
町田市立國際版画美術館の企画展「版画×写真 1839-1900」を觀る。
1839年、磨いた金属板に薬品を塗りつけるなど化学反應を利用して画像を冩し出す、“ダゲレオタイプ”と云ふ冩真技術が誕生すると、それまで冩實藝術の王道だった版画はその地位を揺るがされるやうになる。
しかし、ダゲレオタイプ版は複製が作れないこと、撮影に時間を要することからその瞬間の光景は冩し取れないと云った欠點を補ふことに活路を見出し、上手く折り合をつけながら、さらなる藝術性を模索する。
一方で冩真は現像技術が進歩するにつれて、「藝術(美術品)」として扱へるのかどうか、と云った議論がなされるやうになる。
私は、冩真とは字に書く如く“真を冩”すことが至上使命であり、且つ記録媒体として遠い後世まで殘し得る“資料”でなければならない、と考へる。

(※1871年のパリ・コミューンによって破壊されたパリ市役所 案内チラシより)
そこへ装飾としての藝術性が加味されるぶんには、作品に潤ひを與へるものゆゑ大いに結構だが、ただただ藝術性ばかりを狙ったものであるならば、それは抽象繪画となんら変はらず、冩真である意味そのものがない。
現在ではまう逢へない人、現在ではまう見られない景色を記録し、且つその一葉によっていつでも逢ふことが出来るところに、私は冩真といふ文明の真価を見るのである。