マシマロ日記

つれづれなるままに。ぼちぼちっと更新中。
建築から遠ざかってますけど。
専業主婦体験中。
日常の記録的なものを。

建築と雑誌

2009-11-12 09:33:34 | デザイン
建築を学生のころから勉強してきて、
建築雑誌をみるということは
一種のステイタスのようにもなってきていて、
建築雑誌をみていないと
いわゆる流行に遅れるのであって、
学校でも話題にのっていけないというところがあると思う。

流行を追わないと、この世界ではやっていけない
という意識が知らず知らずのうちに
自分の中に刷り込まれていっている。

ふと、考えるに
これはファッション雑誌を見るという行為と同じ

流行というものに流されていってしまっているんではないか
それが自分の求めているものとしてあってよいのか。

ファッション雑誌は、流行を作り出してそれに消費者が
のっかって消費行為を促す
そういった媒体と考えるならば

建築雑誌もそういう見方をしてみたらどうだろうか。


今の建築の流行を提示して、それを行う事が、その設計を崇拝して
いくことがトレンドだ!という意識を刷り込まされているとしたら。。。

設計者の存在とはどうなってしまうんだろう

少し怖くなってしまった。

しばらく設計することから遠ざかった生活をしていたので
雑誌やテレビで熱心に建築にかじりつくことが少なくなっていたので
久しぶりにそういうものに触れたときの
なんというんだろうか

拒否感?
拒絶?

そういった感情が沸き上がるようになってきている。

建築を目指してます!という学生たちがいわゆる売れっ子建築家をすごいすごい!と
尊敬してます!と

そういった肯定意見しか出てこないような番組などを観ると
ものすごい恐怖感に襲われるのは私だけなんだろうか。

これは違うんじゃないですか?
という意見を言っている場面に遭遇できない。
それは、テレビなどにしたらそういう場面だけをピックアップして流しているのかもしれないが
なんだかちょっと逆に違和感を感じてしまう。

一様にみな右をむいたまま歩いているんじゃないかと。

なんだか上からものを言っているようで恥ずかしいが、
そう思ってしまったので
そう思ったままを記しておこうと思ってこうして記録している。

なんだかうまく言えないけど
どうしたらこの世界でやっていけるのか
それは流行に乗っていくことなのか
それは自分の思いを貫いていくことなのか

ある一つの理想像に到達してしまっている業界で
そこから外れたものでやっていくのは評価されるにも
する側にとっても評価しにくいことになっているわけで

なんとも難しいことになってきているんだろうな
とも考えたり。

つまり
迷っているのです。

秋ですから。


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