じていたから)。
その人はRAM教団に所属していた。私は興味を持ち、導かれ、入信した」

「自分が生まれた瞬間、その場にいた祖母の顔をはっきり覚えている。私は目を開け心の中で、この人がおばあさんか、とつぶやいたんだ」

                      

「 大晦日はルルドの洞窟で過ごす。初めて行ったときは、聖母マリアに魔法をかけられたみたいに心を打たれた

  「私の本に登場するのは皆、私自身。例外はアルケミストだけ。完全に私自身が主役になっているのはワルキューリと星の巡礼」

「若い頃崇拝していたのは、音楽ではジョン・レノン、作家ではホルへ・ルイス・ボルヘス」

「サンティアゴ巡礼は間違いなく、私を根本的に変えた体験。
大きな教訓は、美しいものは素朴さの中に存在するということだった」

「貴重な70日間だった。どの道を通ればよいか、自分の判断で歩き続ける。主に自分の見た夢をより所にして。夢を解釈するのではなく、そのまま実行するのだ」

「旅を重ねるうち、人生というもののシンプルさ、幸せに生きるために必要なのは、ほんの僅か、ということが分かってきた」

「重要なのは、自分の内部に大きな無の空間を作り出すこと。余分なものを捨て、常に自分の道にいて、本質と共に生きる、ということを理解することだ」」

「アルケミストでそうだったように、本人は自力で旅をしているつもりでも、実際には多くの人々に支えられ、自分の道を手助けしてもらっている」 

                        

パウロ・コエーリョとは?
「終わりの無い道を歩み続ける巡礼者。
宝物が存在することを知っていて、いくつもの前兆に導かれながらその宝物へと向かう”アルケミスト”の羊飼いのような巡礼者。
 人を鍛え、変化させるのは人生の道のりと探求だ。私は探求し続けている」  

                  


BOB GREENE/Hang time(マイケル・ジョーダン物語)

2011-05-22 15:48:21 | Weblog

                         
                                  Chicago Tribune  Jan.24 1999

   最近BSでなぜかマイケル・ジョーダンの番組が。一度引退し、メジャーリーグを目指すが、、結局選手のストライキを機にブルズに復帰。先日もその再放送をやっていましたが、思い出したのがボブ・グリーンの「マイケル・ジョーダン物語」。 (原題は"Hang Time")

     *ハング・タイム→ 空中にジャンプし、ダンクするまでの浮遊時間のこと。
                      

 ボブ・グリーンがコラムで、親に虐待され、心をふさいだ少年のことを書いた。少年はバスケには興味があるという。それを読んだブルズの副社長が、グリーンのオフィスに電話をし、ブルズの試合に招待する。
 ボブ・グリーンと共に会場に来た少年に、ジョーダンはボールボーイのユニフォームをプレゼント。そしてやさしく話しかけただけでなく、ベンチの自分の席に座らせた。ハーフタイムには、その少年にボール拾いを手伝わせたのだ。
 これをきっかけに、グリーンはジョーダンを取材し始め、1991年から1992年にかけ、親しくなっていく過程での対話やジョーダンの日常を描いている。

「世の中の人は二種類に分けられる。
 重大な危機に瀕したとき、ボールを欲しいと思う(責任を負いたいと思う)タイプと、誰か他の人に取って欲しいと思うタイプである。
 頼られたくない人もいれば、他の人にリーダーシップを転嫁するのは恥ずべきことだと思う人もいるのだ」  M・ジョーダン
 
 ジョーダンの素の人柄が、淡々とした文章から良く伺え、静かな感動さえ与える本だと思います。

              

 Rが高一になる春休みに、シカゴに行きブルズの試合も見たのです。結局それがジョーダン最後のシーズンだったのですが、生のジョーダンのプレイを見られてラッキーでしたね。その試合は、友人の家でビデオにも録ってもらっていたので、ジョーダンのレストランで買ったTシャツなどと共に良き思い出です。

                             


シベールの日曜日/Two-Lane Blacktop

2011-05-19 17:21:53 | Weblog

          

