1962 1965
「僕について知りたければ、表面だけ見ればいいよ。裏側には何もないから」
NHK BSより
「2011年5月、クリスティーズで自画像が3840万ドル(31億円)で落札された」
兄 「何でスープ缶を描いたのか、と聞くと毎日家族で食べていたからだよ、と言ったよ。我が家の昼はいつもあのスープだったんだ。アンディーは特にトマトとチキンがお気に入りだった」
ピッツバーグのウォーホル美術舘で資料を調べると
「スープ製品の資料リストがあり、ウォーホルは仕上げたものにチェックを入れていた。
多量のスープ缶の写真があり、缶をつぶしたり重ねたり、様々な角度から撮影していた。
写真の文字を正確に切り抜いていた。それを基に文字の型紙を作ったのです。
文字の配置から見ると、「TOMATO」が他の文字のカーブと微妙に違う。多くの資料を検証し、結局キャンベル社が当時使用していた、封筒に印刷されている缶のデザインを使ったことが判明した」
ウォーホルは毎週教会に通っていた。
「スープ缶の蓋の部分は他の箇所より、より立体的に描いてある。これは宗教画にある、光の輪を意味するのでは」
カラー・キャンベル
「当時はベトナム戦争が。その時代の空気から、教会のステンドグラスから差し込む光を表しているのでは」 千住 博
「60年代はみんなが皆に興味を持った。
70年代はみんなが皆を捨てた。
60年代はごったがえしていた。
70年代は空、だった」 Wahol
camouflage Last Supper 1986(一部)
「迷彩は戦争のイメージ。晩餐は神。激しい対比。
迷彩模様で人々の顔だけ活かし、他の部分は迷彩柄で消している。絶妙な構成で、恐れおののく顔だけをクローズアップしている。この絵の人々が、こんなに恐怖に怯えた顔をしていたことは今日初めて知りました。ダヴィンチの描いた絵の持っている意味が、強烈に浮かび上がってきた気がする」 千住 博
Edie Sedgwick
ボブ・ディランは65年頃、ウォホルのファクトリーを訪ねていたようです。
そこで会ったイーディ・セジウィックに触発されて「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」を書いた、と言う説がありますね(イーディとジョーン・バエズの事だ、という話もありますが)。
She takes just like a woman 彼女はいかにも女性のようにふるまう
She makes love just like a woman いかにも女性のように愛し合う
And she aches just like a woman そしていかにも女性のように苦しむ
But she breaks just like a little girl でもまさしく、少女のように壊してしまう