Don Felder/ホテル・カリフォルニアを書いた男

2011-05-16 17:36:39 | Weblog

                           

 D・フェルダーの生い立ちから始まり、イーグルスを離れるまでの自伝。ミュージシャンとしては順調とは言えない生活の日々。イーグルスが2枚目のアルバムを出した頃、B.リードンから「L.Aに出てこいよ」の声にようやく決心して夫婦でL,Aへ。昼間は仕事をしながら機会を待ち、B.リードンの紹介でデビッド・ゲイツに会う。デビッド・ブルー のサイド・マンの仕事を得て、ミュージシャンとして軌道に乗り始めた。イーグルスが3枚目のアルバム(オン・ザ・ボーダー)に取り掛かった頃に再びB.リードンの誘いでイーグルスのレコーディング・スタジオに顔を出し、セッション。これがイーグルスへ参加するきっかけとなった。
 まさに ロック色を強く出そうとしていたタイミングに現れたのだった。皮肉なことに、カントリー色を維持したいB・リードンにとっては不満のつのる結果となってしまうのだが、、。       

                        

過酷なツアーとプレッシャー。メンバー間の確執。4枚目のアルバム「呪われた夜」を最後に、親友B・リードンが脱退。そして次のアルバムまでの期間に、D・フェルダーはあの歴史的名曲を自宅のテープレコーダーに録音していた、。

 「12弦ギターを爪弾くうち、ふとオープニング・コードがいくつか浮かんできた。あれこれいじる内に、なかなかクールなサウンドが形になってきた」
「ドラムマシーンを使い、12弦の音をかぶせた。ヤマ場となるセクションをジョーと僕がやるとしたら、、。ハーモニーで降下していく二つのパートを作った。それらのパートを交代に録音していった。その日の午後遅く、すべてをミックスし終わった。」 1976年7月

          

 その後アルバム「ロング・ラン」(1979)を最後に事実上の解散。1994年「ヘル・フリーゼズ・オーバー」で再開。ツアー。2000年一方的に解雇され、それに対して訴訟(2001年)。 2006年 示談成立、、。

 やはり当時聞こえていた、金銭などをめぐる噂は、本当だったようですね。「イーグルス・リミテッド」として3人対等のはずが、ドン・ヘンリー&グレン・フライとそのバックアップ・グループ、という形になっていたのですね。少々残念な結末でした、。もう一緒にプレイすることはないのでしょうね、。
 そう、「呪われた夜」のイントロとベースラインは、フェルダーが作ったのですね。知りませんでした。あの印象的なイントロが無かったら、あれほどインパクトのある曲にはならなかったと思いますよ。やはりイーグルスにとって、貢献大な存在だったと、あらためて思いました!
 ともかく「ホテル・カリフォルニア」を作ったドン・フェルダーにSALUTE!!   

           
    アナハイム・スタジアム 1975年9月 (観衆5万5千人 本文 P.231より)

望遠レンズがなかったのではっきり見えませんが、イーグルスです。ステージに椰子の木が何本かおかれて、いかにもカリフォルニアのコンサート、な感じでした。リンダ・ロンシュタット、ジャクソン・ブラウンについでイーグルス。呪われた夜、ジェームス・ディーン、オールド55など。暫くして暗くなって場内の雰囲気も最高潮になり、締めは確かテイク・イット・イージーだったと、、。そうそう、ベスト・オブ・マイ・ラブの時はカップルが皆肩を寄せ合ったりして聞いていましたね。


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