ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

東芝未来科学館で。テレビの歴史と私。

2019年09月17日 | 美術館と博物館
3連休の真ん中の日。所要の帰りに7川崎駅の目の前にある東芝のビルにある東芝未来科学館に寄りました。

ラゾーナ川崎東芝ビル外観。2013年日建設計。この2階に科学館はあります。

前身である東芝科学館には小学生の頃に遠足で来た覚えがあります。
それがあった東芝の駅前の大工場は2014年にラゾーナ川崎と言う巨大商業施設に生まれ変わり、科学館も新しいビルでリニューアルオープンしたという経緯。

子供で賑わう体験展示施設から外れた場所に東芝の歴史を紹介するコーナーがありました。東芝の創業者のである「からくり義衛門」こと田中久重の紹介から。
コンパクトに折りたたんで携行できる懐中燭台は現代のアウトドア商品としても通用する機能とデザイン。

やはり有名なのはこちらの万年時計。季節によって一時刻の長さが変わる和時計や太陽と月の運行を表す天象儀などを組み込んだ空前絶後のぜんまい式時計。

昭和に入って家庭用の洗濯機や冷蔵庫の生産が始まったころ。

戦後15年が過ぎてずいぶんコンパクトになりました。テレビも普及し始めました。

面白いのはここから。それまで実験放送だけだったカラーテレビの放送も始まりました、の展示。テレビの上に当時のテレビ番組表が展示されています。

まだ、カラー放送の番組はごく一部です。分かりやすく番組表にピンクのマーカーが塗ってあるところがカラー放送の番組。

・・・・・という話ではなくて、これを見て私がびっくりしてしまったのはこの番組表が掲載された新聞の日付。
右上に昭和35年(1960)9月10日(土)とあるのが見えますか?スマホで見てる人はズームインして下さい。
で、この昭和35年の9月10日って、私が生まれたその日なんです。なんという偶然。

思わず近くにいたガイドのお姉さんに声をかけてしまいました。「こ、これ、この番組表の日、私が生まれた日なんです!」 それはすごい、と記念写真を撮りました(笑)

でもでもでも実は、東芝さんは別にランダムにこの日の番組表を選んで置いたわけではないんです。番組表をちゃんと見ると書いてある。カラーテレビの本放送開始
wikipediaの「テレビ」の項目にもちゃんと書いてある。

日本のテレビの歴史において1960年の9月10日というのはとても重要な日だったんですね。
でも私はこの日まで全く知らなかった。父母から聞いた覚えもありません。1960年の日本のテレビ普及率は約50%。うちなんかにはまだテレビもなかったんじゃないだろうか。
ましてやカラーテレビなんてとても現実の物とは思っていなかったのでは。いやそれより子供一人を出産するというその日です。テレビもへったくれもないか。


田中久蔵も参考にしたという江戸時代のからくり装置。ちなみにゼンマイを巻いているお姉さんがさっきの私の写真を撮ってくれた人です。どうもありがとう。
なんとなく懐かしさで入ってしまった東芝未来科学館でまさか自分の生まれた日の秘密を知ることになろうとは。面白かった!

ということで、先日59歳になりましたよ。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おめでとうございます! (気まぐれ)
2019-09-17 13:42:40
プレ還暦おめでとうございます。
何かの偶然で自分と関係ある日を見つけると嬉しいですね(*^-^*)
懐かしい家電がいっぱい。
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気まぐれさん (B)
2019-09-18 08:51:52
ありがとうございます。
同じ日付生まれとかならいろいろいるんですが。
斉藤由貴とか松田翔太とかジョー・ペリーとか。
年度まで同じとなるとなかなか一致するものはありません。
生まれた日の新聞をコピーしてくれるサービスがあるらしいので
一度見てみようかな。
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おめでとう♪ (Ree)
2019-09-22 11:14:33
そっかぼちぼち還暦だったか。おめでとう。
私がそうだったんだ!と思ったのはその上の、映画会社がテレビへの作品販売や俳優の出演を拒否したため云々というところ。だからアメリカのドラマや映画をいっぱいやってたんだね~。
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Reeさん (B)
2019-09-24 09:37:23
還暦の先輩方からのお祝いが続きました(笑)
ありがと。
この頃、テレビは映画尾の人からは「電気紙芝居」なんて言われて
映画より一段低いものに見られていましたし、
同時に映画を脅かす危険なライバルとして敵視もしていましたからね。
でも私はその頃の記憶はなーい。
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