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陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

ブログを引っ越しました。

2025年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

gooblg 終了のため、下記のはてなブログに移行しました。

タイトル「続 陶芸工房 朝」で検索してください。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。

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https://atorieashita13.hatenablog.com/

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小さな陶芸展へのお誘い

2025年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 

爽やかな空から緑の風が吹き抜ける6月の初旬、陶芸工房朝(ASHITA)で小さな陶芸展を開きました。以下は、その記録です。

ここは 静岡市の街中とは思えないようなワイルドな一角。日ごとに緑が濃くなっていつの間にか緑に埋もれてしまういそうな季節です。

   

           小さなアトリエにようこそ!

  紫陽花の花が咲き始めた、白と青と紫の花が緑に彩られてそれは見事

 

       

             

           ここからが陶芸展の会場

           ギャラリー朝の看板からどうぞ・・・

  

       

           古びた木造のたてものが・・・

 

 ここからがギャラリー、会場正面のドアを開けて会場にご案内しましょう

 

   いくつかのオブジェを中心に、最近の陶芸教室の作品を展示・・

 

  

        黒いオブジェとドクダミの花 

 

   

         青銅釉大皿セット(K.S)

        先刻中皿セット(M.S)

 

         楕円をテーマ・楕円皿(F.K)

      

      

          書き落とし楕円皿セット

 

         上段は電気窯焼成・下段は薪窯焼成の作品        

 

 

            対のオブジェ

 

         オブジェ・黒のフーガ

 

        イッチンによる楕円皿(K.G)

 

 

 

   

          スイスから来たお友達の作品   

 

    爽やかな庭の緑・ここのテーマツリーのヒメシャラ

 

      こちらからは仕事場 アトリエスペース・になります。

 

                                       

                                           ありがとうございました。

          また是非お遊びにお出かけ下さい。

                END

                                          

            


コブシの木とコブシハバチ

2025年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 

また雨です。これ以上降ると我が家は森の中に埋もれそうで心配です。

 

毛虫を取り除いた後のコブシ

 

昨日、庭のコブシの木を見ていた女性の友人が「キャー、毛虫」と大声を上げました。、

見れば、コブシの木には葉が1枚もなく、針金のように尖った枝の先に2cm程の太った毛虫の集団が団子状に固まっています。

驚いてよく見ると、毛虫は幹やまだ葉のある枝にも集団になって蠢いていて、何百という数。

隣接する満開のエゴノキの花に倣ったように・・「毛虫の花」の様相を呈しています。

 

たわわに咲くエゴノキの花

 

余りの毛虫の量に殺虫剤を取りに行ったものの、生憎それがなくて近くにあった「枯葉剤」を持参、

毛虫の塊にそれを吹き付けると、毛虫はころころと枝から落ちて居なくなりました。

「日頃自然愛好家を称している彼女が「たかが毛虫ごときに大声を!」と内心では思ったのですが、

実のところ、このコブシの木の大量の毛虫を目撃したのは私も初めてでした。

 

あの大量の毛虫は死んだのか・・・?

次の日の朝、コブシの木を見に行くと、もう毛虫の姿はありませんでした。

が、コブシの木の下に置いてあった欄の花とか弱い雑草たちは、無残にも葉が枯葉色でした。

殺虫剤のつもりで枯葉剤を撒いたのは私、何としたことか・・・と反省しきり。

 

仕方なく鉢を移しあたりの土を耕すと、ゴロゴロと出てきたのはあの毛虫たち。

土の中で繭になり生長して再びコブシハバチとしてコブシを食べて生きるのだとか。

自分の庭のことは何でも知っているつもりの私が・・・、初めて知ったコブシとコブシハバチの関係でした。

 

同じ日の朝アトリエの前に一羽の小鳥が横たわっていました。

調べると東南アジアから渡って来たキビタキの♂のよう、私の大好きなジョウビタキの仲間です。

 

   

    木の葉に包んで土に埋めてやりました。

 

