川崎能樂堂の川崎市定期能公演で、觀世流「百萬」を觀る。觀阿彌の古作を世阿彌を改作したものが現行曲云々、古い時代の猿樂の雰囲氣を思はせる狂乱遊舞の傑作にて、シテの熟練技を端座姿が美しい八人の地謠方と、その佇まひに隙のない囃子方が盛り上げ引き立て、それでゐて自身の技藝をしっかり示した融合の極致、かうした贅沢な時間はあっと云ふ間に過ぎてしまふ。名殘り惜しき亂舞かな。 . . . 本文を読む
ラジオ放送で、七世大江又三郎追悼の觀世流「梅」を聴く。江戸時代中期、猿樂の総帥らしい權威とシゴトをなにか示したい欲求に駆られた十五世觀世座太夫の觀世元章(くわんぜ もとあきら)が、これまでの謠の詞章や節付けを國學由来の故事に則り大幅に改めた「明和改正謠本」を斷行した一方で創った曲であり、猿樂得意の和歌を扱ひながらここでも國學のウンチクを絡めてゐるところに特色がある、やうだ。國學と云ふ、いかにも泰平 . . . 本文を読む
わが町は昼過ぎから雨模様との予報が前倒しされて午前中から小雨、外を見上げていっぺんに不快になる。雨が大嫌ひな私にとって、そのためにせっかくの暇な一日が足止めになるのは、もっと嫌ひで癪に触る。よって、構はず散歩道途中にあるスーパーまで買ひ物に出かける。場所が、ふだんの買ひ物にはちょっと距離があるので、なにかの目的ついででなければ、なかなか足が向かぬ。しかし、この地域密着型店舗は私が知る限り、近隣のス . . . 本文を読む
昼食後、ラジオを聴きながらボンヤリと椅子にもたれてゐるうち、ふと「大きな地震はかうした時にもいきなり襲ってくるのだな……」と思ふ。いつも通りと信じて疑はない日々を、文字通り足許から揺るがす大きな災害。ヒトはそれを自ら經験し、または目の當たりにして、はじめて物事を學ぶ、はず。私にとってそれが東日本大震災であり、阪神淡路大地震である。あれから十四年、安息に期日はない。予告もない。 . . . 本文を読む
ラジオ放送で金剛流「三山(みつやま)」を聴く。一人のオトコを巡って二人のオンナがいがみ合った大和地方の傳説を舞薹化した曲で、金剛流のほかに寶生流にも傳承され、これはたしか水道橋の能樂堂で、一度觀た記憶がある。曲の後半に櫻と葛が優雅に火花を散らす件り、これは猿樂だからさうなるのであって、現實世界でオンナ同士がつかみ合ってケンカしてゐる様を目の當たりにしたことがある私には、さうした美化は却ってウソ臭く . . . 本文を読む
今週はじめての晴天。すっきり晴れてくれると、冷たく強い風もまァ許してやる氣になる。明日はまた天氣が崩れるやうだが、今はまァ、考へないやうにしやう。寒緋櫻もだいぶ見頃になった。これから櫻も咲いて、觀るこちらも笑顔になれますやうに。近頃、私の生活圏内の自販機で見かけなくなった昔ながらのUCCミルクコーヒーを一ヶ所でだけ久しぶりに見かけて、「おっ……!」と、嬉しくなって百圓玉を投入す。發賣 . . . 本文を読む
昼過ぎまでの曇りがやがて雨粒をポツリポツリと落とし始め、夜になってつひに雪粒となりため息も白くなる。先月に大阪で小雪に遭遇したが、東京圏では今日が今年初。この數年、東京圏でも年に一度は雪を見せられるやうになった。この迷惑な天候をガマンさせられた先に、春と云ふすぐ暑くなる寒さ戀しい季節がやって来るのだ……。 . . . 本文を読む
