こんな政治家ならいらない

2012-11-25 12:38:34 | Weblog

 朝日新聞11月20日より 抜粋

時々、今の日本社会に政治家って本当に必要不可欠なのか、考えれば考えるほど分からなくなることがあって」

「しっかりした官僚組織があって、調査報道メディアやウォッチドッグ(監視)団体などがこれをチェックし、民間企業が頑張れば、政治家がいなくても機能していくのではないか」

「民主党政権は、完了が悪い、政治家が主導する、と言いました。でも現実は政局とかパフォーマンス、場当り的な対応を繰り返し現場を混乱させ、民意に背いてきた印象を受けます」

「今回の米大統領選挙を見て実感したのは、政治家とは社会の様々な集団や人々をつなぐ、あるいは鼓舞するある種のストーリー(物語)をつむぎ、与える存在だということです」

「私だって本当は政治家に期待したい。でも失望しないように、どんどん期待値を下げている自分がいます」

「政治家本人も、もし今の自分を若い頃の自分が見たらどう思うのか、一度じっくり考えてほしい。自分はどういう言葉が足りないのか、自覚しているのかな、と思いますね」

「大事なのは熟議した結果を人々にどう伝え、いろいろな集団や組織をどう動かすか。経験に裏打ちされた重い言葉や行動こそが、人々を動かすはずです」

「日本がこれから目指すべき社会のモデルは欧米にもないし、アジアにも見当たりません。自分で探したり作ったりしないといけない。かつての、自明だと思っていた頃に比べて、ハードルは確実に高くなっています」

「日本は東南アジアで、国際社会のルールをどうやった作っていくか。複雑な力学が働いている中で。どう衝突を回避するか、関係を支えるネットワークやセーフティーネットをどう作るか」

「大事なことは、日本はどういう世界を目指すのか。世界とどう関わっていくのか、それを世界にわかる形で示すことです。外から何かを求めてきたからその対処策を議論するだけではなく、こちらから別の案、ないしストーリーを提示する。こちらから新しい秩序や枠組みを作ろう働きかける」

「有権者もメディアもいつのまにか永田町の政治家と同じ目線で見ているとしたら、困ったことです。気づかないうちに自分も永田町の住民のようになっていないか。これは自覚してほしい」
                                               文化人類学者 渡辺 靖

 脱原発派と原発推進派が合流して、原発に関しては沈黙のようですが、永田町の論理では「有り」ということですか?


侮辱のなかに生きるわたしたち

2012-11-21 18:53:39 | Weblog

   侮辱とは極めて強い言葉です。ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は侮辱されています。

 「わたしらは侮辱のなかに生きています」 中野重治

中野重治が実体験として記した侮辱という言葉、また大江健三郎が原発に反対する集会で引用した侮辱という言葉、その意味は言うまでもないでしょう。
 権力が民衆を、国家が国民をほとんど人間扱いしていないのではないか。

 東電は、原発事故時のテレビ会議を新たに公開した。
その中に自動車のバッテリーを集める、というやりとりがあった。バッテリーをつないで電源を確保しようというのです。しかも足りなくて、買うお金にも困る。
 備えも何もなかった。これを知った福島の被災者らはどう思うでしょう。

東電も国もその程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。住民の守り方とはそのぐらいのものだったのか、。
 侮辱は継続しています。

 原発で言えば、大飯の再稼働は、ろくな検証もなく、電気が足りなくなりそうだ、という理由だけで決まり、国民の安全にかかる問題なのに、これほど非民主的な決定は前例がないのです。

 国民は、自分の権利の蹂躙を痛々しく感じているのです。政治に侮辱されている。
その状況を変えるには何より「変えよう」という意見を各人が持つことです。
デモや集会はその表れの一つであり、選挙はその重要な手段です。

 戦う相手は、広範でしかも悪賢く、しっぽすらつかませないかもしれません。
政財界などにまたがるモヤモヤとした霧のようなものかもしれない。
                                         東京新聞 11月18日社説より抜粋


 世論調査で優位を予想されるいくつかの党はことごとく原発維持のようです。国民の8割が原発に反対、と報道がありましたが、、。脱原発を公約にする政党も『小異を捨て大同につく』で合流したらどうなりますかね? 


ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗

2012-11-18 19:33:58 | Weblog

            
         1964年

 あまり期待せずに録画しておいたBS日テレ「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」を見たら、なんとドラマ仕立ての巨人軍の映画でした。これは知らなかったなあ。
 長嶋選手の箱根でのトレーニングから始まって、川上監督、藤田、広岡、国松、柴田、王、など昭和 38年のペナントレース、対西鉄との日本シリーズまでを、各選手がセリフもこなし作られていましたが、映画としての出来はともかく、シーズン中や日本シリーズの実際の試合の模様を見られたのは懐かしく嬉しかったですねえ。
 あの頃は招待券をよくもらって後楽園球場へ行ったのですが、1塁側の内野席でしたね。野球少年だった頃をしばし思い出しました。

      

 

         
                       多摩川での練習風景。後ろのワーゲンが!!
 