植物然り、昆虫然り、鳥も然り、知らない世界が私たち人間の世界をぐるっと取り巻いている・・・。

自然の奥行きの深さに驚かされ慰められ、人の生についても考えさせられたでき事でした。

  


苔がとても美しい

2025年04月30日 | 野草

5月1日、心地よい風に若葉が生えて、文字通りの五月晴れ。

恒例の益子陶芸市も始まっているが、東京からの車の渋滞を思って今年はパス・・・。

その代わり…という訳でもないが、爽やかな緑のなかで、庭いじりを楽しんでいる。

 

私のお気に入りー1 苔とシーサー。

 昨年、大きくなり過ぎたヤマボウシとエゴノキを思い切って小さくしたせいか、

 スギゴケが緑のカーペットのように広がってシーザーが楽しそうに遊んでいる。

 ずっとずっと昔、沖縄の壺屋で買ったシーザーは、我が家の庭番!

 

お気に入り―2 苔と戯れるカタバミ。

スギゴケに埋もれるように咲いている5mm程の小さな小さな可憐な黄色いカタバミ。

小さなものには小さなものが似合うことを、お互いに知っているのだ。

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    今年は、苔の絨毯が  いつもよりなぜか美しい。 

           


大変!ブログ終了ですって!

2025年04月25日 | 日記

友人から「あなたのブログがなくなるよ」とメール。

たいへんだ! ここのところしばらくブロぐを書いてなかったからなー!

 

  ここに住み始めた頃に植えた木々はこんな大木になった・・・・・・

        

       

        前の家を引っ越す時に持ってきたシンビジュウムは

           毎年美しい花を咲かせている・・・。

 

 いつの間にか咲くようになった山野草たち・・、マツカゼソウが春をつける。

            ・・・・・・・

忘れていることも多いけど何十年も続けてきた大切なブログだ、いわば私の人生録。

慌てて庭の緑や花を撮っては見たけれど・・・そんなことしても仕方ないよネ。

どうしたらいいんだろう? 心機一転、何とかしなくちゃ!


春の色・苔と侘助のピンク色

2025年03月10日 | 野草

ようやく春が歌い始めた。朝の光りに照らされた萌黄色の苔の上で寒椿がポロンと音を奏でる。

 

昨夜の風で落ちたピンク色の侘助は、陽の光で輝きだした萌黄色の苔の上で踊る。

それに合わせて草木が一斉に歌い始めたよ・・・・春の歌を。

 

 

その色合わの妙に「ハッ」とする。

ピンク色と萌黄色なんてなかなかできるものではない。

 

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その昔、貴族の女性は十二色の布を組み合わせて十二単という衣装をまとった。

その重ねの色の美学も「自然」だったという。よく見ると自然は色の手本にみちている。

 

先日海を見ていて、言葉で表現する「海」と四色に分断した「海」とは違うと思った。

萌黄色とピンク色の組み合わせの妙も、人の手では決して生み出せない自然の妙理である。

 

  

  (朝の庭・写真の色がよくないのはカメラのせい!)

 

自然の芽生えるこの季節になると手ごわい自然の神秘をつくづくと思うのだ。

 

    

   

 


春の海・駿河湾

2025年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

日本海側は大雪だというのに、ここ静岡は眩しい程の太陽の光、海を見たくなって海辺まで行ってきました。

  見て下さい、この見事な青い海を! 静岡市の大浜海岸です。

 一番上が空の青・次は半島の青・真ん中が遠い海の青・手前が近くの海の青

 一枚の画面の中に四色の青がありました。

 

 用宗港には漁船が止まっていました。船の向こうには富士山も見えます。

  うみはひろいなおおきいな つきがのぼるしひがしずむ  

  なぜか頭に浮かんできたのは小学唱歌 でも思いついた私の歌詞は

  うみは青いな大きいな いってみたいなよそのくに というもの・・・でした。

 

   

 

