二階ではないんだけども

2008-03-29 00:39:45 | Weblog
 若い世帯だけであれば2階リビングも有りなのですが、母親と一緒なので、母の部屋とリビングの距離感が問題になります。母が寂しがらないように、リビングは母の部屋につかず離れずの位置にしたいのです。最初は玄関土間を考えました。玄関を入って、土間を挟んで母の部屋とリビングが向き合う案でした。
 二階リビング案では、どうしてもリビングが母の部屋から遠くなってしまいます。そこで考えたのが吹き抜けを利用して、距離は遠いが、気持ち的には近く感じられる工夫です。でも、そうそううまくいきません。
 その時思い浮かんだのが、中二階案です。半階上がってリビングへ、そこからまた半階上がって寝室と子供部屋という案です。そうすれば、母の部屋との距離も解決でき、また、リビングのプライバシーを確保という問題点も解決できそうです。

こんな感じ?

2008-03-21 03:07:35 | Weblog
 マイホームプラスのVOL.7で紹介されている「和が香る家」という作品が、部屋の質感やその雰囲気がとてもイメージにピッタリでした。建物は旗竿地に建っており、四方を他の家に囲まれ、まさにコートハウスといわれる造りになっています。
 中庭は四方を壁に囲まれていますが、中庭部分の床と壁に室内と同じものを使用することにより、その境界をあいまいなものとし、内外に一体感を造り上げています。外からは完全に閉ざされいますが、中からは外部空間を取り込んだようなくつろげる空間が、そこにはあります。

家の中にある庭

2008-03-19 00:19:08 | Weblog
「他人に邪魔されない外部スペース」というのを、コートハウスの中にある「家の中にある庭」で実現しようと考えていたのですが、発想を変えると「二階リビング」案でもそれが可能なことに気が付きました。要するに、問題になっていたのは、庭(ベランダ)の向こう側なのです。一階だとどうしてもその前に塀(視線を遮るため)を造らなければなりません。
 それを自然に可能にしてくれるのがコートハウスでした。コートハウスは、塀というものを建物のデザインの中に溶け込ませているのです。でも、リビングが二階だったら・・・周りの環境しだいでは一階に造るよりも自然な形でそれが実現できるのです。

二階リビング

2008-03-18 01:04:32 | Weblog
 以前、建売の住宅を見に行った時、二階リビングプランの家を見たことがあります。敷地が狭く、周囲を住宅に囲まれた場所にその家は建っており、一階部分はお世辞にも日当たりが良いとはいえない立地でした。玄関を入ると、すぐに二階へ上がる階段があり、そのまま二階へ導かれます。そこには、ベランダ越しに外からの明るい日差しが部屋の中へ注いでいます。そこが、食事をしたり、くつろいだりするスペースです。一階には、お風呂と寝室がありますが、そこは暗くても良い場所です。
 その頃の私の中には、一階が生活の場、二階は寝るところのような先入観のようなものがありました。そのため、二階リビングプランがなおさら画期的なプランに思えました。立地条件から考えれば、これ以上はない!百点満点のプラン。但し、その頃はその立地条件だから・・・というような意識しか持っていませんでした。

納戸(片付け)

2008-03-10 00:00:25 | Weblog
 それにくらべ、ヨーロッパや中国はどうかというと、たとえばヨーロッパのどこの国でもいいから王様や貴族の家を見ればいいが、室内には飾り棚やら本棚やら食器棚やらの収納家具がこれ見よがしに置かれている。収納家具だけでなくイス、テーブルなどなどの家具、調度の類が充満し、それらがインテリアの決め手となっている。さまざまな物品、家具調度を室内に取り込み、それをいかに上手に美的かつ機能的に配列するかが室内構成の根本だった。生まれながらにそういう根本を学ぶのだから、当然のように収納感覚が見に付く。字を覚え、本を読むのと同じように、一つの教養として身に付けてゆく。だから、欧米においては室内に物品が散らかるというのは、無教養のしるしとしてとらえられる。身の回りの物品のコントロールもできないようなフシダラなヤツ。
 日本の室内には物品がない。本当はあるのだが、隠されていた。どこにか。納戸とか倉の戸の向こうの暗がりの中に。タンスや長持ちといった収納家具はあるのだが、それらは日と目に付かない暗がりに置かれた。収納家具も物品も、日陰の身だったのである。
 日陰の身でも、その総量が少ないうちは散乱状態は起きなかった。ところが、明治以降、というより一般の家庭では戦後の高度成長以降、長く続いてきた少量物品日陰の身システムは破綻を余儀なくされている。
 
 天下無双の建築学入門 ちくま新書 藤森照信著より

 今のモデルハウスなんか見に行くと、壁面収納やウォークインクローゼット、階段下収納は便利そうに作ってあるけど、他の収納場所はあまり見受けられません。どうやって生活するんだろう。何でも捨てちゃうのかなぁ?と感じていました。だって、家の中は捨てきらないガラクタで足の踏み場もないんですから 

コンセプト

2008-03-06 00:08:20 | Weblog
 コンセプトというか、私が求めていたものは「家の中にある庭(他人に邪魔されない外部スペース)」ではなかったのかと思います。それは、最初、家の中に庭を取り込んだ「コートハウス」という建物の中で見つけました。
 よく南側に開口を取っているのに、いつもカーテンをしたままという家を見かけますが、そういうのだけにはしたくありませんでした。外部に面した開口は、やはり何も気にせず開けておきたいものです。
 開口部の周りに塀を造ってしまえば、「他人に邪魔されない外部スペース」は誰でも手に入れることはできますが、それはあからさまに外部との付き合いを拒否しているように感じられます。それをカバーしてくれるのがコートハウスです。コートハウスは、建物自体が塀の役割をしてくれています。こういうのって、建築家の腕の見せ所ですよね。外に対して、違和感なく閉じていて、その中にはプライベートな空間が確保できているというものです。やはりコートハウスが頭から離れません。

