トッシーの気分は天晴れ

ようこそ、トッシーの気分は天晴れへ→
団塊オヤジのブログ奮闘記をみてくださいネェ!

伊豆東海岸線・想いでの「露天風呂めぐり」

2013年05月25日 | 旅行記

伊豆東海岸線想いでの「露天風呂めぐり」

10年前頃、会社の友人達と伊豆東海岸線にある

故郷の「露天風呂めぐり」をした際に描いた

スケッチ(イラスト)を見つけた

整理しておこうと想い、また大変懐かしくなったので、
このブログに残しておこうと考えた

<故郷海岸線の露天風呂めぐり(イメージ)イラスト>

Photo


国道135号線を進むと、伊豆高原が
見えてくる、
夏休みシーズンになるとラジオから流れる渋滞放送
伊豆・八幡野交差点、10km・・・」を思い出します

その八幡野交差点を、更に熱川温泉方面に進むと、
伊豆赤沢の海岸線が見えてきます

この赤沢の高台にあるリゾート施設が、
DHC赤沢温泉郷」です

今回のイラストは、この赤沢温泉郷から

135号線の海岸にある

「赤沢温泉」、「大川温泉」、「北川(ほっかわ)温泉」
の海ぎりぎりぎにある露天風呂めぐり

を書いてみました

この夏休みに、ご家族で伊豆方面に観光される

方々にお薦めします。
参考になると嬉しいですね。

天晴れな気分になること間違いなしです

露天風呂等の詳細は、各施設や観光協会の

公式ホームページを参照して下さいネ)

1. DHC・赤沢温泉郷
・赤沢日帰り温泉館の3階、4階の大露天風呂から

眺める大パノラマ(太平洋を一望)
そして、眼下にみる小さな赤沢漁港と

右真横にみる天城連山は最高ですネ
(入浴料;有料)

2.赤沢温泉
・砂浜にある小さな露天風呂

(伊東市が誇る、隣接したトイレ)は、

真下に海水浴場、正面に赤沢漁港、

その先に伊豆大島を見ながらゆっくりできますネ

(入浴料;無料)

また、「投げ釣り用の釣り竿かついで」防波堤にはいつも釣り人がいます

私も釣りに参加していますネ

”スキューバダイビングスポット”でも知名度アリ

(釣り模様をイラストに描きました)

3.大川温泉
・小さな漁港の上にある小さな露天風呂も

ゆっくりできますネ
(入浴料;有料)

4.北川(ほっかわ)温泉
・135号線を北川温泉街(小さな漁港)方面に進む。
その真下の海岸ぎりぎりにある

「黒根岩・露天風呂」からみる、
正面の水平線(太平洋ひとりジメ・彼方向こうにはアメリカが)も最高ですネ
(入浴料;有料)男女別の入浴時間帯あり(要注意

以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船釣り「黒鯛とメジナ」を食べました

2013年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

千葉・雄栄丸の船釣り「黒鯛メジナ」を食べました

今回は、釣りクラブの2名が参加し、

千葉富浦港・雄栄丸をしたて、

2013.5.19(H25.5.19(日))

早朝5時半集合・6時出船で真鯛」を釣りに

行ってきました。

富浦沖・館山沖で・・

私(トッシー)は、料理をするため待機していました。

釣果の魚君を持ってるシーンをイラストに

描いてみました

(イラストをクリックで拡大が可)

20130519

2人の釣果は、黒鯛50cm(1匹)、メジナ(1匹)、

カワハギ(4匹)、ウマズラ大(1匹)、ヒラメ(1匹)、

カサゴ(1匹)でした

<店先にて・黒鯛メジナを囲んでの集合写真

Cimg9520_2

Cimg9518

早速私は、調理をして飲み会に参加しました>

美味しかったです

釣り人2名・O(オー)さん、Tさんのおかげです

気分は天晴れ

黒鯛の活き造り

Cimg9521

カワハギ煮付け

Dsc05112_2

③晴心特製の「スタミナ・豚の冷しゃぶしゃぶ」(お店より)

美味しいですよ!自家製ニンニク醤油たれ系

夏バテを吹き飛ばして下さい・・・

(次回ご来店のおりには、是非ご賞味下さい。お待ちしています)

Cimg9523

 

ヒトコト

真鯛釣りに行ったのに、残念でしたネェ

でも、

黒鯛(50cm)が釣れて大満足です

またの機会を期待しています

今、カレイが多く釣れていると・・・聴いています。

次回も頑張ってください・・・

 

以上。

<追伸・お店のPR>

いつも釣ってきたお魚の調理(料理)を

するのにお世話になっている

やきとり晴心」(せいしん)をご紹介します。

Photo_2 

次のホットペッパーグルメをクリックで

お店の詳細がみれますので、是非ご覧下さい

                                                 http://www.hotpepper.jp/strJ000767465/

 

以上。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日活100年・青春編(吉永小百合)」の朝日新聞記事を見て