   うみはひろいなおおきいな つきがのぼるし ひがしずむ

   うみにおふねをうかばせて いってみたいなよそのくに

 


オオエヤマとアマノハシダテ・百人一首の話

2025年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

お正月を奥丹後で迎え「丹後路」を楽しんできたはずが、いざブログに書こうとすると知らないことばかり、あれこれと迷い後回しにしている内に一月も終わりに近づいてしまいました。今さら「丹後記」もないかと思いましたが、ふと思い出したのが「つれづれなるままに・・・(徒然草)」の一文。で、文字通り思いつくままの一文です。

旅の始まり

「京丹後の宿が取れたから今年のお正月は京都だよ!」と娘からお誘いのメールが来た時、気軽に「了解」と返事をしました。でも「京丹後」の何処に宿が取れたのか、どこが目的地かも聞かなかったのです。それが私の認識の甘さでした。丹後はそう甘い処ではなかいことに気が付いたのは旅に出てからでした。

山陰線ホームで電車を待つ人。

大晦日に静岡から新幹線で京都駅に、駅はお正月を故郷で過ごそうという人や旅行客でいっぱいでした。さて旅の宿泊地「久美浜」とは何処なのか? それには何線に乗ればいいのか? そんな幼稚な疑問から不勉強な私の丹後行きは始まりました。

先ずはjR山陰本線、行先は「豊岡」です。兵庫県北部の中心都市と聞いてはいましたが知識はなし。聞いたことのない駅名に戸惑いながら、車窓に現れる景色をじっと眺めていました。景色は次第に田園風景になり、田畑はやがて林になり林は山になって、何処までも何処までもひたすら北上していきますが特別なものは何も・・・ないのです。

2時間ぐらいしてようやく町らしい風景が現れました。そこが「豊岡」でした。そこからまたバスに乗り換え山あいの道をくねくねと走り、さらに海沿いの道をくねくねと行くと、静かな湖のようなところに着きました。そこが日本海の入り江の「久美浜」で,人気のない淋しい処でした。大げさに言えば遥々と日本列島を縦断してよくきたな・・という感じ。

 

タイムスリップして平安の奥丹後へ

どうやら「大江山」とおぼしき写真。

宿について一休みしてからガイドブックを開いてみました。そして驚きました。京都から兵庫県に入って越える小高い山の名が「大江山」だったのです。そして「オオエヤマ」の先に見えるのが「アマノハシダテ」なのです。とっさ私の頭はタイムスリップして百人一首の一句が頭に浮かびました。

私の子どもの頃の思い出

子どもの頃、お正月のいちばんの楽しみは「百人一首」でした。晴れ着を着て家族全員が八畳間に集まってかるたを取る・・・・。歌の読み手は母で、上の句を読んだ後にちょっと間を置いてからおもむろに下の句を読む・・・。年上の兄や姉たちは、その上の句の一音を聞いただけでサッと手を伸ばし札を飛ばす。それをよそ目に私たち下の子は。自分の知っている一枚の取り札を大切に囲みこんで、それが読まれるのをじっと待つのです。(それが誰かに取られようものならワッと泣きだしたりして)それでも最後に2~3枚が取れれば大満足、上機嫌な楽しいお正月の行事が「かるたとり」でした。今考えれば家族全員の安上がりな娯楽だったのですが、そんなことを毎年繰り返していましたから私たち幼い子供たちも、いつの間にか自然に百人一首を覚えていました。「オオエヤマ」とくれば「マダフミモミズアマノハシダテ」です。歌の意味など全く知らないのに、そう丸暗記して覚えていました。その大江山に違いないのです。

大江山生野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立  古式部内侍

これは百人一首の中にある古式部内侍の歌なのですが、古式部内侍というのは和泉式部の娘。紫式部や清少納言と共に平安中期を代表する女流歌人として昨年のNHKの大河ドラマ「光る君へ」にも登場していた人物、その人の娘、古式部内侍がこの大江山・天橋立」の歌を詠んでいたのです。

