Andy Wahol/Just Like a Woman

2011-07-25 17:05:55 | Weblog

          1962           1965

    「僕について知りたければ、表面だけ見ればいいよ。裏側には何もないから」

NHK BSより
「2011年5月、クリスティーズで自画像が3840万ドル(31億円)で落札された」

兄 「何でスープ缶を描いたのか、と聞くと毎日家族で食べていたからだよ、と言ったよ。我が家の昼はいつもあのスープだったんだ。アンディーは特にトマトとチキンがお気に入りだった」

ピッツバーグのウォーホル美術舘で資料を調べると
 「スープ製品の資料リストがあり、ウォーホルは仕上げたものにチェックを入れていた。
 多量のスープ缶の写真があり、缶をつぶしたり重ねたり、様々な角度から撮影していた。

 写真の文字を正確に切り抜いていた。それを基に文字の型紙を作ったのです。

 文字の配置から見ると、「TOMATO」が他の文字のカーブと微妙に違う。多くの資料を検証し、結局キャンベル社が当時使用していた、封筒に印刷されている缶のデザインを使ったことが判明した」

ウォーホルは毎週教会に通っていた。
「スープ缶の蓋の部分は他の箇所より、より立体的に描いてある。これは宗教画にある、光の輪を意味するのでは」

カラー・キャンベル  
 「当時はベトナム戦争が。その時代の空気から、教会のステンドグラスから差し込む光を表しているのでは」 千住 博

                      「60年代はみんなが皆に興味を持った。
                       70年代はみんなが皆を捨てた。

                      60年代はごったがえしていた。
                      70年代は空、だった」      Wahol

                     
                                     camouflage Last Supper 1986(一部)             
                                     

  「迷彩は戦争のイメージ。晩餐は神。激しい対比
 迷彩模様で人々の顔だけ活かし、他の部分は迷彩柄で消している。絶妙な構成で、恐れおののく顔だけをクローズアップしている。この絵の人々が、こんなに恐怖に怯えた顔をしていたことは今日初めて知りました。ダヴィンチの描いた絵の持っている意味が、強烈に浮かび上がってきた気がする」 千住 博

 
            
    
              Edie Sedgwick                                       

 ボブ・ディランは65年頃、ウォホルのファクトリーを訪ねていたようです。
そこで会ったイーディ・セジウィックに触発されて「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」を書いた、と言う説がありますね(イーディとジョーン・バエズの事だ、という話もありますが)。
                           
She takes just like a woman                       彼女はいかにも女性のようにふるまう
She makes love just like a woman       いかにも女性のように愛し合う
And she aches just like a woman        そしていかにも女性のように苦しむ
But she breaks just like a little girl       でもまさしく、少女のように壊してしまう