ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

東京外国語大学府中キャンパス

2019年12月23日 | キャンパス建築巡り

新宿から中央線で武蔵境、武蔵境から西武多摩川線で二駅の多磨駅下車徒歩5分。
今までいろんなキャンパスを見てきましたがここまで潔く外部との境界がない入口は初めてです。門扉自体がない。

通路のような広場のような敷石を斜めの進んでいくと目の前に橋のような構造物が見えてきます。

いくつもの校舎を2階の高さで繋いでいる真円の回廊。

Google mapで見るとこんな感じ。左下から敷地に侵入して肌色のリングの下まで来たところ。

リングを突っ切って奥にあった学生会館の食堂から入って回廊の高さに上がります。建物以外の場所に階段などは作られていないので。

木立の葉のない季節に来たので輪っか全体が見渡せます。リングの直径は91m。一周すると282m。

研究講義棟と言う一番大きな校舎に入りました。建物の全長が185mもある本当に大きな建物で建物内部が全部吹き抜けになっています。

東京外語大、正直大した期待もせずに来ましたが相当にすごいです。

リングのほぼ全体が見渡せる場所がありました。

高層部で外に出られるテラスもあちこちにあって西側からは富士山をはっきり見えます。

東京外語大がここに移転してきたのは2000年8月のこと。それまでは意外とうちの近所、西巣鴨のちょっと王子寄りの北区西ヶ原にキャンパスがありました。
北区西ヶ原には昔リコーダーを習いに通っていて、その行き帰りに広大な更地があったのを覚えています。今では整備されて公園や高校のグラウンドになっています。
一方、移転先のこの場所はそれまで何があったのかというと、なんと1965年の東京オリンピック時に代々木のワシントンハイツがここに移転して来たのでした。
「関東村」と名付けられた広大な敷地に在日アメリカ軍の宿舎を中心とした施設が並んでいましたが、わずか10年後の1974年に日本に完全に返還されます。
その後20年に亘って跡地の利用法が議論されながらなかなか決まらず廃墟化していきます。紆余曲折を経て最終的に外語大の移転が決まったのが1993年のことでした。
大河ドラマ「いだてん」でマーちゃんが「選手村は競技会場まで歩いて行ける代々木でなければならない!」と、すべてを覆してゴリ押しした結果、外語大が今ここにある。
もちろんキャンパス内を散歩している時はそんなことは全く知りません。ブログを書くためにあれこれ調べて知る訳ですが、「散歩は2回美味しい」と言われる所以です。

研究講義棟の1階。かっこいいです。府中キャンパスの設計主体は久米設計のようです。

図書館も吹き抜け風。
外語大にはセッションで時々お目にかかる才知溢れる若い知人が在学しています。出会ってしまったらどうしようと少し心配しましたがそういうことはなかったです。
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2 コメント

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もっと外国語を (takako)
2019-12-24 10:59:25
習いたかったな。何か国語も話せたらいいなって思う今日この頃。
takakoさん (B)
2019-12-24 15:08:43
40年前はほとんど見ることもなかった留学生がどこのキャンパスにも大量にいて、
食堂や中庭のベンチでいろんな国が交じり合って普通に英語で会話しています。
takakoさんはもう何年もがんばっているからそのうちきっとモノになりますよ。

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