 先日、新聞で吉永小百合が「シベールの日曜日」が好きだった、と話しているのを読んで久しぶりに思い出しました!新宿の名画座で見たと、思うのですが、、。新宿だったらアート・シアターですね、。この映画は1963年なんですね。ということは、見たのはその数年後?いやいやもっと後ですね。1970年前後でしょうか。いずれにしても懐かしいです。その後テレビでも見た覚えがありますが、好きな映画の一つですね。
 
 青年が少女のいる寄宿舎で、面会に来た父親と間違われる。戦争で記憶を失った青年と家族に見捨てられた12歳の少女。孤独な心を抱えた二人の、日曜ごとの無邪気な逢瀬。冬の池を散歩する静かな情景。切ない結末、、、。モノクロ映像が美しいです。

 あの女の子、パトリシア・ゴッジは以降活躍したのかな?ハーディー・クリューガーは「バリー・リードン」で見ました。それと「飛べ!フェニックス」これはテレビで見たのですが、なかなか面白かったです。
 
 ジェームス・テイラー主演の「断絶」もアート・シアターで見たのかな?
特にストーリーらしきものは無く、賭けレースに参加しながら旅をする、というロード・ムービー。ビーチ・ボーイズのデニス・ウイルソン、ウォーレン・オーツ、ディーン・スタントンと、出ている人も今思うと渋いです。イージー・ライダーの2年後の公開でしたね。

        1971年


Don Felder/ホテル・カリフォルニアを書いた男

2011-05-16 17:36:39 | Weblog

                           

 D・フェルダーの生い立ちから始まり、イーグルスを離れるまでの自伝。ミュージシャンとしては順調とは言えない生活の日々。イーグルスが2枚目のアルバムを出した頃、B.リードンから「L.Aに出てこいよ」の声にようやく決心して夫婦でL,Aへ。昼間は仕事をしながら機会を待ち、B.リードンの紹介でデビッド・ゲイツに会う。デビッド・ブルー のサイド・マンの仕事を得て、ミュージシャンとして軌道に乗り始めた。イーグルスが3枚目のアルバム(オン・ザ・ボーダー)に取り掛かった頃に再びB.リードンの誘いでイーグルスのレコーディング・スタジオに顔を出し、セッション。これがイーグルスへ参加するきっかけとなった。
 まさに ロック色を強く出そうとしていたタイミングに現れたのだった。皮肉なことに、カントリー色を維持したいB・リードンにとっては不満のつのる結果となってしまうのだが、、。       

                        

過酷なツアーとプレッシャー。メンバー間の確執。4枚目のアルバム「呪われた夜」を最後に、親友B・リードンが脱退。そして次のアルバムまでの期間に、D・フェルダーはあの歴史的名曲を自宅のテープレコーダーに録音していた、。

 「12弦ギターを爪弾くうち、ふとオープニング・コードがいくつか浮かんできた。あれこれいじる内に、なかなかクールなサウンドが形になってきた」
「ドラムマシーンを使い、12弦の音をかぶせた。ヤマ場となるセクションをジョーと僕がやるとしたら、、。ハーモニーで降下していく二つのパートを作った。それらのパートを交代に録音していった。その日の午後遅く、すべてをミックスし終わった。」 1976年7月

          

 その後アルバム「ロング・ラン」(1979)を最後に事実上の解散。1994年「ヘル・フリーゼズ・オーバー」で再開。ツアー。2000年一方的に解雇され、それに対して訴訟(2001年)。 2006年 示談成立、、。

 やはり当時聞こえていた、金銭などをめぐる噂は、本当だったようですね。「イーグルス・リミテッド」として3人対等のはずが、ドン・ヘンリー&グレン・フライとそのバックアップ・グループ、という形になっていたのですね。少々残念な結末でした、。もう一緒にプレイすることはないのでしょうね、。
 そう、「呪われた夜」のイントロとベースラインは、フェルダーが作ったのですね。知りませんでした。あの印象的なイントロが無かったら、あれほどインパクトのある曲にはならなかったと思いますよ。やはりイーグルスにとって、貢献大な存在だったと、あらためて思いました!
 ともかく「ホテル・カリフォルニア」を作ったドン・フェルダーにSALUTE!!   

           
    アナハイム・スタジアム 1975年9月 (観衆5万5千人 本文 P.231より)

望遠レンズがなかったのではっきり見えませんが、イーグルスです。ステージに椰子の木が何本かおかれて、いかにもカリフォルニアのコンサート、な感じでした。リンダ・ロンシュタット、ジャクソン・ブラウンについでイーグルス。呪われた夜、ジェームス・ディーン、オールド55など。暫くして暗くなって場内の雰囲気も最高潮になり、締めは確かテイク・イット・イージーだったと、、。そうそう、ベスト・オブ・マイ・ラブの時はカップルが皆肩を寄せ合ったりして聞いていましたね。


TIME/光の指で触れよ

2011-05-13 17:40:51 | Weblog

       

家族とは?自分とは?親であること、一人の人間であること、家族崩壊?。フランスやスコットランドでのコミュニティー体験。シュタイナー教育。風力発電。パーマカルチャーと自給自足。
 
自分の過去と向き合い、未来への指針を得る「変容のゲーム」。
ルイス島の「月の出」。 「本当に必要なものを見極めれば、それはやってくる」、、、、、。

家族のありかたなどを考えながら読んでいるうち、「時のたつのは、、」と思っているとアラン・パーソンズの「タイム」が頭に流れていました。
 コミュニティーの箇所ではかなり前に読んだ「フィンドホーンの奇跡」を思い出し、同時につい先日読んだ、震災に関する週刊誌の記事を思い浮かべていたのです。

 週刊朝日 4月22日号より抜粋
被災した人たちに過疎地に住んでもらい、その町がにぎやかになる、というのはどうですか?そこに大きなスーパーや病院を建てて。 過疎で困っている所をにぎやかに。」
 
「被災した町を再建するより、費用も半分くらいですむのでは?」
                                                萩本欽一

5月11日 日経より抜粋
 エネルギー源として、原子力は欠かせない、という。その根拠にフランスがある(全エネルギーの8割近くを原発がになっている)。 では、フランスの原発はどこにあるのか?ボルドー、ローヌ、アルザス、、、ワインの産地の近くにある。
 理由は明快。ブドウが不毛の土地を好むから。万が一原発事故が起きても、大まかに言えば、影響が及ぶのはワインだけ。
 米や海産物、農産物など、広範囲に影響が及ぶわが国とまるきり事情が違うのだ。日本の国土、地震大国という特殊事情を考えると、核エネルギーはリスクが大きすぎると思えてならない。                                   ドイツ文学者 池内 紀

                       

                               Time,flowing like a river                             
              Time,beckoning me                  
              Who knows when we shall meet again                                                                                           
               
              If ever                              

              But time keeps flowing like a river         
              To the sea,to the sea                  

                      

                                              
                               
   

 

 


若冲 The GENIUS

2011-05-10 18:17:58 | Weblog

                                 

   NHK BS 「若冲ミラクル・ワールド」 若冲の天才ぶりを確認した特集でしたね。私は十数年前に何かの雑誌の若冲特集で、初めて名前を知り、凄い人が日本にもいたのだな、と思っていたのですが、今回の放送で改めて「天才だ」と思いました!
 中でも、今回特に印象に残ったのが水墨画の「乗興舟」でした。

「空を少しのムラもない黒で表し、山の稜線はくっきりとした白。にじみのない黒が、鶴の1ミリほどの輪郭線を際立たせている」
「黒を主役にして春を描きつくした、前代未聞の版画」

版木にのりをつけ、紙を置く。紙と版木が密着するよう丹念に空気を抜いていく。
細かい部分はへらで押し込んでいく。(押し込んだ所が白く残る)
タンポのすみをつけ、紙の上から墨を乗せていく。(正面刷り、という特殊技法)
正面刷りのもう一つの魅力は、紙に微妙な凹凸(オウトツ)が生まれることである。
墨がにじまない様、ごく微量を重ねていく。
  

    
この漆黒を出す為に、墨にもこだわった。この黒の大作は、現代でも解明しきれない、若冲の技の高みを教えてくれます。

なかなか充実した番組でしたね。若冲の世界を堪能しました!涅槃図も面白いですね。彼がどんな気持ちでこれを描いたのか、話を聞けたらなあ、と思います、。 

                          


Strawberry Fields Forever

2011-05-08 14:21:18 | Weblog

       

シカゴのM夫妻から「母の日」にイチゴが送られてきました!一つおよそ卵くらいの大きさでしょうか。母もこのイチゴを楽しみにしているようで、喜んでいました。Mとはもう40年くらいの付き合いになりますかね。何かと母に気をつかってくれるので有難い限りです。感謝!!

イチゴなのでやはりこの歌を取り上げてみました。1967年の発売ですから44年前ですね。曲はもちろんですが、、プロモーション・ビデオも良かったのです!

ジョン・レノン インタビュー 

「子供の頃、友達とそこで(ストロベリー・フィールド)ぶらぶらしたり、レモネードを1ペニーで売ったりしたんだよ。そこではいつも楽しかったんだ」            

      

   歌詞の二番、no one I think is in my tree (僕の木には誰もいないと思う)
僕がここで言いたかったのは、Nobody seems to be as hip as me,therefore I must be crazy or a genious (誰も僕ほどヒップではない、つまり僕は狂っているか、さもなければ天才に違いない、ということさ)
                                                                        1980年 Playboy magazine

エピソード: 
* 2つのバージョンがレコーディングされたが、ジョンはどちらをリリースするか決められず、ジョージ・マーティンに任せた。
 マーティンはその2つが異なるキーとテンポだったので面食らった。しかし、彼は最初のパートを早くし、2番目のパートを遅くするというやりかたを見つけた。
 
 → Let me take you down,cause I'm / 編集 / Going to..strawberry Fields.

* ジョンはメロトロンでイントロを弾いた。

* ジョージ・マーティンの回想(2008年)
 「ジョンは私に、今までのビートルズのすべてをレコーディングし直すことができたらいいな、と言った。驚いて、ストロベリー・フィールドもかい?と聞くとジョンはこう答えたよ、特にストロベリー・フィールドは、と」

                 


LOVE HURTS/Kieth Richards&Norah Jones

2011-05-05 17:53:04 | Weblog

         

 雨模様のせいか、何だか気分も上がらないなあ、と思いながら、ipodをシャッフルにして自転車をスタート。そういえば右ひざがまた痛みを感じてきたのですねえ。そう、ここ数ヶ月痛みも消えていたので、先月から坂なども頑張って自転車で登っていたのですが、それがいけなかったようで、、。せっかく治った、と思っていたのにまた振り出し、というかやり直しですね。そんな事を思いながら、自転車を降りて坂を登っていたら ”Love Hurts"が流れてきました。これも久しぶりだなあ。半年以上は聞いてなかったのでは?グラム・パーソンズのは今年に入って数回聞いていますが、。
 キース・リチャーズがこれを歌っていることは知りませんでした。一昨年だったかな?たまたまYouTubeで見たので(2007 Tribute to Gram Parsons concert)これはいいな、と iTunes に入れたのですが、ノラ・ジョーンズと何だか気分良く歌っていますよね(ノラはちょっと引いているかな?)。それに声が結構出ているなあ、と思ったのですが、ま、ともかくいい味出していますよね、。

               

                              Love hurts,love scars
                           Love wounds,and mars any heart
                           Not tough or strong enough
                           To take a lot of pain
                           Love like a cloud,hold a lot of rain
                           Love hurts,ooh,,love hurts

                           Some fools think of happiness
                           Blissfulness,togetherness
                           Some fools fool themselves I guess
                           They're not fooling me

                           I know it isn't true,I know it isn't true
                           LOve is just a lie, made to make you blue

                           Love hurts,Love hurts


WHITE BIRD / Pancake House

2011-05-03 17:26:13 | Weblog

        
                  Pancake House, Portland

ヨーグルトがようやく通常の出荷量になりつつあるようで、一人一個という制限もなくなりましたね。消費量の多い我が家としては有難いです(母が好きな、少々高価なKという会社ののGというヨーグルトだけはまだ姿を見せませんが)。
 一昨日、いつもと違うスーパーに行ってみたら、何と2ℓの水がほぼ通常の値段で売られていました(一人一本でしたが)。良かったあ、と一本。ついでにチラシに載っていた冷凍のパンケーキを一つ(最後の一個でした)。このところ雑誌やテレビなどでパンケーキを良く見るので久しぶりに食べたい、と思っていたのです。味は、予想よりは美味しいかな?と。
 アメリカにいた頃、たまに友人たちと「パンケーキ・ハウス」に行ったものでした。テーブルには3、4種類のメープル・シロップが置いてあって好きなだけかけて食べましたね。特別に美味しい、というわけではないのですが、ちょっと甘いものが欲しい時に気軽に入れるのが良かったのですね。ポートランドとサンフランシスコの店のインテリアが全く同じだったのを覚えています(今でもあるのかな?)。
 サンフランシスコにしばらくいた頃、良く耳にしたのが「ホワイト・バード」でした。発売から5,6年後でしたが、土地柄か?ラジオでも良く流れていました(後で聞いた話ですが、この曲はヒット・チャート(ホット100)には上らなかったが、ディスク・ジョッキーには人気があり、ラジオでは頻繁に流されていた、ということです)。
   この歌は作者夫妻(デビッド&リンダ)が、住んでいたシアトルの屋根裏の窓から見た光景を基に書いたもので、「この詞の部分(The leaves blow across the long black road to the darkened sky and its rage)はそのまま描写した。 僕たちは金も無く、天候もひどく外に出られず、食料も底をついていた。まるで屋根裏のカゴの中の鳥、のようだった」と語っています。
 私はこのジャケットも好きなのですが、デザイン、秀逸ですよね。

       

                                 White bird,in a golden cage,
                                     On a winter's day, in a rain.

                                     The leaves blow, across the black road
                                     To the darkened skies,
                                      In its rage

                                     But the white bird just sits in her cage,
                                     Unknown

                                     White bird must fly or she will die
                                  White bird must fly or she will die


身体の言い分/ LET IT BE

2011-05-01 11:51:32 | Weblog

        


 「チャンスは向こうからやってくる。気持ちは伝染する。、おまけの人生。なるべくしてなる、、。」 なるほど、と思う話がたくさん出てきます!そのごく一部を、、。

内田 樹
「中村天風先生の教え「七戒」に
 {怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな(言われても言い返すな、取り越し苦労をするな}とある。取り越し苦労はかなり危険なもので、これは怒りや嫉妬と同じくらい人間の心身を蝕む有害なもの」

「誰の指図も受けず、己の直感に従ってまっすぐ一筋の道を歩むものだけが、まさにその時刻に、まさに他ならぬその場所に、出会うべき人と出会うために引き寄せられてくる」

池上六朗
 「人」の「為」に「善」い、と並べると、「偽善」。
「自分の為に良いように。人に迷惑をかけないように全てを処理すると、結果的に良い人でいられる」

「祖先から脈々と波打っているご縁に身を委ねると、ちょうど良いときにちょうど良い場所で、思いがけない幸運にめぐり合うことが出来る」   Right time, Right place

「ふっと思うは神の心、あれこれ思うは人の心、という言葉があります。あまり計らずに、ふっと思う時と所を得ますと、潜在していた陰の可能性{お蔭様}が、ご縁という形で向こうから顕れやってきます」
 「ご縁に身を委ねる、このことが最も合理的な生き方のような気がします」

「肩肘張った人は、生きるのに肩肘張った人である」 ということで、肩の力を抜いて、あるがままに、心身ともに自然体でありたいものですね。 

              

 When I find myself in times of trouble       僕が悩み苦しんでいると
Mother Mary comes to me                        母なるマリアがやってきて
Speaking words of wisdom,"Let it be"        知恵ある言葉を語りかける「あるがままに」

And when the night is cloudy             曇った夜も
There is still a light that shines on me       まだ僕を照らし続ける光がある
Shine on until tomorrow,Let it be               明日まで輝いておくれ「あるがままに

There will be an answer:Let it be             答えは出るのです。「あるがままに
                                                 「なすがままに」