Because

2006-12-31 19:47:31 | Weblog
     
     
1年の締めくくりを、そして明日からの新しい年のスタートを、何とも美しいハーモニーと言葉の、ビコーズで、。ジョンはベートーベンの「月光」から曲のヒントを得たようですが、ビートルズのレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリックの本「ザ・ビートルズ・サウンド」によると、「ジョン、ポール、ジョージの3人はオーバー・ダビングでなく三部のハーモニーを生でレコーディングした。スタジオの証明をぎりぎりまで低く落とし、半円形に並び、何度も繰り返し(多分三種類の三部ハーモニーを2,30回は)歌った。問題はピッチでなく、フレージングだった。一つ一つの言葉を全く同時にスタートさせて、最初から最後まで歌いきることがひどく難しかったのだ。全員が真剣に集中していた。その日僕が目にしていたのはまさに極上のビートルズだった。全員が100%の力を注ぎ、心を一つにして(ここ何年か欠けていた)完璧なボーカルを録ろうとしていた。」 
                          
 
              

                Because the world is round
                It turns me on
                Because the world is round

                Ah Because the wind is high
                It blows my mind
                Because the wind is high
                
                Oh,Love is old,love is new
                Love is old,love is you

                Because the sky is blue
                It makes me cry
                Because the the sky is blue

I left my heart in San Francisco

2006-12-29 23:04:45 | Weblog
     

T・ベネットのこの歌を聞いて、サンフランシスコに初めて行ったときの事を思い出しました。日本に帰る前に寄っておこう、と空港から一先ずダウンタウン行きのリムジン(乗り合いバス)に乗り、ダウンタウンの目星をつけていた辺りで降りてYMCAを捜し、チェック・イン。翌日はケーブル・カーで何箇所かを観光。その次の日でしたか、朝ユニオン・パーク近くのレストランでブレック・ファースト・メニューのトースト、卵、コーヒーをカウンターで食べながら地元の新聞のアパート情報ページを見ていたら(1ヶ月くらい暮らそうか、と思い)、隣にいた年の頃30歳くらいの男性が話しかけてきました。「部屋を捜しているの?」。そこから自己紹介やら色々話をして「良ければ私の家に」と。部屋はある、というのですがやはり慎重に、と電話番号だけ聞いて別れたのですが、、、。結局翌日から彼の家に居候して1ヵ月ほどS.Fに滞在したのでした(良い人だったのでラッキーでしたが、今思うとちょっとキケンですねえ)。毎日ケーブル・カーでダウン・タウンやフィッシャーマンズ・ウォーフなどに行きました。メイシーズ前のドラッグ・ストアーでよくクラム・チャウダーをオーダーしたのですが、必ずクッキーが付いていたのが思い出されます。地元の人たちはクッキーを崩してスープに入れて食べていましたね。まだ他にも思い出しましたが、次回にしましょう。

               

Like a Rolling Stone

2006-12-21 22:45:32 | Weblog
CMや番組の中で使われる曲に「懐かしい」と思う曲がよく使われているのですが、何でこの場面でこの曲?と思うことも多く、今日はゴルフのレッスン番組で「ライク・ア・ローリング・ストーン」が流されていました。何を考えているのか(何も考えていないのでしょうね)全く理解できません、が、久しぶりに耳にしたのでしばらく聞いていました。ディランは何回かコンサートに行ってますが、この歌はいつ聞いてもいいですね。もっとも私にとってはザ・バンドとのライブが最高で、邦題は確か「偉大なる復活」でしたか、、。そのDVDがいつか発売されないか、と(そう思いながら海賊版DVDの情報を時々チェックしています)期待しているのですが。
   
           

                  "How does it feel?"

New York State on my Mind

2006-12-20 22:38:38 | Weblog
               

N.Y チャイナタウンがTV画面に。私が初めて行ったのが寒い、寒い1月でした。グリニッチ・ビレッジ、ワシントン・スクウェアー、チャイナ・タウン、国連!5番街を散歩してあまりの寒さに路上店でニット帽を買い、5分~10分毎に本屋などに入って暖をとり(口ひげが凍ってしまい、暖かい所に入るとそれが溶けてきて鼻の下がムズムズしました)ながらでしたが「ティファニー」も覗いておこうか、と入ったのですが、何だか落ち着かなくてすぐ出てしまいました。通りから少し入った所の小さなカウンターだけの店に入り、とりあえず暖かいのが飲みたくて「Cocoa]と言ったら「Chocolate」?と聞き返されて、。座っている人たちはいわゆるブルーワーカーのような服装や雰囲気で、5番街を歩いている人たちとは違う感じで、妙にほっとした気分になりましたね。お腹もすいていたのでメニューにあった「カントリー・オムレツ」を頼んでみるとグリーン・ピースやにんじんのダイスカットが入っているオムレツでした!ビリー・ジョエルのこの歌や、S・ガーファンケルの「ニュー・ヨーク」などを聞くと泊まっていたYMCAやビレッジが頭に浮かぶのです。

