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ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

東京都道・埼玉県道24号練馬所沢線

2023年12月11日 | TOKIOの道と川

練馬区の西部は交通の便が悪くて行きにくい印象です。鉄道も大江戸線の光が丘駅より西は、西武池袋線以外はほぼ埼玉県を走る東上線だけ。
練馬区西部でのこの二つの路線の間は最大で5km以上離れています(大泉学園=朝霞間)。うかつには近づきにくい場所だったのでGPS軌跡の空白地帯も多かった。
2023年はそんな練馬区の名もない都道をけっこう攻めました。行って見るといろいろ面白い所です。
今回は石神井公園駅から北西に向かって一番交通過疎の地域を都道24号線で横断し、最後はひばりヶ丘駅から退避します。

歩き始めはセンターラインもない双方向。いわゆる莵道の部類です。

石神井駅から10分ほどの都道沿いにこんなゴージャスな銭湯が営業中。人口密集の都心部でさえ存続が困難な銭湯がどうしてやっていけてるのか不思議です。

都道からちょい奥に見えた公園。入り口の波打つコンクリートの梁?が気になって近づいて行きました。練馬区立三原台公園。

入口のゲートとしてのオブジェかと思ったら、三重に連なる波型が公園内をほぼ半周取り囲んでいました。
パーゴラのようですが特に植物との絡みもなく、一部はトイレの屋根にもなっていましたが、基本的に無意味で巨大な存在です。練馬区面白い。

2023年2月に石神井公園から成増まで土支田通りを歩いた時に通りかかった東京外環道大泉JCT前の工事現場。

長さ1kmに渡る区間の住宅が10年ほどの間に全て消滅したのを見てから道路工事の光と影のようなものを強く感じるようになってしまいました。

大泉学園駅の少し先にある北野神社に参拝。この季節に背の高いイチョウが見えると寄らざるを得ません。

北野神社の拝殿の奥から隣接する小学校の校庭が見下ろせます。白子川の流域に近いので隣接地でもけっこう下っています。
かなりの轟音でJ-POPが鳴り響く中、子供たちがトラックをぐるぐる走り回っていました。私たちが子供の頃は音楽と言えば「天国と地獄」くらいでしたがずいぶん違います。

小学校の正門は明治25年創立の銘板が誇らしげに埋め込まれた古い石柱でした。
全国に小学校を設置する明治5年の学制導入から5年後の明治10年ですでに全国の小学校の数は25,000を超えていました。
140年後の2016年、小学校の数は2万を切って19.943校です。明治10年より今の方が少ないというのはちょっと驚きました。(数字は千葉大学教育学部研究紀要より)

白子川を越えて。白子川を往くは2023年3月でした。

川を渡った北側の丘陵地には諏訪神社。年寄りは寺社を好みます。

また大きな道路造成現場がありました。放射7号線、現在関越練馬IC付近で途絶えている目白通りを伏見通りまで繋げる計画の一部分でした。
元々何もなかった田舎町に東京外環という幹線道路と関越との交差場所になったおかげで練馬区の西側はずいぶん割の合わない害を被っているように感じます。

2か所で取り壊されたたくさんの建物の跡が更地になっていることがよく見えます。たまたま今日のコースはその2か所を乗り越えていく道筋でした。

堤稲荷神社。と石標がありますが地図上は四面塔稲荷神社。

練馬区に少しだけ食い込んできている新座市栗原を通過。都道24号が埼玉県に入ると埼玉県道24号になります。異なる自治体を跨ぐ道路は原則として同じ番号が振られます。

2021年5月の武蔵境通り~伏見通りを往くの時に通過した伏見通りの北端。3年前は南から来て最後は志木駅まで行って帰ったのでした。
都道24号はこのままm西北西に所沢まで行くのですが、今回はこの少し先で南に下ってひばりヶ丘駅から西武線で帰ります。
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