外出るって言ったのに、結局コンビニ止まりで断念。
駄目だ。。。なんか外に出るのに慣れてないかも。
特に一人が嫌いな私、つらいです。大人なのに子供みたいなこと言ってます。
どうしちゃったんだろう。これってやばいんじゃないの?!自分、本当に引きこもりの一歩、踏み出しちゃったんじゃないの??
コンビニからの帰り道、どこからくるのか分からない不安感でいっぱいになってしまった。
事務所に送るポートフォリオ。送らねば。せっかく時間つくってまとめたんだもの。
派遣の仕事は当てにしないで、事務所就職優先で動くのが常識ですな。
しかし、このどうしようもない生活に溺れてる私は、どうしたらいいのだ?
本当にこのままでは、人生終わりそうだと思い、美術館にでも行こうかと検索してみた。そういうものにも最近触れていないんだな、私。
毎日主婦業みたいなことしかやってないな。。。。こんなんじゃせっかくの4年間の授業料も、無駄になっちゃうよ。
こういうときって、どうしたらいいのか。。。。
さんざん悩んだあげく、時間だけがもったいないので、この思いを書くか、とパソコンの前に座ったのです。
さて、いざ取り組んでみると、こうして書いている今でも、何を求めてやってるのかわからないまま。建築話もなんだかな~という感じで、とりとめもつかないような内容ばかりがつらつら書かれているわけです。
まあ、自分のストレス発散になればいいなと、それは感じていますが。
でも、建築話になっちゃう。
群馬の富弘美術館の内覧会に先日行って来たんだけど、一緒にいった中での評価はいいものではなく、しばらく考えていた。あの建物は富弘美術館として建てなくても良かったんじゃないのかな。そういう思いが強く残ってたから、なんだか日に日に評価も落ちていってる。
コンペの応募作品が雑誌などに掲載されて、実際こんなのができたら面白いんじゃない?という話題は周りでもあって、実際にその案が通って、建つんだということで期待してた。
でも、実際できちゃうと案の時点での感動は無くなってた。どうして?どうして??新建築に載ったときから、そうとまどってて、実際目にしたときは、もう疲労感でいっぱいになってしまった。これが、これからの建築家の仕事ということになるなら、疑問を感じずにはいられない。生意気言ってますが、ホント、そう感じちゃったんだもん。
まだ若手だから、って話もできるんだけどなんか違う。こういう仕事でいいのかって自分に問いかけてた。まず、自分が建築という世界に戻ろうとしていて、就職活動を始めているからなんだろうけど、この世界に入ることに恐怖感を、嫌悪感を抱いてしまったの。
嫌悪感を引き出す建築って、あまり出会ったことがない。でも、最近の私の建築に対する思いはとてもポジティブではなかった。だからこう感じちゃったんだろうな。
母校の大学の後輩とかも見に来ていたんだけど、どう感じたのか聞けば良かった。テクスチャーがいろいろあって面白いな、とか、自分が何処にいるのか混乱しちゃう楽しさがある、とか、そういうところで純粋に感動していたのかなぁ。
自分も学生だったら、そんな風に感じることができたのかなぁ。
随分ひねくれちゃったな、私。
最近金沢でSANAAの金沢21世紀美術館を観る機会があったんだけど、それは思っていたよりも良かった。あれは、爽快感があったんだよね。どこが?っていわれるとう~んってなるんだけど、嫌味なところは無かった。迷路みたいなところはあったけど、それはそれで純粋に楽しめてしまった。あの美術館は、美術館としてちゃんと成り立っているから良かったんだと思う。
二つは似ているようで全く違う。この差は、一体どこからくるんだろうか。中身のシステムだけが優先しているような建物だから、ということなんだろうか。あれは、アート作品として、仮説的なものであれば、十分成り立つと思う。うん、なんか仮説っぽいんです。