           

One of these Nights

2006-12-17 22:58:46 | Weblog
湯治場に食料品を車で売る画面をTVで見ていたら、L.Aでの夜の英語学校を思い出しました!アメリカにはAdult school(いわゆる成人のための講座学級)と言う、公立高校の放課後の教室で教えるというシステムがあり、そこには絵画、ピアノ、ギター、外国語、など、日本のカルチャー・スクールのようなメニュー(しかも廉価、確か1学期で数百円)を受けられる講座があり、私はその中の「英語講座」を受けていたのです。このクラスはアメリカに移住してきた人の為に設けられたクラスなのですが、もちろん私たちのような留学生もウエルカムでレベルが初級~上級まで4クラスでしたかね?クラスメイトにはベトナム戦争帰りの元メキシコ人や、某国からの亡命者などがいてにぎやかでしたが、休み時間(確か7時半頃)に校舎外の庭に出ると、荷台がショーケースになっている車が来ていて、そこでコーヒーを買って15分ほどの休み時間を教師や、クラスメイトと話したりして過ごすのが毎晩の習慣だったのです。たまたまアパートから歩いて5分程度の所だったのですが、半年くらい通ったでしょうか、、。そこで知り合った日系の教師Mr.M.Nとはプライベイトでも付き合いが合ったのですが、こちらの引越しやら彼の転職などで連絡を取れなくなって、それ以来音信不通になってしまいました。イーグルスの「呪われた夜」の翌年の事ですが、ラジオからはよくこの曲(他の曲もですが)がかかっていました。
今でもイントロを聞くとあの頃の色々な情景が浮かんできます。
      
    

St.Louis Blues

2006-12-16 22:39:46 | Weblog
この曲名を(メロディーも)数十年ぶりに聞いた気がします。TVドラマの1シーンでした。私が子供の頃、家に蓄音機があって(レバーを回して聞く)SPレコードが20枚ほど?あったのですが、その1枚に「セントルイス・ブルース」があったのを思い出しました。演奏者までは覚えていませんが、。この蓄音機の蓋を「ゆっくり」開け、レコードをセットし、ハンドルを回し、そして針をそっと下ろす、、。レコードと蓄音機のある種、埃っぽい匂いが記憶によみがえって来ました。「少年サンデー」「野球少年」「寺田ヒロオの野球まんが」などなど、。おばさん(母の妹)が連れて行ってくれた六大学野球の慶応対、、の神宮球場。慶応のピッチャーは後に巨人で活躍した藤田選手でした!そのおばさんが誕生日にプレゼントしてくれた、グローブ、バット(よく部屋で架空放送をしながらバットを振っていました)、。バットはもうありませんが、グローブは今もこの部屋にあります!良き昭和の思い出ですね、、。

            

I’m a Man.

2006-12-14 23:08:37 | Weblog
E.クラプトンの記事を読んでいたら、スティーブ・ウインウッドの声が聞こえてきました。が、ブラインド・フェイスではなくスペンサー・デイビス・グループだったのですが。あの頃、たまにFENをカセットに取っていたのですが、オルガンとボーカルの印象的な曲がよく流れていて、それがスペンサー・デイビス・グループだったのです。”I’m a Man”や  ”Gimme some Lovin’”は何だかわからないのですがゾクゾクするような気持ちで聞いていました。’68か’69年頃でしょうか?今でもこの曲がラジオから(AFNに変わりましたが)流れてくると、、いいですねえ。もっと評価されて良いグループだと思うのですが、、。そう、ブラインド・フェイスでは「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」がけっこう好きでしたね!

