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ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

佐倉市役所庁舎 黒川紀章の実験室

2019年10月21日 | 建築&土木見物
新しい街に行った時はできるだけその地の役所の庁舎を見に来ます。
建てられた時期にもよりますが多くの場合にその街の気合やら鼻息なんかが見え隠れして面白いことが多いので。
といいつつ今回の佐倉行きでは市役所に行く予定はなかったんですが、歴博を目指して歩いていたら[←市役所]の標識があったので覗いてみたのです。

坂道を登ってたどり着いた市庁舎。うわなんだこれ、という印象。行儀よく縦横に窓が並んでいるだけなんですが何かヘンな気配が感じられる。
実はこの市庁舎、黒川紀章の30代の頃の設計で彼の代表作の一つとされている有名建築物だったのでした。1971年落成。
そういわれて見ると3階から6階までは4×4の直方体のカプセルが埋め込まれているように見えてくる。縦横に見える黒や緑のパイプも怪しい感じ。
左右の塔より中央部が低くて、後で必要になったら7階、8階と拡充できそうなこの形。メタボリズム的建築物だったのか。(違います)

太くて黒い丸パイプ。グリーンのパイプ。この翌年に落成する中銀カプセルタワーを連想させる丸窓。そして青すぎるウルトラマリンの空。

とりあえず中に。1階、2階は2フロア分の吹き抜けを持つアトリウム空間。バリアフリーの概念のない時代の無駄にスキップするフロア。

床下を這う配管。ガラス窓を突き抜ける空調のセントラルヒーティングの配管は鮮やかなグリーン。約50年前にはこういうのが未来的でした。

奥に進んで窓口業務の部屋。エントランスと同じワッフルスラブ。

エレベーターで5階へ。窓口でもないところできょろきょろ怪しい私。建物の見学に来ていますというとどうぞ存分に見て行って下さいと言われました。

丸窓から外方向に撮影したいというと、周りの物を片付けていただいたり。親切すぎる佐倉市役所の方。窓は左右の直径を中心に回転する仕組みでした。

管理職デスクの後ろの窓に見える尖ったコンクリートは第一庁舎の背後に建つ議事堂の屋根だそうです。

今時珍しく屋上まで自由に出入りできました。右手方向にこの後で行く国立歴史民俗博物館。間に谷地があります。広がっている森林が佐賀城跡公園。

この庁舎のすごいところは、その時代では特殊で先進的な建築工法にあることを、佐倉市のサイトにアップされている記録映像で知りました。
動画のキャプチャを使って説明します。

まず敷地の角4か所ににエレベーター室と階段室が入るコアとしてタワーを建てます。スライディング工法で全てをわずか11日間で作りました。

地上で3階から6階までの床(スラブ)と屋上、計5床を作ります。中空の鋼管(ボイド管)を敷き詰めてその上からコンクリートを打設することで重量軽減を図ります。

左側のコアはまだ製作中。スラブ工事と同時に進行しています。

スラブ5床が地上でできあがりました。鋼管(ボイド管)の断面が並んでいるのが分かります。このように作られるスラブをボイドスラブと言います。

スラブには切欠け部分が作られていて、そこに合わせて直径40cm、全長22mの鋼管(Gコラム)を10本建てます。

Gコラムに設置した油圧ジャッキの力で地上にある5枚のボイドスラブを上げて行きます。

スラブを常に水平に保つために10個のジャッキを均等に動かすのは至難の業。

すべてのスラブが所定の高さに収まりました。スラブの上に各フロアの壁や窓を作って建物が完成です。

ほぼ立ち上がった庁舎。こうして見ると若き黒川紀章が相応の熱意をもって実験的に建てたものと分かります。


ボイドスラブを持ち上げたGコラムがむき出し。工法を知ってから眺めると、この建物がどうしてこういうデザインになったかよく理解できます。

第一庁舎の裏手の崖に近い当たりに議事堂があります。地面からてっぺんまで繋がるコンクリートの直線が駒沢の体育館を連想させます。HPシェル(双曲線外殻構造)構造。

議事堂を外から眺めるには庁舎の右手の建物の先にある自転車置き場の隙間から奥に行かないと見られません。よほど興味のある人出ないと行かない場所です。
建ててから50年。表にある第一庁舎は5年前に2年かけて改修工事を行ったのでけっこうきれいですが議事堂の外観は手入れされなかったようで劣化が目立ちます。
5年前、改修か建て替えかで相当揉めたようです。改修はコストがかかる割に寿命を少し伸ばすだけ。新築の主張も充分理解できます。個人的には残してくれて感謝ですが。

こちらが改修前の第一庁舎。改修前はボイドスラブのボイド管がまだそのまま見えていました。脇のパイプも緑色ではなくて灰色。
完成当時はどんな配色だったんでしょうか。
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