ラジオ放送で、金春流「箙」を聴く。一ノ谷の合戰で、箙に梅花の枝を挿して戰ひにのぞんだ風流な若武者の奮戰譚。優雅なやうでゐて、曲中では兜を打ち落とされながらも敵方を斬りまくる血生臭い様が再現され、それは武勇譚と云ふより能樂が得意とするところの、修羅の苦しみのそのものではないか、と映る。シテ(主役)の梶原源太景季は勝者側(源氏方)なので“勝修羅”物の曲ではあるが、大勢の人を殺してお手柄なのは現世にゐる . . . 本文を読む
“街”からの帰り、棲家の最寄り驛までの電車賃百數十圓をケチって、線路に沿った道を一時間以上歩いて行くことを選ぶ。その途中で、すでに散り始めてゐる梅に逢ふ。もう三月、たしかにそんな時期かなぁ、と思ってゐると、自転車に子どもを乗せた男性が、「あ、櫻が散ってる……」と云ひながら通り過ぎて行った。さうか、今年はもうサクラが咲いたのか……、と私はこの嬉しくない暖さに時間の感覺がおかしくなってゐるらしいことを . . . 本文を読む
三月が妙に暖かい氣温で始まる。向かふを眺めると景色が霞んで映るのは、花粉の為せるわざか。しかし週明けには極寒に戻り、東京圏でも雪予報云々。ヒトを持ち上げたり突き落としたり。落ちぬは米価をはじめとするモノの値段ばかりだ。春本番になれば何かと忙しくなる、ハズ。今月はその準備に、じっくり充てやう。 . . . 本文を読む
昨年はうっかり行き損ねた地元の梅林へ、梅を觀に行く。 ここの梅林は老木のせいか、他より見頃がやや遅めなので、今日あたりがちゃうど良からうと出かけて、ほぼ正解。たぶん、今日あたりが見頃の終はりだらう。今年は、なのか、毎年なのか、紅梅より白梅のはうが多い氣がして、べにうめはどこぢゃと探して歩く。氣持ちのありやうで、花の表情(いろ)も變はるのかしらん……? . . . 本文を読む
ラジオ放送の觀世流「弓八幡(ゆみやはた)」を聴く。後宇多院の宣旨を蒙り京の裏鬼門にあたる石清水八幡宮へ参詣に訪れた臣下は、神詫により天下泰平の願ひをこめた弓を袋に包んで奉納せんとやって来た老人と出逢ひ、身分の賤しい老人の代はりに弓の奉納を約束すると、やがて老人は末社の神であると正体を明かし、天下泰平の御世を言祝ぐ──德川政權時代に「高砂」に取 . . . 本文を読む
近所のスーパーマーケットへ、お米を買ふ目的で出かける。いまや精米5kgが税込み4000圓薹が當り前となり、官の備蓄米放出も焼け石に水と云はれ、まったくバカにしてゐると惡意の四面楚歌。いちおうレンチンのパック御飯はある程度“備蓄”してあるが、精米5kgにするか、さらにレンチンにするか、行って見てから決めやうとはっきりしない氣分で店内に入り、両方の賣場を覗く。それでも心が定まらず、さらに往復してゐるう . . . 本文を読む
ラジオ番組で、“閉店or開店の思ひ出”のお便りを募集してゐるのを聴いて、二昔前の大阪に住んでゐた時代に逢った二軒のラーメン屋を思ひ出す。當時住んでゐた町の驛前に“橫濱家系”の店が開店し、そこの醤油豚骨味のチャーシュー麺にハマり、最盛期には一日おきに通ってゐた。おそらく三十代前半くらゐのちょっとイケメンな男性店主が一人で切り盛りするカウンターのみの店で、客の入りもそこそこ良かったと記憶してゐる。店は . . . 本文を読む
おはらひ町をあとにし、急勾配が長く續牛谷坂を上りきり、狭い道がうねうねと伸びるいかにも旧街道らしい風情の始まるこの界隈こそ、かつて江戸の吉原、京の島原に並ぶ日本の“三大遊郭”のひとつだった古市(ふるいち)だが、現在では取り壊すきっかけもなく殘った古い家屋が點在する静かな町にて、お伊勢参りを済ませた男たちの“精進落とし”で殷賑を極めた往年など偲ぶよすがもない……、やうだが、注意すればその痕跡を見出す . . . 本文を読む