                

The First Noel

2006-12-11 22:36:07 | Weblog
           デパートなどでも、先月下旬にはクリスマスの歌が流れていて「早すぎるよ」と思っていたのですが、12月も第2週に入って、我が家もクリスマスカードや小物を少し置いて、いよいよ年末の気配ですね。車の中や誰もいない部屋で、昨年作成したマイ・フェイバリット・クリスマス曲集のCDをかけて、「敬虔な気持ち」?を思い出しています。賛美歌の「荒野のはてに」は何とも美しい「Gl-ori-a]のコーラスが、いつ聞いても胸に沁みて来ます。特に気に入っているのはナイロンズの「ザ・ファースト・ノエル」。このハーモニーが大好きで、ボリュームを上げて浸っています。ナイロンズのクリスマス曲アルバムはお勧めですよ!そう、Kenny Gのクリスマス・アルバムも味わい深いですね。もう2週間ほどこれらの「クリスマス・キャロル」の世界に浸って年末に向かいましょうか、、?、、。

            

It makes no difference

2006-12-10 22:51:30 | Weblog
   
暖かいので、日中ベランダのガラスドアを外して水洗いをしていると、この「バンド」の歌、リック・ダンコの声とロビー・ロバートソンのギターが繰り返し頭の中で鳴っています。洗い終わる迄の1時間ほどほぼ絶え間なく、特にR.ロバートソンのソロが何度も何度も流れて、グリフィス・シアターでのコンサートを思い出しました。夏の夜、グリフィス・パーク(「理由無き反抗」にも出てくる天文台のある野外会場)でのライブで’76年の8月?でしたか、、。今思えば、私にとって最初で最後のオリジナルメンバー「バンド」のコンサートでしたが、非常に出来の良いステージでした。LAタイムスの評も良かったことを記憶しています。そうだ、席に着いて間もなく「グラス」が回って来ましたね(どの会場でもですが)。会場を出るとき、アーサー・ガーファンクルが誰かと立ち話をしている横を通り抜けたのですが、誰も気に留めないというか、サインなど求めないのが(街中でも)当時のLAでした。

               

                   

In My Life

2006-12-09 23:32:43 | Weblog
久しぶりに何の予定もない一日で、午前から未処理の書類やDMをシュレッダーに。1時過ぎにTBSラジオで「LOVE]を特集する、というのでONしました。片付けをしながらしばらく聞いていたのですが(1時20分~2時頃まで)ビートルズとは関係ない話やCMが長くて「ゲット・バック」と「ヒヤ・カムズ・ザ・サン」だけ聞いて切ってしまいました。何だかなあ、と思いながら、、、。机の周辺を片付けていると手紙やら、グリーティング・カードなどが出てきて、色々なことを思い出しながら処理している内、気が付くと「イン・マイ・ライフ」が。ジョンがこの曲を書いたのは確か20代前半ですよね?、、、シンミりです、、。
           

All these places had their moments
With lovers and friends I still can recall
 
Some are dead and some are living
in my life I've loved them all 

There are all these friends and lovers
There is no one compare with you,,,,


in my life I'll love you more
in my life I'll love you more

Oh my Love

2006-12-08 23:01:27 | Weblog
                
TV番組にビートルズやイマジンのタイトルがあります。あの日、私は確か仕事をしていて何処かで「ジョンが撃たれた」というニュースを聞いたのです。夜のニュースでは「スタンド・バイ・ミー」のビデオを流していました。何とも言えない重い気分で見ていたのですが、、。今日は外を歩きながらずっとこの曲が聞こえています。


           Oh my love for the first time in my life
           My eyes are wide open,,

           I see the clouds, I see the sky
           Everything is clear in our world 

           I feel sorrow,I feel deams
           Everything is clear in my heart  

           I feel life,I feel love
           Everything is clear in our world     

 俳句に影響を受けた、と言ってましたね、。シンプルで、でも(だからこそ?)心の奥深くに浸み通る歌詞です。 合掌


Lately

2006-12-07 22:19:16 | Weblog
朝、新聞を開くと「スティービー・ワンダー来日公演」の広告が!来年の2月にですか、、。以前見たのは武道館ですが、、もう25年ほど前だったかなあ。たちまち頭の中で「レイトリー」が聞こえてきました。今日1日、何度もこの曲が浮かんできます。
「最近、はっきりとした理由はないけれど、君を失うような、妙な気持ちが、、」という歌詞が、色々な別れを思い浮かばせます。恋人との別れではなくても、子供が手を離れて巣立って行ったり、独立したり、あるいは子供の反抗期のときや、教え子が自分なりに考えられるようになってこちらのアドバイスをうるさく思うような時期に感じるある種の寂しさ、など独り立ちしようとする人を静かに見ている自分がこの歌詞の中に(本来の歌詞の内容とは違いますが)います。”I’m a man of many wishes,,”何ともベース・ギターが、、実にいいですよねえ。この曲をいっそう味わい深いものにしてると思います。



”Cause this time could mean good-bye”,,,,. 

