The VOICE/Celtic Woman

2011-04-29 17:18:19 | Weblog

                

読売新聞4月28日 文化欄 東日本大震災に関して

 佐伯啓思・京大教授 「世界観を変える契機」(文芸春秋)
 「人間が自然を管理し、物的幸福を無限に増大できるという信念が打撃を受けた。
 我々が常に人智を超えた不確実性に晒されていることを思い知らされた」

 国際政治学者・坂本義和氏 「人間のおごり」(世界)
 「環境保護という言葉が、いかに人間中心の観念か。環境を人間が保護するのではなく、自然環境が人間の存在を保護してくれてきた、ということだ」
 「地球にやさしく」というスローガンは無意識の人間のおごりであって、{中略}「地球がやさしく」してくれる時に、人間は生きていかれるのだ」

 原子力について
  西谷修・東外大教授 「近代産業文明の最前線に立つ」
 「生物は地球上に放射性物質が殆ど無くなってから初めて登場するようになった。
  太古にはあらゆる元素があったが、ウランより重い元素は不安定で崩壊してしまい、その結果、生物の生きる環境ができたのである」
 「このため、生き物が放射線を恐れることには、計算を超えた「理」がある」

 解剖学者の養老孟司氏 「自然の法則と日本人」(VOICE)
 「都会と田舎の二住居制を採り、改めて自然を体験すること」を勧める。「日常的に自然に対面せざるをえない状況に置かれることで「頭で考える欠点」が見えるからだ。

            

               ”I am the voice of your history
               Be not afraid,come follow me
                       
Answer my call,and I'LL set you free

                        I am the voice in the wind and pouring rain
                        I am the voice of your hunger and pain
                        I am the voice that always is calling you
                        I am the voice, I will remain

                        I am the voice of the past that will always be
                        Filled with my sorrow and blood in my fields
                        I am the voice of the future,bring me your peace
                        Bring me your peace,and my wounds
                        They will heal 


TCHAIKOVSKY/ Music Lovers

2011-04-27 17:20:08 | Weblog

            

この1,2年テレビをつけない時間が少しずつだが増えてきました。今年はますますその傾向が強くなってきているようです。先日、風呂上りにビールなど飲みながら何か見ようか、と番組欄を見ても、これと言って見たいのはないなあ、と。チャンネルを変えていると、3チャンネル(我が家は今の所、母親の部屋のみ地デジ対応です)で「展覧会の絵」をラベルの編曲で、、と聞こえたのです。先々週、ラベルのボレロを聴いたばかりだし、ちょっと見ようか、としばし、、、。気がつくと雑念だらけになっていて、E.L.Pはこの曲をロックで発表した当時かなり話題になった、、など思い浮かべていると、唐突に、昔見たチャイコフスキーを扱った映画を思い出したのです。タイトルが思い出せず、監督は、、確か「マーラー」を撮った人、少々まともでない?ストーリー展開をする、撮りかたをする、、など映画のシーンなども部分的に思い出したものの、結局その日はそのままにしてしまったのでした。
 翌日調べてみると、ケン・ラッセル監督の「恋人たちの曲」1970年と判明。そうでした!リチャード・チェンバレン、グレンダ・ジャクソンが出演でした。そう、R指定だったのですね。そんなシーンもありましたね(今ならPGくらい?やはりRでしょうか)。
 私にとってもっとも印象に残っているのが、演奏会でのピアノ協奏曲第一番シーンなのです。序奏でのピアノの和音を聞いてるうちに「ロックだ」と感じていたのですね。この演奏にロックのドラムスが加わったら、、と思いながら見ていたのでした。映画自体は(アメリカでは不評でした)幻覚のシーンやR指定になるシーンなどなければもう少し楽しめたかな?(この監督の映画にはいらないなあ、と思えるシーンが必ずいくつかあって、私個人の好みとしては、マーラーやトミーもそういったシーンがなければもっと良いのになあ、と、、、)と思った記憶があります。

             


BEATLES MEMORABILIA

2011-04-24 18:10:38 | Weblog

                 

 ジュリアンが集めたジョン・レノンのメモリアルアイテムの写真集。
 表紙のレスポール・ジュニアは10歳のジュリアンに父親から送られたクリスマス・プレゼントなんですねえ。へフナーのギター、数々のゴールド・ディスク、コンサート・チケット、東京でのコンサートの期間に(日本のハガキに)書かれた未完の歌詞(切手を貼る箇所に平和、と印刷されているのをジョンは知っていたのかな?)、ジョンからジュリアンに送った軽井沢の絵葉書(Ka-ri-zaと発音する、と書かれている)、など、など、、。
 ジョンがバッジ(アメリカではボタン)好きで、ニューヨークでバッジ・メーカーを雑誌で見つけて手に入れて、自分で色々なメッセージを作っていた、ということは知りませんでした!
 