住み心地

2008-03-05 11:33:06 | Weblog
 建築家に住宅の設計を依頼する方は増えるといっても、それはやはり住意識にとくに敏感な、ある意味で選ばれた少数派に過ぎないと思う。しかしそういう方がプレファブや建売に満足できないのは、いわば商品化住宅の宿命である。なぜなら商品化住宅は商品の宿命として一般多数のニーズに応じることを目的としているからだ。それらは多種多様に見えても、その差は商品を上中並、あるいは和定食と洋定食というふうにわかりやすい違いで差別化したものに過ぎない。いやこの喩えは乱暴すぎるかもしれず、商品化住宅の多様化はレストランのメニューよりずっと細かいが、乗用車の多品種化を見ればわかるように、エンジンやシャシーの種類がそれだけあるわけではない。
 個性的なライフ・スタイルを選ぶ方が望む住み心地というものは、こうした「わかりやすい差」よりも、むしろ「わかりにくい差」で決まるものである。つまり表面的な間取りや出窓の有無や屋根の瓦の色などではなく、ちょっとした日差しの加減や質感などからくる家全体の雰囲気が住み心地を左右することはよくある。これらは住み手が必ずしも言葉で言い表せない場合も多く、それを打合せの積み重ねのなかから読み取って形にし、商品化住宅では応じ切れない「わかりにくい差」を実現していくのは建築家の仕事なのだ。

 住まいのつくり方 中公新書 渡辺武信著より

 なるほど そうだ 納得

 

玄人と素人案

2008-03-04 01:45:01 | Weblog
 建築家は平面も考えながら、それを三次元の立体構造としても組み立てています。素人の私達は、簡単に「そこをこうしたら?」などと言ってしまいますが、プランが出来上がった時点ではもうそれは難しいようです。最初は、それがどうしても納得できませんでした。
 「今度こそは・・・!」と思った修正案でしたが、一度出来上がったプランの大幅修正は、私達が考えているほど簡単なものではないようです。私達の修正案を取り入れて新しい図面を提出してもらいましたが、それはすでに絵的にかなり無理がありました。要するに、プランを立てる前のコンセプトがまったく違うものだからなのでしょう。
 コンセプト、コンセプト、コンセプト・・・何を一番に持ってきたらよいのでしょう。自分のことなのに考えが整理できません。
 

コストダウン

2008-03-03 00:00:15 | Weblog
 そもそもコストについては、施主が理解できない部分が、全体の五分の四ぐらいあるのです。
 それは、基礎や土台といった構造体の部分で、一二八ページの概算表を見てもわかるとおり、「木工事」が予算の三分の一ぐらいを占めています。こういった基礎工事や仮設工事などの専門知識を要する部分に対しては、施主はわからないので、なかなか口を挟むことができません。
 その結果、目に見えるもの、たとえば照明器具をはじめ、ビニールクロスやドアなど、カタログで値段を確認できるものだけに目がいってしまいがちになります。しかし、この部分は全体予算のたかだか五分の一ほどしかなく、コストダウンの要素となるにせよ、決め手にはなりえないのです。
 ちなみに、コストダウンしやすいものとしては、外装材、設備、建具、家具、内装材、開口部(アルミサッシの種類)などがあげられます。

 建築家となら望みどおりの家が建つ 山海堂  横山彰人著より

 見る目もないのに、見比べると良し悪しが分かっちゃうんですね。二つ出されて、どちらにしますか?と尋ねられると、やはり良いものに心が動いてしまいます。価格を聞いて、「あぁ、そんなに違うんなら・・・」と諦められる場合は良いのですが、ほとんどの場合はそこがうまく価格設定されているんですよね。購買者の心理がよく研究されています。

ローコスト住宅

2008-03-02 00:48:52 | Weblog
 真の「ローコスト住宅」とは建て主の最小限の要望と建築家の最大限のアイデアと努力によって実現されるものであるので、当然覚悟が必要である。その覚悟とはつまり建築家が「何を削ったか」ということである。普通の住宅に当然あるべきものを次から次へとそぎ落としていき、ある意味住宅の常識を破っていくことが「ローコスト住宅」の設計作法であるのだから覚悟だらけといっても過言ではない。
 しかし建築家はいわゆる「おうちらしさ」というものを削ることによって住宅がより抽象的なオブジェに近付いていくことにとてつもない快感を覚えるので妙に喜々として設計は進む。そこで建て主は建築家に「なぜニヤニヤしているのですか?」ではなく「何を削っているのですか?」ということをちゃんと聞いておかなければならない。それが構造的な性能なのか断熱性なのか気密性なのか耐久性なのか、それとも間取り的なことなのかということを。

 建てずに死ねるか!建築家住宅 ㈱エクスナレッジ 大島健二著より

 目から鱗っていう感じですね。建築家が安い家を造ってくれる訳ではなく、安く上げるには何かを除かなければいけないのです。言われてみれば当たり前のことなんですが、勝手に自分に都合がいいように思い込んでしまいますね。要するに、必要なものを造るには、それなりの金額はかかってしまう。コストを下げるとは、その中でも無駄なものをなくしていくということですか