On my Own

2006-12-06 21:20:47 | Weblog
目覚めようとしている頭の中で「オン・マイ・オウン」が聞こえている。初期のドゥービー・ブラザーズはヒットした「リッスン・トゥー・ザ・ミュージック」「ブラック・ウォーター」程度しか知らなかったのですが、私にとってはドゥービーと言えばやはりマイケル・マクドナルドのいるドゥービーという印象が強いですね。L.A、である午後TVを見ていたら彼らがゲストでした(日本でいうワイド・ショー)。インタビューをはさんで何曲か(何を歌ったか、はっきりとは覚えていないのですが確かWhat a fool believes など)歌ってました。もっともライブではないですけどね。それから何年くらいだったかしてこの「オン・マイ・オウン」がヒットして久しぶりに彼の声を聞いたのですが、レコーディングではパティー・ラベルとは顔を合わせることなく別々に吹き込んだ、と聞いた記憶がありますが、息の合ったハーモニーですよね。

                 

It never rains in Southern California

2006-12-03 20:35:19 | Weblog
    
アルバート・ハモンドがTVから聞こえてきました!「南カリフォーニアには雨は降らない、でも土砂降りもあるよ」って、そうですね。めったに降らないので快適なのですが、L・Aにいた頃あるとき何処か(モンタレー?)へ行っての帰り,もうすぐL.Aという辺りで雨が降ってきて結構強くなってきました。すると道に雨が溜まってしまい(殆ど降らないので、道も強い雨の対策を想定していない)街中に入った所で、ダッジ・バンのタイヤが埋まるか?くらいの水溜りもあって、何とか通り過ぎたらエンジンの音がだんだん元気がなくなってきて、、とうとう動かなくなってしまったのです。仕方なくトー・トラック(牽引車)を呼んだのですが、確かに「めったに雨は降らないが、降る時は土砂降りさ」を実感したのでした。
 そう5年ほど前、中3の甥っ子と久しぶりにL.Aを訪れた際、「ユニバーサル・スタジオ」に行き「ジュラシック・パーク」に入場したのですが、

       
 まだ朝の内のためか(11時頃)我々が1番客で、水よけのコートを借りる暇もなく「あっというまに」ボートの最前列に。ま、いいかと乗ったのですが降りかかる水が半端でなく、降りたら上半身はほぼビショ濡れに近くて、カフェテリアでランチを買って陽の当たるテーブルで食べながら、脱いだシャツを椅子に掛けて乾かしたのでした。

Led Zeppelin

2006-12-02 22:05:09 | Weblog
       

図書館に行ったら、ツェッペリンのファーストが新入荷の棚にありました。プレイヤーがCD,MDになってからはツェッペリンを聞く機会は殆ど無かったので、かなり懐かしかったのです。このレコードの発表は1968年というから、もう38年前なのですね。このレコードを聴いた時はビートルズ以来の衝撃でした。ラジオで数曲聴いてすぐに買ったのですが”I’m gonna leave you”や”Dazed and Confused””Communication Breakdown””How many more Times”などハード・ロックにアコースティック・ギターなど今まで聞いたことの無かった組み合わせも何の違和感もなく入ってきて、暫くはこればかり聞いていたものです。私にとってはハード・ロックの原点とも言えるアルバム、グループですね。武道館で見たのはその何年後でしたか、、。「ロックンロール」「天国への階段」を聞いた記憶があるので72年ころかなあ。演奏が終わり私はアリーナを出て館内をステージ方向へ歩いて行くと確か右側にTVが何台かある部屋があり、画面にステージが映っていたと思うのです。ライブを撮っているんだ、、と思いながら、もうすこし歩くと何と左の階段(ステージに通じる?)からジミー・ページが!すぐに姿はみえなくなったのですが、、。今では何で私がそちらへ行ったのか全く憶えていないのですが、。あの時のビデオがDVDで出てこないでしょうか、、、?