天橋立の案内看板

当時(平安中期の1000年頃)母の和泉式部は地方に赴任した夫の橘道貞と共に丹後にいました。娘は都で宮遣いをしていましたが母に負けない歌人として知られていました。誰かが「そのお歌、お母さまに代筆してもらったのでは?」と聞いたのでしょう。問われてすかさず古式部内侍が返した歌が「まだ文も見ず天橋立」です。歌の意味は掛詞を使った次のようなもです。

大江山を越え生野を通る丹後の道は遠すぎてまだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙もまだ見ていません

京都と丹後はあまりにも遠く、簡単に手紙のやり取りのできるような距離ではありません。京から奥丹後に行くには数日がかかります。女の足では難儀な道のりです。そんな時代に和泉式部は丹後にいたわけです。京から丹後までの過酷な旅をして・・。

急に奥丹波も天橋立も、他人ごとではない身近な存在に思えてきたから不思議です。

言葉の持つ不思議・面白さ

思いがけない5文字の言葉から不思議な力をもらって、いろいろなことを考えました。兄や姉たちが取り札にしていた歌にも、きっとそれぞれの思いが託されていたに違いありません、百人一首には恋の歌が多いからです。そして、大江山に住む鬼の話や天橋立の国生みの話は、和泉式部や古式部内侍が子どもの頃にきっと聞かされていたに違いない・・そう思うのです。それが言葉の不思議、言葉には不思議な魔法があるのです。

天橋立駅とその案内図

子どもの頃覚えた一かけらの言葉から思いがけない奥丹後の姿を教えてくれた今回の旅に感謝です。本当にありがとう。

百人一首を編んだのは藤原定家です。平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した100人の歌人を択んで勅撰和歌集を編みました。それが中世から近世初期にかけ貴族の間で尊重され、さらに江戸時代になると「歌かるた」として普及します。そして昭和になると私たち庶民の間にも「かるた取り」として普及しました。おかげで知らず知らずに古文になじみ、昔の人の心と出会いました。「ことば」の持つ力に驚かされます。

次の日、私たちは天橋立に行きました。そのおはなしはまた・・ね。

   


京都・奥丹後から

2025年01月06日 | 旅の記録

遅ればせながら

あけましておめでとうございます。

暮れからお正月を京丹後で過ごしてきました。

思っていたのと違い丹後はあまりに遠く遥かな地、

ただただ茫然と、見知らぬ風土の見知らぬ文化や歴史を

タイムスリップしたように感じながら楽しんできました。

 

2025年1月1日」午前7時

宿から見た久美浜の日の出です。撮った写真に指で「おめでとう」を書いた年賀状です。

「京都」と言っても、今回旅した京都は、京の都の「京都」ではなく

いわゆる日本海側の北の京都、「海の京都」といわれる地域です。

このあたり一帯を「奥丹後」といいます。

 

宿泊地の海。久美浜湾は湖のように静かで穏やかな海でした。

ここから今回の奥丹波の「旅」は始まりました。

奥丹後記


メリークリスマス

2024年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Merry Xmas

おかしなおかしなクリスマス

何世紀か前に造られて、今は廃墟になっている石の家の前

見たこともない不思議な動物と

びっくりして腰を抜かしてるサンタクロース

 

この子の名前は「 、」と書いて「 シルス 」って言うんだって

海に流れ着いた流木と、道に転がっているブラステイックと金属でできた

おかしなおかしな 「 、 」「 シルス 」

未来から来たの? それとも過去から?

何処から来たのか 何しに来たのか知らないけれど・・・・

そんなこといいよね!