  前書き (抜粋)
 「収集を始めた時には、父がくれた2本のギターを含むほんの数点しか手元にはなかった」

 「父が亡くなった時、何の遺品も受け継がなかったんだ。それは僕たち家族にとって、とても悲しいことだった。現在持っている物の殆どはオークションで買わねばならなかった。だからポールやメイ・パンを始めとする友人たちが時々父の所持品を僕にくれた時には、とりわけ心を動かされ、感謝したものだ」

 「特定の時や場所についての思い出がかき立てられるような品があれば、それを手に入れた」

 「残念なことだが、オークションで入札したもの全部を手に入れることはできなかった。それでも時折(僕は名を伏せて購入するにも拘わらず)、競合相手が僕だと気がつくと、入札から降りて落札させてくれた」  
                                                                                         ジュリアン・レノン

             

 

                                                                        


Kandinsky

2011-04-23 16:29:43 | Weblog

            

雨がやんだ合間に図書館へ。その後も大丈夫なようなのでディスカウント店へ行きいくつか買って帰る途中突然降り始めたのですが、まもなく帰宅。やれやれとコーヒーとパン。BSで松井、イチローの続きを見ようか、とスイッチを入れたのですがとっくに終わっていましたね。もう一つのBSにすると、「カンジンスキー」でした。東京近代美術館でカンジンスキー展を見たのはいつ頃でしょうか。今はカリフォルニアに住むHと行ったのですが、20年くらいたちますかね?そういえばカンジンスキーの経歴などはあまり知らないなあ、と残り15分くらい?でしたが興味深く見たのでした。

「即興19 (1910)カンジンスキーの絵から具体的なものの形が消えていきました」
 「カンジンスキーは色彩を楽器に例えて、青はコントラバス、緑はヴァイオリン、赤はチューバ、黄色はトランペットと。 色が共鳴しあうことで発する響きを描こうとします」

                        

「さらに精神的な世界を抽象的な色や形で表現する方法を模索し始めます」
「初めてそのことに気がつくきっかけとなったのはヴオロダでの体験。そこは装飾性豊かな木造の家々が立ち並び、素朴さの中に深い精神性を漂わせる独特の文化や暮らしが生きずいており、鮮やかな色彩と装飾文様、ここに古くからの言い伝えや神話などを通して受け継がれてきた人たちの素朴な魂が描かれてています。それらが、後に画家となったカンジンスキーに大きな影響を与えています」

「抽象的な形や色彩の中に、自己の内面を探求する作品を続々と作り上げていきます」
「代表作がコンポジション 7(1913)。黙示録の終末と復活を描いています」
「こうした宗教的な題材を使って、自分の心を表現したのです」

             

 


Before the Deluge

2011-04-20 17:47:37 | Weblog

                             

 数週間前にタイトルが頭に浮かんで以来、ずっと心のどこかで気になっていた歌が、ジャクソン・ブラウンの「大洪水の前に」なのです(いつもならあまり時間をおかず、ブログに載せるのですが、今回は、、、)。1974年に発表されたアルバム「レイト・フォー・ザ・スカイ」の中の1曲ですが、久しぶりに歌詞を確認してみました。
 当時もこのレコードを、日本語訳を見ながら聞いていたのですが、この曲に関してはまだ彼のメッセージをちゃんとは理解していなかったように思います。ちょうどアメリカへ行く1年ほど前でしたかね?ともかくアメリカへ行くためのバイトをしている頃で、毎晩のようにこのアルバムを聞いていたものでした。さて、あらためて歌詞を見てみると、、、、、、

               

        この地球の美しさを、
        権力へ変える術を学んだ連中によってひどい扱いをされていることに
        怒りを覚える人たちがいる
        彼らはこの星を(そういうもの達から)守ろうとするが
        最後のときに、
        地球の憤りの大きさに、ただただ混惑するだけ
 
        そして砂が消え去り、その時が来て
        むき出しの夜明けには、ごく僅かの者しか生き残っていない、
        こんなに単純で、極めて壮大な真実を理解しようとするとき
        彼らが生き残るために選ばれたことを悟るだろう
        大洪水の後も

       Some of them were angry at the way the earth was abused
      by the men who learned how to forge her beauty into power
      And they struggled to protect her from them
      Only to be confused,by the magnitude of her fury
      In the final hour
      And when the sand was gone and the time arrived
      In the naked dawn only a few survived
      and in attempts to understand a thing so simple and so huge
      believed that they were meant to live
      After the deluge 


