

もともとは明治四十二年頃に地元の人々によって築かれた標高6mの人工の山とされ、以来地域の人々に親しまれてゐたが、

平成二十三年(2011年)三月十一日の東日本大震災の津波により削られ、現在の姿となる。

三年後の平成二十六年、國土地理院の調査で3mの「山」として確認され、いらい津波を耐え抜いた日本一低い山として、訪れる人々に大きな力を與へる“パワースポット”となり令和現在に至る。

數年前の夏、“日本一低い山で山開き”と報じる新聞記事を見て以来、いつか登りたいと願ひ續けて、やうやく今日に登山が叶ふ。
ただ、「ばんざい!」と双手は上げず、津波の犠牲となった方々に、静かに、深く、祈りを捧げる。
陸前高砂驛からこの海辺の山へ向かふ道は、かつて震災直前まで、地元住民たちの生活が集ふ「町」が存在してゐた。

しかしあの時の津波により全てが失なはれ、現在は産業地帯として復興が進むその跡地の一部に整備された慰靈碑が、かつての歴史を私たちに語りかけてゐる。

津波の高さと同じに築かれた防潮堤の上に立ち、海を望むと、潮風に穏やかな波をたたへた仙臺の海が廣がってゐる。

しかし私は、異様なうねりをもって襲ひかかる光景を先に映像を通して見たことで、この場所を知ってしまってゐる。
堅山南風の言葉の通り、忘れられないことは忘れやうとしなくてよい。

ただ、そこから學んだことを守っていくことである。
戻り道の途中で仙台市高砂市民センターに寄り、ここで發行してもらへる日和山の「登頂証明書」を、謹んでいただく。
戻り道の途中で仙台市高砂市民センターに寄り、ここで發行してもらへる日和山の「登頂証明書」を、謹んでいただく。

今日感じたことを決して忘れない、誓書なり。