それは、個人的な感情なのかもしれないんだけど。
あ~あ、また建築恐怖症に陥ってしまいそう。
さんざん批判したあげく、自分の卒業設計も空間優先型だったことに気付いて、震えが来た。
やっべ!みたいな。
まあ、なんだかんだ言っておりますが、私がこれだけいろんなこと言えるのは建築だけかもしれない。そんなに言うんだったら、自分でつくれば?って何度言われたことか。
普通そうみたいなんだけど、なんか、この世界にはいれないんじゃないかって距離置きたくなっちゃうんですよね。
磯崎さんとか言うことぶっ飛んでて、でかいから面白いけど、そんな人ごく少数派。
今の建築業界って、閉鎖的な感じがするのです。あそこに居たら、自分が洗脳されるんじゃないかと思ってしまう。そんな恐怖感、あるんです。
まあ、宗教みたいなものですよね建築って。売れっ子建築家がこう!って言うと結構そっちの方向へみんな回れ右、みたいな。その団結力のすごさにはなかなか敵わない分野なんじゃないでしょうか。哲学だって人もいるけど。奥深すぎて難しい。面白いのはあるんだけどな。なんか、それについていけない感じかしてしまうのです。いや、その中に入っていたくないのもあるかも。どこか、ぬるま湯に浸かってる感じがイヤなんです。
あくまでも個人的感情ですが。
そんなひねくれものが、設計事務所にいこうとしているわけですが、こんな奴扱いにくくていやだろうな。ま、そんなこと自分の中でうだうだ考えてるだけだけど。こんちくしょうの精神でやるってのが、楽しそうな感じもしないでもないし。
仮面かぶってるわけです。
たまに、その仮面がずれてるの気付かなくて、ぽろっと恐ろしいことこぼしたりしてしまうのですが。。。
こんな生活にも早くおさらばしたいと共に、奥田民生のアルバムが出ることに興奮している私。多重人格かもしれない(笑)
機嫌悪くても、奥田ネタですっかりご機嫌になれるから。
春ってすきな季節なのに、なんだか今年は霞がかってます。
駄目だ。。。なんか外に出るのに慣れてないかも。
特に一人が嫌いな私、つらいです。大人なのに子供みたいなこと言ってます。
どうしちゃったんだろう。これってやばいんじゃないの?!自分、本当に引きこもりの一歩、踏み出しちゃったんじゃないの??
コンビニからの帰り道、どこからくるのか分からない不安感でいっぱいになってしまった。
事務所に送るポートフォリオ。送らねば。せっかく時間つくってまとめたんだもの。
派遣の仕事は当てにしないで、事務所就職優先で動くのが常識ですな。
しかし、このどうしようもない生活に溺れてる私は、どうしたらいいのだ?
本当にこのままでは、人生終わりそうだと思い、美術館にでも行こうかと検索してみた。そういうものにも最近触れていないんだな、私。
毎日主婦業みたいなことしかやってないな。。。。こんなんじゃせっかくの4年間の授業料も、無駄になっちゃうよ。
こういうときって、どうしたらいいのか。。。。
さんざん悩んだあげく、時間だけがもったいないので、この思いを書くか、とパソコンの前に座ったのです。
さて、いざ取り組んでみると、こうして書いている今でも、何を求めてやってるのかわからないまま。建築話もなんだかな~という感じで、とりとめもつかないような内容ばかりがつらつら書かれているわけです。
まあ、自分のストレス発散になればいいなと、それは感じていますが。
でも、建築話になっちゃう。
群馬の富弘美術館の内覧会に先日行って来たんだけど、一緒にいった中での評価はいいものではなく、しばらく考えていた。あの建物は富弘美術館として建てなくても良かったんじゃないのかな。そういう思いが強く残ってたから、なんだか日に日に評価も落ちていってる。
コンペの応募作品が雑誌などに掲載されて、実際こんなのができたら面白いんじゃない?という話題は周りでもあって、実際にその案が通って、建つんだということで期待してた。