さあ  みんなで一緒に 「 メリークリスマス 」

 

 


竜胆(リンドウ)の花が咲いたよ

2024年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

あっという間の師走です。枯葉の掃除の忙しい季節になりました。

そんな枯葉に覆われた庭の片隅に薄青紫の竜胆が咲いていました。

 

 

   

 

今年の異常な暑さで、繊細な花はみんなダメ、セイタカアワダチソウのような逆境に強い花が庭を覆っていました。

なのに師走になって、美しい薄青紫色の竜胆の花が咲き、その傍らにはいつものように野菊の花が咲いていました。

 

   

 

「民さんは何がなしノギクのような人だ・・・」と政男がいう。

 民子は野菊のような児であった。全くの田舎風ではあったが粗野ではなかった。

可憐で優しくそして品格もあった。

「政男さんは何がなしリンドウのような人だ・・・」と民子がいう。

 

 伊藤佐千夫の「野菊の墓」の一節、読んだのは確か高校生の頃です。それなのにこの花を見ると今だこの台詞を思い出すのです。

 人の感性と言うものは、何かその中心に核のようなものがあって、その核を中心に年月と経験が重なって太っていくのではない

 か・・・・なんて勝手のことを想ったりします。

 野菊も竜胆も秋の野にひっそりと咲く昔ながらの野の花なのですが、何故か気品の感じられる花なのですね。

 

 


埴輪HANIWA展(東京国立博物館)に行ってきました。

2024年11月13日 | 展覧会

埴輪 [けい甲の武人]・古墳時代6世紀

教科書などでお馴染みの埴輪です。

まだ可憐な少年の面影をしていますが、体にはがっちりとした甲冑を付け頭には金属製の兜をかぶっています。手足にも武具を付け、一方の手には弓をもう一方の手には剣を持って、見るからに凛々しく若い兵士の姿です。甲冑を締める革紐の蝶結びが何とも可愛らしい・・・です。

会場には同じような埴輪が何体か並んでいます。

その身長はおよそ135cm、今の中学生ぐらいの身長です。私の想像を遥かに超えた実物大のリアルな兵士たちは、さながら日本版兵馬俑と言えそうな迫力です。

 

五体の「けい甲埴輪」が並ぶ会場風景

古墳時代は、およそ3世紀から6世紀頃までを指します。その後、仏教が入ってくると仏像や寺院が全盛となり、埴輪も姿を消します。その間の300年の埴輪文化を紹介したものが、今回の「埴輪展」です。

 

円筒古墳・古墳時代4世紀 

古墳時代初め頃の埴輪はまだ人の姿をしていませんでした。この土管のようなものを「円筒埴輪」と呼びます。

その後、時代を経るにしたがって埴輪の姿もさまざまに変わっていきます。

 

「家や舟や器材等の埴輪」古墳時代5世紀です。

王が権力を発揮する頃になると、古墳を彩る埴輪も権力の象徴になって行きます。埴輪は大量生産され、日本各地に船で送り出されました。

埴輪・捧げものをする女子

埴輪 踊る人々・古墳時代6世紀

   

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そんな埴輪文化の中で、私が一番面白いと思ったのが 動物埴輪 でした。

馬・鹿・犬・豚・猪 いろいろな動物が、かなりリアルな姿で作られていたのです。それらはどれも可愛いいのです。

 

狩人を見据える、牡ジカ

ふと振り返ると、人間と目が合ってしまい立ち止まる、そんな鹿のようすが生々しく伝わってきます。

その昔、人と動物は今よりずっと対等で、互いに尊重し合って暮らしていたのではないかしら?

・・・そんな勝手な想像をしてしまう程のどかではいわそうな動物たちなのです。

 

鹿型埴輪・狩人に追われ振り返る 古墳時代6世紀

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300年も続いた日本の古墳時代と埴輪文化。

そこには、日本人の気真面目で我慢強い精神性と共に、ユーモアとアーテイスチックな芸術性が感じられます。

 

青い空、緑の木々、豊かな水辺 美味しい魚や木の実、動物たちとの平和な暮らし、

なぜかノスタルチックな懐かしさを感じさせる埴輪展でした。

会期・12月8日(日) 場所・東京国立博物館 平成館

 

付録  utinohaniwaー2024

  先日作った家の埴輪です

 


