浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

イスラエル強硬派 聖地乱入

2005年06月07日 | Weblog
 6月5日は38年前に第三次中東戦争が開戦された日ですが、その翌日の6日、イスラエル人約4万人(警察発表)がエルサレムにあるイスラームの聖地「アル・ハラーム・アル・シャリーフ」めがけて押し寄せ、その内70人が敷地内に侵入、それを阻止しようとするパレスチナ住民との間で小競り合いとなりました。
 この聖地は、イスラーム教の第三の聖地であると同時にユダヤ教にとっての聖地「テンプル・マウント(神殿の丘)」でもあります。しかし、国際的にはパレスチナ側の領土と認定されており、敷地全体はパレスチナ側のものです。そのため時折り、このようにイスラエルの過激派が強行突入して存在を主張しています。
 問題なのは、その侵入グループに自動小銃で武装したイスラエル警察が護衛として同行していることです。グループの行く手を阻もうとするパレスチナ住民に対して警察特殊部隊は銃を突きつけ、「スタン・グリネイド(音響手榴弾。大きな爆発音だけでなく直撃すれば負傷する。ちなみに私もでん部を負傷した事がある)」と催涙ガスで規制します。それが功を奏さないと、実弾を使った“規制”という名の弾圧を加えるのです。
 同様な行動で思い出されるのは、5年前の9月に現在首相を務めるアリエル・シャロン氏がこの地を踏み入れたことです。その愚直な行動が、皆さんご存知のようにインティファーダ(民族蜂起)を生み出し、多くの人が犠牲になったのです。
 第3次中東戦争では、エルサレムにおいても多くのパレスチナ人が戦争と占領によって家や土地を失いました。地元の人たちはその日を「アル・ナクサ(敗北又は後退)」と呼び、国際社会から冷遇される中、占領を憎み、不幸を嘆き悲しんできました。よりにもよってそんな日を選んで強行侵入するとは、これらユダヤ教強硬派の考え方は本当に理解不可能ですし、その独りよがりな行動は許しがたいことです。

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