 


呪いの時代/ 荒ぶる神

2012-11-11 10:30:39 | Weblog

   

「身の丈に合わない自尊感情を持ち、癒されない全能感に苦しんでいる人間は創造的な仕事を嫌い、それよりは何かを破壊する生き方を選択する」

「創造すると、自分がどの程度の人間であるかが、あからさまに暴露されてしまう。だから全能感を優先的に求めるもの、自分に『力がある』ことを誇示したがるものは、何も作品を示さず、他人の創り出したものに無慈悲な批評を下してゆく生き方を選ぶようになる。
自分の正味の実力に自信がない人間ほど攻撃的になり、その批評は残忍なものになるのはそのせいです」

「呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさ邪悪さを含めて、自分を受け入れ、自分を抱きしめ、自分を愛すること。
 
多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が『自分をあまりに愛している』からではありません。逆です。自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。
 
僕たちはまず『自分を愛する』というのがどういうことかを思い出すところからもう一度始めるしかないと思います」

「原子力は荒ぶる神である。  ー 中略 ー
 そもそも設営の時に、伝来の古法に従って呪鎮の儀を執り行うべきだった、と私は思う。盛土をして原子炉を土中に置くのである。塚に草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような場の下に原発を安置する。
 ー中略ー
日本人はこういうやり方をするとき一番真剣になるからである。それが私たちのDNAの中に根を下ろした『恐るべきもの』との折り合いの仕方だからである」

 
 ヨーロッパやアメリカの原発関係者は、福島原発の施設の老朽ぶりや、コストの安さ、安全設備の手抜きに心底驚愕したのではないか。どうして原子力のような危険なものを、こんなふうに『雑に』扱ったのだろう。
 そこまでしてコストをカットしたかったのか?
 日本人は命より金が大事なのか?」

「リスクを低く見積もれば、原発ほどクリーンなエネルギーはない。
 だが、いったんリスク・コントロールに失敗すれば、悪くすると国土の一部が半永久的に『居住不能』になる。故郷を失った人々に対する補償と、その国土が生み出すはずだった国富を計算した場合に、
『火力よりも原発の方がこれだけ安いです』とソロバンを弾いて見せた金額など、何十年分を積み上げても
『焼け石に水』である」

「どのような政治的な正しさとも、費用対効果とも無関係に、純粋に専門的な見地から、国土の安全と国民の幸福だけを配慮する人々によって管理運営されなければならない。
 私たちが今回の事故について一連の報道から学んだのは、そういう専門家が、日本の原子力行政の中枢にいなかった、ということである。
原発の専門家です、と名乗ってメディアに登場してきた人々の殆どは『原発が止まると失業する人たち』だった」

「事故が起こらなければ儲けの多いビジネスに従事している人々は必ずや事故が起こる可能性を低く見積もるようになる。最初は『事故が起こりませんように』という素朴な願望から出発するのだが、それがやがて『事故は起こらない』という信憑に変質する。人間というものはそういうものである。だから、そのような人間の心理的弱さを勘定に入れて、制度は設計されなければならない」


日記のように/赤と黒

2012-11-04 12:43:52 | Weblog

 何だか未だに今までの調子で書く気になかなかなれないので、メモのように、ツイッターのような気分で書いてみようか、と。

10月27日(土) 上の歯が痛むので歯医者へ。抜く、など言われたら嫌だな、と思っていたがどうやら歯ブラシで歯肉に傷をつけて炎症をおこしているようだ。ともかく一安心。
 午後、母の電気敷布を買いに。近くで中古本の市が開かれていたので寄ったがコレといって何もなし。さてと、B.カメラで買おうかと値段を見るとLのチラシより400円ほど高い。値段交渉は面倒なのでLへ。ついでにチラシで見たユニクロのルームウェア(これも母用)を買って帰宅。
 
 早めの夕食を済ませ、暫くすると何だかダルイ、と同時に眠気が。日本シリーズを見ようと思っていたが少し横になるかと布団に入り、そのまま朝まで寝入ってしまいました。なんと12時間も!ちょうど風邪をひいた時のような感じなのでしたが、鼻水、咳、寒気もなく、だったので不思議な気分です。朝も無理やり起きて朝食をとり、図書館に行くなどいつもの日曜の午前中のルーティーンをこなしたのですが、まだ頭はスッキリせず。 
 胃の働きも鈍いようなので昼食はパンとホットミルクのみに。そしていくらなんでも寝すぎだろ、と躊躇しながらも昼寝。またぐっすりと1時間ほど寝てしまったのでした。
 さすがにうっすらと頭痛がしており薬を飲んで夕方には体調も何とかいつもの感じに戻ったのでした。やはり風邪だったのかな?何とも妙な週末。
 
 調子も戻りつつあるのを感じながら久しぶりに溜まった映画を見ておこうと、DVRのリストを見て半年ほど前?にNHKBSで録った「赤と黒1部、2部」をこのさい見てしまおう、とON。1部はそれなりに面白く見ていたが、第2部になると段々飽きてきて早見してしまいました。そう言えば昔買った本がまだあるはず、と。昭和35年の初版、38年に再版となっていますが、買ったのはもう少しあとかな?パスポートより少し大きいサイズです。