2013年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

「日活100年・青春編(吉永小百合)」の朝日新聞記事を見て

2013.5.19の朝刊(朝日新聞)を見ていたら、
「日活100年・青春編(
吉永小百合)・(伊豆の踊り子)」の
記事に自然と目にはいった。

私(トッシー)も中学時代から「サユリスト」の

一人でしたので、
日活映画
「伊豆の踊り子(1963年6月公開)」

当然のこと鑑賞しています

それに、この映画のロケ地は伊豆半島

「天城、河津町湯ヶ島、下田、稲取・・・」
だったのでよく覚えています。

特に映画ラストシーンの東海汽船が出港する下田港が、実は地元「稲取港」だったのは衝撃的でした

私は、この撮影中の役者さんやスタッフさん等の

宿泊旅館も「稲取温泉」だった・・・と
記憶していますが
(もしかして、間違っていたら・ごめんなさい)。

このロケ期間は、伊豆半島の住民は、大興奮でしたネ・・・

そうです、踊り子・吉永小百合さんと、学生・高橋英樹さんが、
私が在学していた地元の高校(その時・私は高校1年生)

と同じ街に宿泊してロケしているのですから。
ソリャァ~・モウ!勉強どころではありませんでした・・・

そして、この朝日新聞の記事によると、

原作者・ノーベル賞作家の川端康成氏も
ロケ地まで行っていたとのことで、ビックリしました

<以前、旧天城トンネルから河津・下田方面をみた

イメージをスケッチ(イラスト)してあったので

貼り付けました>(伊豆PR)

昭和41年頃の天城トンネル頭上付近からのイメージ風景(八丁池方面の案内板あり)

昭和41年頃の話。
旧天城トンネルの「湯ヶ島口」には、ちょっとした広場があり、ここに車を改良した仮設売店のおじさんからジュース等を購入してから、
トンネル脇の急な坂道を登って天城無線中継所

(パラボラアンテナ)方面へ行ったことを想い出しますネ。


旧天城トンネル上部は、成長したブナ林の宝
坂道を登っている途中、挨拶がわりにか

バタバタバターッ」と、大きなキジ(オス鳥は美しい)が飛び立ち、自然を満喫していたころが懐かしいですネ
今も生息しているかしら

そして今では、そのパラボラアンテナは撤去されています

浄蓮の滝・ワサビ入りソフトクリームは、美味しいネェ>(伊豆PR)
名曲;石川さゆり「天城越え」の浄蓮の滝(わさび田)
もいいですネェ

<現在、踊り子さんと学生さんが「河津桜」でデートしたらの一場面>(伊豆PR)

Photo_8
昭和40年代は、現在の観光用
「河津桜まつり(2~
3月)」当然なかったが、
この頃から今日の「
河津桜まつり」のための準備をして

(苗木を育てて)いたようですネ

<現在の下田港下田市内のイラスト>(伊豆PR)

 今でも「下田電話局」はあります。
そして、その上には昔のまんまの「パラボラアンテナ」

が建っています。


その電話局の近くにある喫茶店「
邪宗門」には、

開店した当初から
挽きたての美味しいコーヒーを飲みに行ってましたネ

アンティークな羅針盤やランプ等が飾りつけてあり

落ち着ける喫茶店でした

日本開国の地・下田は名所や旧跡が数多くありますネ
了泉寺(ペリー提督率いる黒船;下田条約締結の寺)。
長楽寺(安政元年・日露和親条約締結の)。
・下田港「下田海中水族館

  (入り江を網で仕切った海中水族館は最高)

下田港「道の駅」とそこからの遊覧船黒船)も

いいですネェ

<現在の稲取「雛のつるし飾りまつり」見物イラスト>(伊豆PR)