でも、実際できちゃうと案の時点での感動は無くなってた。どうして?どうして??新建築に載ったときから、そうとまどってて、実際目にしたときは、もう疲労感でいっぱいになってしまった。これが、これからの建築家の仕事ということになるなら、疑問を感じずにはいられない。生意気言ってますが、ホント、そう感じちゃったんだもん。
まだ若手だから、って話もできるんだけどなんか違う。こういう仕事でいいのかって自分に問いかけてた。まず、自分が建築という世界に戻ろうとしていて、就職活動を始めているからなんだろうけど、この世界に入ることに恐怖感を、嫌悪感を抱いてしまったの。
嫌悪感を引き出す建築って、あまり出会ったことがない。でも、最近の私の建築に対する思いはとてもポジティブではなかった。だからこう感じちゃったんだろうな。
母校の大学の後輩とかも見に来ていたんだけど、どう感じたのか聞けば良かった。テクスチャーがいろいろあって面白いな、とか、自分が何処にいるのか混乱しちゃう楽しさがある、とか、そういうところで純粋に感動していたのかなぁ。
自分も学生だったら、そんな風に感じることができたのかなぁ。
随分ひねくれちゃったな、私。
最近金沢でSANAAの金沢21世紀美術館を観る機会があったんだけど、それは思っていたよりも良かった。あれは、爽快感があったんだよね。どこが?っていわれるとう~んってなるんだけど、嫌味なところは無かった。迷路みたいなところはあったけど、それはそれで純粋に楽しめてしまった。あの美術館は、美術館としてちゃんと成り立っているから良かったんだと思う。
二つは似ているようで全く違う。この差は、一体どこからくるんだろうか。中身のシステムだけが優先しているような建物だから、ということなんだろうか。あれは、アート作品として、仮説的なものであれば、十分成り立つと思う。うん、なんか仮説っぽいんです。
それは、個人的な感情なのかもしれないんだけど。
あ~あ、また建築恐怖症に陥ってしまいそう。
さんざん批判したあげく、自分の卒業設計も空間優先型だったことに気付いて、震えが来た。
やっべ!みたいな。
まあ、なんだかんだ言っておりますが、私がこれだけいろんなこと言えるのは建築だけかもしれない。そんなに言うんだったら、自分でつくれば?って何度言われたことか。
普通そうみたいなんだけど、なんか、この世界にはいれないんじゃないかって距離置きたくなっちゃうんですよね。
磯崎さんとか言うことぶっ飛んでて、でかいから面白いけど、そんな人ごく少数派。
今の建築業界って、閉鎖的な感じがするのです。あそこに居たら、自分が洗脳されるんじゃないかと思ってしまう。そんな恐怖感、あるんです。
まあ、宗教みたいなものですよね建築って。売れっ子建築家がこう!って言うと結構そっちの方向へみんな回れ右、みたいな。その団結力のすごさにはなかなか敵わない分野なんじゃないでしょうか。哲学だって人もいるけど。奥深すぎて難しい。面白いのはあるんだけどな。なんか、それについていけない感じかしてしまうのです。いや、その中に入っていたくないのもあるかも。どこか、ぬるま湯に浸かってる感じがイヤなんです。
あくまでも個人的感情ですが。
そんなひねくれものが、設計事務所にいこうとしているわけですが、こんな奴扱いにくくていやだろうな。ま、そんなこと自分の中でうだうだ考えてるだけだけど。こんちくしょうの精神でやるってのが、楽しそうな感じもしないでもないし。
仮面かぶってるわけです。
たまに、その仮面がずれてるの気付かなくて、ぽろっと恐ろしいことこぼしたりしてしまうのですが。。。
こんな生活にも早くおさらばしたいと共に、奥田民生のアルバムが出ることに興奮している私。多重人格かもしれない(笑)
機嫌悪くても、奥田ネタですっかりご機嫌になれるから。
春ってすきな季節なのに、なんだか今年は霞がかってます。