2024年日展開幕

2024年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

長い長い夏が続いてなかなか秋にならない、おかしなおかしな年でした。

地震・洪水・大雨、異常気象が頻発して地球そのものの安否さえ問われる年でした。

そんな中でも人々は黙々とおのれの営みを続け、そんな中で迎えた日展でした。

 

 

2024年第11回日展      会場での展示風景 

炎濤乱【ほのおとうらん】

濤々と打ち寄せる波のようなブロンズの群像     

孤独な魂 燃え上がる命 炎のような情念 

孤高なるものへのオマージュ

そこには紛れもなくわたしがいる

 

【2024年度入選作品。会場での光線の具合が悪くブロンズが黒くなってしまいました】悪しからず


埴輪を作る

2024年10月04日 | 旅の記録

 お久しぶりー。 

 お願いがあるんだけど俺の誕生日に埴輪を作ってほしい!

 出来たらお願いしますー!

 

長野県に住む娘の長男(孫)からからこんなメールが届いた。こんなかわいいお願いに張り切らないわけにはいかない。

粘土ならお手のものと、気軽に作り始めた・・・がこれがなかなか難しい。

 

 

最初に作ったのは一番小さい子供の兵士みたいな埴輪。まだ小さな子供が兵士の真似をしているみたいでちょっと華奢すぎるかな?

で、資料を調べてみると古墳に眠る豪族の長を警護する埴輪は、鉄の鎧と兜で身をかため弓と剣を構える屈強な男性像だ。

二体目は背を高くして男っぽくしたつもり・・・だったが何となく現代っ子のスリムなハンサムボーイのイメージ。

で、三体目に作ったのが、大谷翔平クンみたいながっちりした体格のたくましくて強そうな埴輪。(のつもり)

 

さて、どれが合格するか? これから本焼きなんだけどネ。


九月(長月)・仙人草

2024年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

35℃を超える連日の猛暑・南海トラフ地震予兆警報・大雨と台風10号 異常な八月がやっと終わった。

風がほんの少し秋を運んできて、ようやく「やれやれ」とほっとした気分の九月(長月)がやってきた。

この異常な夏は。人間だけでなく自然にもかなりのダメージを与えたように思う。繊細な野草は高温に負けて枯渇し、丈夫な雑草だけがこれまた異常に生き残って、庭先の空地で風に揺れている。野生の白花フジバカマも野生のススキもそのほかの雑草も,優に2メートルを超える高さになっている。

ススキの根元には蔓性の野草、仙人艸(センニンソウ)が絡みつくように伸び上がって咲いている。どうして仙人草がここに来て何のために咲いているのかその素性は解らないが、遠くから見るとそれが緑を彩る白い髪飾りのようで、とてもきれいだ。

仙人草魔法のベール木々にかけ

 

センニンソウ・立派な名前はついているが、雑草のようにたくましい。いったん庭に持ち込むと容赦なく繁殖して取り去るのに苦労する。

「雑草」って一体何なんだろう?・・・と気になった。

雑草の定義

雑草とは、種子が不良な温度変化や湿度変化に耐え、休眠状態のまま死滅せずに土壌中に深く保存され、その後に耕しなどの人為要因や降雨などの自然要因に寄り土壌が攪乱され、種子が土壌表層に持ち上がり自然に発芽し育った植物のことを言う。

なるほど! 今年は谷津山のあちこちの樹々や草群に仙人草が絡みついた咲いている。この夏の異常気象が重なって眠っていた種があちこちで成長して繁殖したのだろう。仙人草は、昔から根や根茎を生薬として使っていたという。その樹液は有毒でもあったがそれがまた薬でもあったのだろう。まさしく仙人の仙人たる所以。

 

わたしはこの花を、花の少ないこの季節の切り花として「掛け花」に活けて愛用している。

天上の霞か雲か仙人草(誰の句か不明

仙人とは俗界を離れて山中に住み不老不死で飛翔する神通力を持つ人のこととか・・・「なるほど」。