Air on G-string/乗り換えの多い旅

2011-04-18 17:37:05 | Weblog

             

シカゴの友人に送ろうと、震災の番組を録画スタートして少し見ていたのですが、またダウンな気持ちになりそうなので、見るのは別の機会にしてチャンネルを変えていたら、指揮者、オーケストラが被災者の方々への黙祷をしている画面でした。
 演奏が始まり、「G線上のアリア」が聞こえてきて、テロップにズービン・メータの言葉として、 
 「この曲は人々の心に深く響いてくるものがある」
 「静かに耳を傾けてほしい、と思います」

 数分間の演奏でしたが、普段この曲を聴くときの印象と違い、何だか心に染みる、と思いながらの時間でした。
演奏が終わり10秒ほど?沈黙の後、ベートーベンの第九が始まったのでしたが、暫く聞いているうちに、朝読んで「後でゆっくり読もう」と思っていた新聞のコラムに目が行ったのです。
 

  「人生の旅には乗換えが必要」  益田ミリ
 「ある時田辺聖子さんのエッッセイ集「乗り換えの多い旅』を読んで衝撃を受けた。
若さや才気、地位、名声、こういうものを持っていたとしても永遠に続くものではなく
「時うつり事かわり、運命の転変、ということから人は避けられない。それらを失うこともある」
と、おっしゃる。  

 愛する人との死別についても
 「その人といつまでも同じ電車に乗っていられると思い込んでいたのに、自分だけ、乗換駅で乗り換えなければならない」。

 「そのうち、ふと涙の間に、窓の外の景色に目をやるようになる」 
晴れた空に心を奪われたときが、乗り換えのとき。自分で決めるしかない。
 「悲しみからやっと立ち上がったとき、その人は、乗り越えて別の人生を生きる」 のだと。

私にもこの先、今の列車を乗り換えなければならないような悲しい出来事が待ち受けているのかもしれない。想像しただけで深く沈んでしまいそうになる。だから、この本のことを忘れないでいたい。そう思うのだった。        (本 よみうり堂) より

                  


American Tune

2011-04-16 17:31:13 | Weblog

    

 自転車で電気量販店へ行こうとipodをオンして走り出したら、ポール・サイモンの「アメリカン・チューン」が1曲目でした。
 10時過ぎに店に入り、まずは昨日のランタン用の電池を、と進むと業者が棚に並べているところでした。「品薄ですか?」と聞くと、「通常よりは少ないですね」とのことでしたが、問題無いようなので単1が4個入りのパック(アルカリ)を3パック求めました(マンガンはディスカウントでワゴンに並んでいました)。
 そして買い替えを迫られていた炊飯ジャー売り場へ。Pの2万円弱を買うつもりでいたのですが、こちらのほうがふっくらと柔らかめ、との話を聞くうちにSの炊飯器に心変わり。少し予算オーバーでしたが、何年も使うのだから、と納得して帰宅したのですが、頭の中は終始「アメリカン・チューン」がなっていたのです。

 これは1973年のアルバム「ひとりごと」に入っているのですが、この曲、実はバッハの「マタイ受難曲のコラール」からメロディーを借用しているのですよね。当時はこのことを知らなかったのですが、後に「サイモン伝」か何かをを読んで知ったのでした。(サビの部分はサイモン作)
 でも名曲ですね。前半は「傷つき、くじけ、どこで間違ったのか」と歌っていますが、最後になって明日に気持ちを向けています。

                  

We come on the ship they call the Mayflower   僕らはメイフラワーという船に乗り
We come on the ship that sailed the moon    
月へ向かう船に乗り
We come in the ages most uncertain hour     
不確実な時の流れる時代にきている
And sing an American tune                 
そしてアメリカの歌を歌う
But it's all right,it's all right                 でもいいんだよいいのさ 
You can't be forever blessed               
いつまでも讃えられ続けるはずはない
Still,tomorrow's going to be               
また明日の仕事が待っている
 another working day
And I'm trying to ge some rest               だから少し休まなければ   
That's all I'm trying to get some rest           
今は少し眠るだけさ


Coleman Classic Lantern

2011-04-15 17:41:58 | Weblog

 

                       

  帰宅したら、シカゴの友人Mから、これが届いていました!先日スカイプで話したさい、計画停電の話題になり「日本の姪からランタンが売り切れ、と聞いたのでこちらで買って送ったが、必要ないか?」と言ってくれて、早速送ってもらったのです。おまけに?ミニサイズのヘッドランプつきでした!4月11日の発送で今日ですから、5日間で着いたのですね。4Dバッテリー、つまり単1を4個ですが明るい!いやあ、感謝です。
 これから夏に向かってエアコンの使用も増えるし、そうなればいきなりの停電もあり得ると思うので、色々と準備をしておく必要がありますよね。
 さてと、節電を呼びかけるテレビを見ていて思ったのですが、テレビ局はどうなんでしょうか?
夜中はNHKと民放1局とか、で充分なのではないですか?