Photo_10

 江戸時代から稲取に伝わり、桃の節句に雛壇の両側に

一対飾り、母親達が子供の健やかな成長を願ってきたお祭り

以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の頃の思い出(その11) ふるさとの秋祭り

2013年05月19日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その11)ふるさとの秋祭り

東伊豆海岸の半農半漁の小さな村に育った

私のお祭りの原点は、
誰がなんといおうが
子供の頃の秋祭りである

 昭和38年頃までの村の殆んどの家計は、

定置網漁」でささえられていた。

その定置網に「寒ブリ」が大漁の昭和33年頃までは、

小さな漁港も村中も活気付いていた。

勿論、そのお祭りを仕切るのは、

村のサラリーマン漁師達である。

 その当時、小学校頃までの私の父は、

地元青年団の団長を務めていた。


 秋祭りの1週間前頃になると、

若い衆達や漁師の奥さん達が我が家に集まりはじめ、
大人達は子供の頃に戻ったようにワクワクしながら

秋祭りの準備にとりかかりはじめるのでした

田舎歌舞伎」をするための舞台を組み立てるのは、

若い衆の仕事だ


小さな神社境内にある社務所

(毎日、青年団が寝起きしていた施設を兼ねる)
の神社境内(広場)側の窓を取り外すと、

立派な舞台に生まれ変わるという仕掛けだ。

そしてお祭りの、
10月24日~26日の3日間の昼間帯における

酒盛りをするための料理をつくるのは、

青年団員の妻達の仕事である

そのため我が家は、お祭りの準備から終わるまでの

約10日間が、村中の人に占拠されてしまうと

いっても過言でない

 子供心に

「お祭りって、ものスゲェ団結力があるナァ・・・」

って驚いていました

またお祭りが始まる2日前頃、隣村から「床屋」さんを

呼び、我が家の玄関先に
臨時の「床屋」をつくり、村中の子供から大人達まで

順番を待つ列ができ、綺麗にしてもらう慣わしがあった

当然、青年団長である父の息子の私は、

一番最初に理髪をしてもらったことを
今でも鮮明に覚えている

お祭り当日、
我が家における、祝いの酒盛りが

ピークを迎える頃になると、
青年団による、恒例の「
神楽」や「祭りばやし

演じられた

<神楽・祭囃子のイメージ・イラスト>

 

そして、その頃になると
我が家の庭先には子供や大人の村人が

大勢集まり、お祭り気分も最高潮に
達するのでした・・・

 なんといっても夜のイベントは、

小さな三島大社の境内につくられた

仮設舞台での「田舎歌舞伎」の公演である。

<歌舞伎のイメージ・イラスト>


裸電球で照らされる舞台、そして地面に

直接敷いたゴザの上で、
お母さんの手作りの「
郷土・お祭り料理」を

家族そろって食べながらの
歌舞伎観劇・・・・・ウメぇ、美味しいネェ

 ここでの田舎歌舞伎の人気演目は、
日本三大仇討ちの一つ「
曽我兄弟仇討ち」の
原点である、「
曽我の対面」である

子供の頃に親父の膝の上で座って観た、

この「曽我対面」にでてくるセリフ
赤沢山の南尾崎・・・」とは、

私が育った田舎のことである

そのセリフが神社に響く頃、村人達は

おらァ・地元の歌舞伎だァ・・・」と
大興奮したものでした

<ヒトコト>

 新しい歌舞伎座での「曽我の対面」公演

を是非・観に行きたいですネェ

以上。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の頃の思い出(その10)恩師との再会を楽しみに・・・

2013年05月18日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その10)恩師との再会を楽しみに・・・

過去に書いた文章を整理していたところ、この文章が電子化して記録してあったので、掲載することにしました

この文章は、平成15年4月25日の

ニッポン放送「お早よう中年探偵団

(あなたの心のスケッチブック)」に投稿し、

放送されたものです。

そうです、「高嶋ひでたけ」さんの

低音で魅惑的な美声を

MDに録音して、大切に保存してあります

そして、時々再生して聴いています

いい記念(お宝)になっています

気分は天晴れ

子供の頃の思い出(その10)

タイトル「恩師との再会を楽しみに・・・

3月のある日曜日夜八時頃、テレビを観て
いた私に、友人から電話があった。


彼女とは、昭和三十一年から三十三年まで、
幼稚園~小学ニ年生までの三年間、

伊豆東海岸にある小学校の分校の同級生である。


月日も流れ、とうとう私達も五十五歳になってしまった。


彼女の電話によると、彼女と同じ
県内に在む分校時代の恩師を訪ねたところ、
先生は、七十ニ歳で大変お元気だったとのこと…、
少し興奮気味に話してくれた。


当時分校があった私の村は、
六十戸程の村で、村中の殆どの家の
男は、定置網漁で働き、サラリーマン漁師で
生計を立てていた。


「寒ブリが大漁」になると、村中が活気に満ちた。


しかも、砂利を敷いた国道はリアス式
海岸の山を切り開いてつくり、

天を仰ぐような遠い所に位置し、

鉄道も無く、陸の孤島のよ
うな交通が不便な村であった。


分校の頃の先生は、美人で優しい独身の
先生であった。


一つの教室に川の字のように並べられた
机、海側から幼稚園、一年生ニ年生と三列に座っても、
全員で約ニ十名だった。


潮騒を聞きながらの授業。


スタートは、先生が名前を読み上げ出席を取る
ことから始まった。


丁度、映画「二十四の瞳」で
大石先生が子供達の方を向いて出席をとる
シーンと同じであった。

私達は、分校ですごす
三年間の担任は、ずっと同じ先生であった。


先生との想い出は深い…。
今でも鮮明に覚えていることがある。

課外授業として行われた、

目の前にある海岸での磯遊びだ。


大潮の時期、岩間の小さな穴へ恐ろ恐ろ手を
入れる、すると突起物の感触が「先生、先生、
アッタ・アッタョ~」と生徒達の叫び声。


そう、サザエのつかみ獲りが出来のだ。今で
は、夢のような話である。


私は彼女と、分校当時の同級生に声を
かけ、年内に先生を訪問しようと約束し、
受話器を置いた。


これが実現すると、私にとって、
約四十五年ぶりの再会となる。
今から楽しみだ…。

(文章;終わり)

 

ヒトコト

文章の中の

映画「二十四の瞳」で
大石先生が子供達の方を向いて出席をとる
シーンと同じであった。・・・・は、

以前「子供の頃の思い出(その6)」で、小豆島に

旅行した際のイラストを、下にはりつけました・・・

 

以上。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする