キース・リチャーズ自伝/ LIFE

2012-06-24 08:45:43 | Weblog

                     2011

「眠りと眠りの間にサティスファクションを書いた。書いた覚えはさっぱりないが、フィリップスのカセット・プレイヤーに感謝しなくちゃな。
 頭にホーンの音を思い描き、録音のときにその音を模して付け足そうと思っていた。頭の中にはその後オーティス・レディングがやったようなリフが鳴り響いていたんだ。しかしストーンズにホーンはないから、多重録音するつもりでいた。
 ところが気が付いたら、ミネソタ州のどこかのラジオでその曲が流れていた。65年の夏だ。アンドルーがあのまま出すとは夢にも思わなかった。10日間アメリカを回っているうちに全米1位を獲得した。だからつべこべ言う気はない。教訓も得た。人はときに過剰に走る。何もかも自分好みでいいわけじゃない」

「ジャンピング・フラッシュとストリート・ファイティングマンをきっかけに、アコースティック・ギターから新しい音が得られることを発見した。アコースティックを鳴らし、音が割れるまでカセット・レコーダーのレベルを上げて再生してみると、エレクトリックみたいな音になる。
 スタジオで小さなスピーカーにカセットをつなぎ、スピーカーの前にマイクを置いて、少し幅と奥行きを出し、それからテープに録音する。これが土台になるトラックだ。
 ストリート・ファイティングマンはベース以外にエレキ楽器を使っていないし、ベースもあとから俺が多重録音したものだ。ジャンピング・フラッシュもそうだ」 

「大きな発見があったのは1968年の終わりか、69年の初め、五弦のオープン・チューニングを始めたときだった。あれが俺の人生を変えた。
 ストーンズの有名な曲とリフにもあの奏法が使われている。ホンキー・トンク・ウイメン、ブラウン・シュガー、タンブリング・ダイス、ハッピー、スタート・ミー・アップ、サティスファクション、フラッシュにも使った」

「オープンのメジャー・チューニングでマイナー・コードを弾くなんて誰も考えていなかった。
指を置く必要のない場所がごまんとあるのに気が付いた。
 夢中になってギターを学習しなおした。気持ちが奮い立つ感じがした」

「面識のあるミュージシャンで音楽に対する姿勢を俺と同じくしていた人間が二人いた。グラム・パーソンズとジョン・レノンだ」
                                       

 厚い本で(621ページ)すが、面白く読み終えました。麻薬がらみのところは少々辟易気味になってきて途中からかなり飛ばしてページを進めたのでしたが。それにしても女性、ドラッグ、そして家族との旅行でさえ何かが起こる、普通じゃない日々!彼のメンタルのタフさは計り知れないな、ともあらためて思いましたよ。
 それにしても「俺が見てなかったら、バスの下敷きになったり、自分を便器に流しただろう」とか「時をさかのぼれるなら、蝿になってあそこの壁にとまりたいくらいの気持ちだ」などなど、、、言い回しの豊かなこと!


氷山の南

2012-06-17 09:04:30 | Weblog

                 

ニュージーランドの高校を卒業したばかりの日本人少年が、南極へ向かう船に乗り込み、密航する。
船内の厨房手伝いと船の新聞発行の仕事をすることで同行を許される。

「中・高校と僕の周りは誰もがゲームに熱をあげていた。
ゲームがなぜつまらないか?
閉鎖系の中での応答にすぎないからだよ。全部、人間が作ったシステムの中での冒険ごっこ。
いわば右手と左手が争うような、延々と遠回りして結局は元のところに戻るしかないような、不毛な営みです」

オーストラリアの荒野でアボリジニのトミー老人に何を見ているの?と訪ねると、
「お前に見えているものと同じものだよ。 朝起きて、まず部屋の中を見るだろう?何も変わっていないことを確かめる。
 見てないとダメなんだよ。自分のカントリーは放っておくと荒れるだろう、ものは散らかるし、埃はたまるし、カントリーも同じだよ」

「星空は天空のカントリーだ。地上のカントリーを人が巡るように天空のカントリーを星が巡る。
その星々を自分がこうして見ている。見る自分と見られる星空の関係はそのまま逆転出来る。星もこちらを見ている。無数の星の一つがこちらの視線を手繰り寄せる。一本の光の糸が張り渡せる。
あの一つの星は人間に見られていることを喜び、ちゃんと見返している。 対等の関係だ。
そこでようやくトミーが言ったことがわかった、と思った。
人が歩くことでカントリーは生命の息吹を吹き込まれる。また人はカントリーによって生きる力を与えられる」

「アイシストは小さなコミュニティーを目指すことを提唱します。社会を本当に凍結するのではなく、社会を冷却する。加熱した経済を冷まして、投機を控え、みんなで静かに暮らす。

石油を使い尽くしたら次は何ですか?自然からどんどん遠くなって、その分だけ危なっかしくなる。だから文明全体をもう少し冷却したほうがいい。そのためには個人が心を冷やすこと。静かな生活の中に静かな喜びを見出す。氷はその象徴です」

 これは冒険小説の範疇に入るのかな?密航し、パン焼き、船内新聞記者として働く少年の見聞記の体裁で進むうちに、今私たちが直面している自然に対する科学技術の問題を考えさせます。
 アイシストの提言を読むうちに、本当にある組織なのか、と思ってしまうほどでしたね。
そう、主人公と仲良くなるアイリーンにちょっと会ってみたくなりました、、。


ホッパー/House By the Railroad

2012-06-13 16:59:13 | Weblog

          
           1925                          モデルとなった家

ニューヨーク MOMA のコレクション第一号。

「この絵が今でも人々を魅了するのは、とてもミステリアスだから」

「アメリカ映画を見ているような親近感を抱くことでしょう」

「この絵に描かれている家は、19世紀後半に流行した、アメリカヴィクトリア様式と呼ばれるもので、
ニューヨーク北の東海岸に多く建てられた」

「この家は1885年に建てられた。
1925年、この家に暮らしていた娘さんが二階から、ホッパーがこの家を描いている姿を見ている」

                 1960

 映画 「サイコ」に登場する古い家はエドワード・ホッパーの「線路脇の家」を唯一のインスピレーションとした。
                                                   ヒチコック

「線路は新しい時代の象徴として描かれ、家は取り残された古い時代のもの、として描かれています。ホッパーは作品を描くとき、実際の風景から色々なものを省略したり、足したり、移動させたりするのですが、この作品は線路を上に移動させることにより、家の孤立感を強調したかったのだと思います」
                                          美術評論家 アビス・ベルマン
                         以上「美の巨人たち」より

録画しておいたのをやっと見ました。この「線路わきの家」はあまり注目していなかったのですが、説明を聞くとなかなか興味深いですね。シカゴ美術館で買ったTシャツに、彼のサインがあったはず、と、、これですね。

        
 
     画家のサインでデザインされたTシャツ。一番下の列にホッパーのサイン(右隣はシャガール)。

 


Living in the material world/素顔のジョージ・ハリスン

2012-06-10 09:15:14 | Weblog

        2011        1968 スタークラブ

 ジョージの幼少から晩年までの写真集。
爆撃後のリバプール(1940年代)、家族との写真、ハガキ、手紙、そしてビートルズのドイツ、キャバーン・クラブ時代、ディラン、クラプトンたちとの交友からは彼の人となりが伺えます。
(ワイト島でディランとテニスをしている写真もありますね!初めて見ました)
                        

「誰もがまさに今、この瞬間の行動を自分でコントロールしているけれども、現在の自分は結局のところ過去の行いの所産であり、未来の自分は現在の行いによって決まっていくと僕は考えている。
だからある種の事柄は不可避的に起こってしまうんだ。そうなるとは分からなかったとしても、僕がビートルズの一員になってしまったようにね」

 「人はみな自らの力で内面を理解する方法を見つけなければならない。そのためにこの地球上に存在しているのだと確信している。もう一度学び直すようなものだ。
 つまり、魂はそれぞれ潜在的に神聖なもので、目指すゴールはその神聖なものを明らかにすること。
それ以外のすべてのことは二の次でいい」        ジョージ・ハリスン

                                           
 
「当初、ジョージと友達になって得したと思ったことは、この途方もない創造性の太陽の光を気持ちよく浴びているようなものだってことだ。それなりに自分では有名なつもりでも、彼と一緒に出ると、ただの人になってしまう。ビートルズのオーラに触れた人の行動は想像を絶するものだったよ」

                      
 「うららかな春の朝だった。確か4月ころだったと思う。僕らは僕の庭をギターを持ってただ歩いていたんだ。太陽が輝いていて、実に清々しい朝だった。するとジョージが歌い始めたんだ "Here comes the sun"を。あの出だしのフレーズだ。僕は曲が出来上がるのをじっと見ていたよ。ジョージの名曲が僕の庭で生まれたことをとても誇りに思っている」     エリック・クラプトン 

             1968 ウッドストック

「ボブの言動はショービジネスがみんなで束になってもできないようなことをやってのけた、と僕は思う。60年代の曲を1曲取り上げてみても、その後の20年間や30年間でみんなが伝えたことよりももっと意味深いことを言っている。ある意味で彼は僕のヒーローだね。ラヴィといるときと同じように、二人のお陰で人生が豊かになったことには、心から感謝したい」  ジョージ・ハリスン

               

「ジョージは自分自身のことは話したがらない人だから、写真で生きていた歳月をなぞることにしたの。彼の人生は偶然だけであんなに魅力的になっていたわけではないわ。とても努力したし、好奇心一杯で積極的に行動した。 ジョージにとって、人生は奥深い意味の探求だった」  オリビア・ハリスン 

            

                   暗闇は夜の間だけのこと
                   朝が来れば消え去ってしまう
                   時がきて日の光がすべて照らしてくれる
                   いつまでもこんなに暗く陰鬱なわけではない
                   オール・シングス・マスト・パス
                   あらゆるものは通りすぎてゆくのだから


George Martin/ザ・プロデューサー

2012-06-06 16:56:47 | Weblog

       

BSーNHK でジョージ・マーティン。ポールとリンゴもそれぞれG.マーティンと対話して思い出など語っていましたが、なかなか良い番組でしたね。
 イギリスで放映された番組をNHKで編集して放送、と新聞に書いてありましたが、オリジナル版も見たいですねえ。

 「アビーロードにあるEMIのスタジオに面接に来てほしい、と手紙が来た。EMIのことは聞いたことがなかった。 ともかく私は職を得た」

 Yesterday
 「シンプルだが、効果的なアレンジだと思う。シンプルだからこそいい。
アレンジは数時間で終わった」
  
              
       

「ポールは音楽自体に大きく興味を持っていた。ジョンは言葉に興味を持っていた。
それを互いにピンポン球のように打ち合うことで二人の関係はより良いものになっていったと思う」

「ポールは常にジョンのように歌詞を書きたいと思い、ジョンはポールの作曲の才能をうらやましく思っていた」
Can't buy me love.
 「私はポールにもっとインパクトがある入り方をした方がいいと言った。
彼がどうしたらいい?と聞いたので、私はコーラスを頭に持ってきたら、と付け加えた」
 
          

「私はいつもジョージを励まし、アルバムに1曲は彼の曲を入れるようにした。
ジョージはそれに答えるように素晴らしい曲を書くようになった。
サムシングはこれまでにない、最高のラブソングの一つだ」
      
                       

         「幸運だから年をとるのだ。明日は分からないから、毎日を精一杯生きる。
             私はそんなふうに考える」
             
                  


笑い三年、泣き三月

2012-06-03 07:44:47 | Weblog

         2011

 昭和の初め、戦後の復興期の東京で家族を失った少年が、一旗上げるべく上野に降り立った中年の芸人と知り合い、共に必死で生きていく。
 
 家族の中で、一人生き残ったことに負いめを抱える少年を「坊ちゃんはすごかー、素敵な子よ」と暖かく包む善さん。復員兵のミっチャンと3人がふう子の住むぼろアパートで共同生活をする。 
少年と善さんをとりまく人間模様。 

 「風化するはずないじゃない、あんなひどい戦争が。
        でもちょっとは忘れないと、進めないじゃない」

 「人間、笑いたい時に笑えて、泣きたいときに泣けたら、
           だあれも映画や実演なんか観ようとは思わないのよ」

            「どうぞお陽気に~、、」

 参考文献の多いこと!だからこそ当時の空気がリアルに伝わってくるのでしょうね。
誰もが空腹を抱えていた時代だけに、卵を食べる場面は切ないです!

「卵じゃないの! 卵、、、、卵ご飯!

気を落ち着けるため深呼吸する。それから慎重に箸で一口分をすくい、ゆっくり口に含んだ。
だが、緊張しすぎたのか味がよくわからない。もう一口、今度はたっぷり頬ばった」

  貧しいが暖かい人たちがいましたね、、、、。