 送られてきたダンボールの中に、ドライ・クランベリーが入っていたのを後で気がつきました。
                      クランベリーの効能を調べてみると、
 「ヴィタミンCはもちろん、ポリフェノールの一種であるプロアントシアニジンAという栄養素があり、体内をきれいに掃除してくれるという。ピロリ菌が胃の細胞にくっつくのを防ぐという研究結果もある。果物の中で天然の抗酸化物質を最も多く含有している」
とありますね。ありがたい!! 


                                                                             


Lonely People

2011-04-13 18:17:32 | Weblog

今日は朝から(目覚める頃から)アメリカの「ロンリー・ピープル」が頭の中で流れています。
 暫く聞いてないなあと思い、出かけるときの1曲目にしようと思いながら、いつもどうりの朝食をとり、新聞(読売)をザット開いていくと池澤夏樹氏の文が載っていました。

  題して「被災地を行く」 現場を見た氏の思いを書いているのですが、その中で印象に残ったのが結びの文でした。

 「地震と津波は多くを奪ったし、もろい原発がそれに輪をかけた。その結果、これまでの生活の方針、社会の原理、産業の目標が全て変わった。多くの被災者と共に電気の足りない国で放射能に怯えながら暮らす。
 つまり、我々は貧しくなるのだ。よき貧しさを構築するのがこれからの課題になる。これまで我々はあまりに多くを作り、買い、飽きて捨ててきた。そうしないと経済は回らないと言われてきた。これからは別のモデルを探さなければならない。
 被災地を見て、要素要所に賢者はいると思った。若い人たちもよく動いている。十年後、この国は良い貧乏を実現しているかもしれない

 「良き貧しさを構築するのがこれからの課題この言葉を反芻しながら”ロンリー・ピープル”を聞いていたのでした。

                       

                             This is for all the lonely people
                             Thinking that life has passed by
                             Don't give up until you drink from the silver cup
                             And ride that highway in the sky

                             Well,I'm on my way 
                             Yes,I'm back to stay
                             Well,I'm on my way back home

 
  

 

 


Field of Dreams

2011-04-11 18:56:38 | Weblog

          

 

新聞に「イチローの希望でベンチに穴を」とあります。マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドのベンチを新しくしたのだが、昨年までのベンチは背もたれと座面に隙間があり、イチローはそこにバットを挿していたのだが、新しいのにはその空間が無い!と言う訳で困ったイチローのためにバット用の穴を開ける事を特別に許可した」、というニュースでした。
 
 さすがイチローというところでしょうか?でもチームは今季も相変わらず弱そうだし、強いチームでの活躍を見たいなあ、と思うのですが、、。優勝争いは彼にとっては夢なのでしょうか、、。

 夢、ということで「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出しました。好きな映画の一つですが、
あの映画では、私の場合、若き日の父親とキャッチボールをするシーンがグッとくるのです。切なくて、気がつくと涙が溢れてくるのですねえ。
 DVDに録ってあるので近い内に見ますか、、。

        


Bolero/RAVEL

2011-04-10 11:55:37 | Weblog

                

 昨日の話です。新聞の番組欄を見ていたら、「ボレロ」とあります。スイッチを入れてBSへ。間もなくオーケストラ(N饗)の画面に。

 画面に説明が入ります。「フルート・ソロ」に始まり、「クラリネット・ソロ」 「ファゴット・ソロ」 「小クラリネット」 「トランペット(ミュート)、フルートが1オクターブ上の旋律」などけっこうおもしろいです。

 そして「テナーサックス・ソロ」では(ボレロ作曲前にアメリカに行き、ジャズの影響を受けた?)と。「ソプラノ・サックス」 「ホルン・ソロ、ピッコロが倍音効果の旋律」 「ビオラ、ピチカートでリズム」

「トロンボーン・ソロ」では「ボレロ最大の難関」と出ていましたが、なるほど、と思ったり、「楽器が増え、厚みのある演奏へ」 「バイオリンがメロディーを」 「チェロ・旋律を」

 ラストに近ずき、「最大音量、全楽器 f f の指示」「小太鼓二人になる」と出て大いに盛り上がって、、間もなく終了しました。

 クラシックにあまり詳しくない私には参考になり、楽しめた時間でした!そう、昔この曲を教えてくれた(カセットテープをくれた)Cさんを思い出していたのですが、お元気でしょうか?

