和室、あるいは畳の部屋

2013-03-18 23:49:37 | Weblog
 人は、畳の部屋に入ったら自然に畳の上に座り込んでしまったり、ついゴロリと横になったりしたくなるはずです。

 理由はふたつあります。
 ひとつは、畳の素材の藁(わら)と藺草(いぐさ)という稲科の植物でできていることです。

 長い間、お米を主食としてきた日本人は、稲に対して、文字通り身体の染み付いた特別な感情(愛情といっても良いでしょう)を抱いているにちがいなく、その稲から生まれた藁と、稲科の植物の茎でできて畳に直接触れることで、母親に抱かれているような大きな安堵感に包まれるのです。

 もうひとつは、藺草の感触とその匂いの効果です。このふたつは、日本人、というより人類が知らず知らずのうちに抱いている「草原に座りたい願望」「野原に大の字に寝ころびたい願望」という潜在的な願望にヒタヒタと働きかけます。

   Come on‐a my house すまいの風景―Environments for living
           中村好文著より   

 

街の木のキモチ

2013-03-07 05:45:10 | Weblog
 晩秋、公園やビルの狭間に降りつもる大量の落ち葉。けれども、それらはいつのまにか掃き集められて、またいつもの地面に戻っています。あの大量の落ち葉は、一体どこへ行ったの?

 一本の大きな木が落とす葉は、相当な量です。山では毎年大量の葉が落ちるのに、落ち葉だらけになることはありません。なぜだかわかりますか?それは落ち葉がいろんな微生物に分解されて、土になるからです。土は生き物なくしてはできません。木の葉や草、ミミズ、虫、バクテリアや菌類などによって、長い時間をかけて作られていきます。

  街の木のキモチ 樹木医のおもしろ路上診断 岩谷美苗著より

敷地の端に、大きくなった楠と思われる木があります。大きくなったというのは、昔は小さかったのです。それがみるみる大きくなりました。その早さは異常?なほどです。暖かくなると一雨毎に、それこそ脱皮でもしているのではないかというくらい、新緑の葉を生い茂らせます。それは、「あぁ、また伸びている!」という感じです。

 そろそろ雑草も目に付き始めました。これらも放っておくと、あっという間にあたり一面を覆い尽くしてしまいます。自然って、すごいです。


 

陰翳礼讃(いんえいらいさん)

2013-03-02 19:58:44 | Weblog
 私は建築のことについては全く門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く高く尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。これに反して、われわれの国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇(ひさし)が作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。これは知恩院や本願寺のような宏壮な建築でも、草深い田舎の百姓家でも同様であって、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。左様にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。

  陰翳礼讃(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎

 陰翳のある家、現在の住まいからはかなりかけ離れてしまっています。今の家は、南向き、太陽、明るさ、気密度、プライバシー、多収納、低価格です。家が密集して、土地にゆとりがないのが最大の原因です。

 核家族化が進み、大きな家よりも、小さくてコンパクトな家が望まれています。陰翳のある家は、いまでは憧れです。家が狭いから壁の色は膨張色、壁が圧迫するから大きな開放、密閉されているので明るさが求められます。流石に、冷暖房の効きは良いですが、風に触れる機会がありません。風の流れほど気持ちの良いものはありません。昔の家には、それがありました。