             


Sagrada Familia

2011-04-08 19:43:53 | Weblog

           

    「完成までに300年といわれたサグラダ・ファミリアだが、工事の進み具合は着々とペースアップしているようで、ついに中央にある「身廊」と呼ばれる内陣の部分が完成。昨年(2010)11月にローマ教皇のベネディクト16世が出席してミサが行われた」

 PEN3/1日号の記事です。「高さ45mを誇る内部に出現する、大木と、枝や葉のモチーフはまさに圧巻」

 写真の説明に「夜はLEDによる証明で、自然光がさすような印象に演出される」 「早ければ15年後にも完成」 とあります。

 YouTubeでミサ(正式に教会に認定)と内部の映像を見てみましたが、凄いな、迫力ありますねえ、。想像を超えていました。 15年~20年なら完成を見られる可能性がある、と思うのですが、、、。まあ、完成はともかく、元気なうちに見に行ければ良いのですが。

                


K.Ishiguro/P.Casals

2011-04-07 17:21:11 | Weblog

  

 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語。
 ベネチアの流しのギタリスト、才能あるが?芽の出ないサックス奏者、などなど、音楽を愛する男と女たち、若き日の夢をかなえられず?中年になった人々の人生の黄昏、愛の終わり、、、。
 五つ目の物語「チェリスト」を読んでいたら、チェロの音色が頭に浮かんできました。普段はチェロを聞くということは殆どないのですが、NHKで以前放映した「ヨー・ヨー・マの~」という番組をビデオに録ってあるので久しぶりに見ようか、と捜したのですが行方不明でした、。
 そこでYouTubeに。「カザルス」の名前が頭に浮かんだので検索して「バッハ無伴奏組曲第一番」を見てみると、ドキュメントフィルムがありました。1954年8月と字幕にあります。ということは78歳のカザルスですね。これは初めてです。およそ9分間ですが、良いです。静謐という言葉を思い出していました。

     


Tears of rage

2011-04-06 18:07:12 | Weblog

   

今日のipod1曲目がこれ、バンドの「怒りの涙」でした。大震災と原発事故後の様々なことからこの所少々ダウン気味の心には、まあ、ぴったりだったのかな?60年代にディランがバイク事故で休養をしていた頃に、ウッドストック近郊にあったバンドの、例のピンク色の家で作られた曲(ディラン+R.マニュエル作)なのですが、この頃はリチャード・マニュエルも色々な意味で元気だったのですね。
 詞の内容は、一言で言えば「子に去られた親の嘆き」なのですが、当時は(60年代後半)ヒッピー・ムーブメントの全盛期。ディラン、バンドたちはその動きをわりと冷めた目で見ていたのでしょうか?バンド自体がカナダからアメリカへ、ディランもミネソタからニューヨークへ、と生まれ故郷を離れて暮らしていたのですが、この曲は自分たちの心境ではなく、親から見た今の(当時の)子供たちへの感情を表現した、というところでしょうか。(ちなみに、ディランは自分のツアーに母親をよく招待しているようですね)


            

      怒りの涙、嘆きの涙     なぜ私がいつも泥棒扱いされるのか?
      わかっているだろう     すぐそばにきておくれ
      私たちはとても孤独なんだ  そして人生は儚いのだよ


Tears of rage,tears of grief          
Why must I always be the theif?
Come to me now,you know
We are so alone
And life is brief

We are standing by your side

2011-04-04 17:39:49 | Weblog

  

 スティービー・ワンダ ー、マイケル・ダグラス他が動画メッセージを配信(国連から)、と新聞で見ました。
          「
日本はけしてひとりではない。
           日本が力強く立ち上がることを願っています。
           JAPAN I LOVE YOU!」

 ポロ・ラルフ・ローレンはチャリティー・ポロシャツを発表(98ドル~110ドル)。テレヴィでR.Lの息子がそのポロシャツを着てインタビューに答えているのを見ましたが、デザインは何だかビミョーかな?

そしてサッカーのデル・ピエロもチャリティーTシャツを(15ユーロ、1770円、こちらは着れそう)。「日本にはすばらしい思い出がある。日本のために手助けしたい」
         
                            

 そしてびっくりしたのがこのニュースでした。
 ソフトバンク社長、孫正義氏が     
被災者に100億円寄付。また引退するまで役員報酬を全額寄付」(会社としても10億円寄付)
             
                      

 ただただ頭が下がる思いです。