子供の頃の思い出(その9)「小さな漁村と食事」
「小さな漁村と食事」
病院で薬をもらう待ち時間に見た健康本で、味覚は幼少の頃に決ると読んだ記憶がある。
私にとっても「醤油に対する味覚」は、誰になんと言われようが幼年期に決まったといっても過言でない。
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私が生まれ育った故郷は、伊豆の半農半漁の70戸程の小さな村であった。
村の殆どの男達は、定置網でサラリーマン漁師として働き生計をたてていた。
勿論、私の父もその漁師の一人であった。
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また、村中の殆どの家庭は、天城山の溶岩が流出しできたリアス式海岸の山側に造成した段段畑で、成金豆(サヤエンドウ)を作り農協を通じて東京へ出荷し、生計の足しにしていた。
私が中学一年生であった昭和35年頃までの冬の定置網には、寒ブリが大漁で村中が活気に満ちていた。その冬網は、沖合い1Km先に仕掛られた大規模な定置網に比べ夏網は、黒潮の流れが速いので沖合い5百m先に仕掛け、アジ、イサキや石鯛等をとる小規模な定置網であった。
<大人になって・定置網漁に行った時のモノクロ写真より>
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定置網は毎日、早朝と午後2時頃の2回引き上げていた。
昭和35年頃までの村のバス停は、リアス式海岸の山を切り開いた心臓破りの坂道を登りきった天を仰ぐような遠い所にあり、鉄道もなく孤島のような不便な村であった。
また、村には2軒の小さな雑貨店があり、そこで味噌や醤油等の日常品を買い生活をしていた。
不便で質素な時代であったが、新鮮な海山の食材に恵まれた自給自足に近い生活は、子供心に結構楽しく感じていた。
漁師(父)は、定置網の親方からオカズと称して毎日もらってくる捕りたての鮮魚を、
玄関先の太い針金に吊るすのが日課であった。私はピクピク動く鮮魚を見ながら、今日の魚種は何かなア…と見るのがとても楽しみであった。
当時我家の365日朝昼晩三食のオカズには、必ず魚が入っていた。
村中の殆どの家庭も同じであったと想う、いやそうだったに違いない。
朝食には、ピクピクしているアジを左手で支え、右手で頭を折るようにして内臓を取り除いた一匹を味噌汁の出汁代わりに入れる。
同じように指先で内臓を取り除いた後に皮を剥ぎ取り三枚におろし、小アジの場合は骨付きのまま出刃で叩きくと「アジのタタキ」の出来上がり。
温かいご飯で「アジの味噌汁」、特に「アジのタタキ」を醤油におろしたての生姜を入れて食す旨さは最高であった!!!そして毎朝元気をつけてもらったような気がした。今でも忘れることができないオカズである。
更に、夏休みの時期には「マンボウ」が大漁にとれたので、毎日食べたマンボウの刺身も最高だった!!!
今では本当に幻の「マンボウ」に、そして夢のような話になってしまった。
当時、マンボウを市場へ持っていく文化はなかったので、捕れたものは全て漁師達のオカズになっていた。これも今では考えられないような話だ。
マンボウの切り身を指先で細く裂きながら大きなドンブリ一杯に盛りつけると出来あがり。
ちなみに、マンボウは白身であるが、多少ピンク色の身のほうが美味しい。
醤油におろしたての生姜を入れ、流すように食べる「マンボウソーメン」の旨さは日本一!!!
マンボウの肝をつけて食べた方が旨いという人もいるが、私は醤油が一番だった、我家は
全員「醤油」党であった。
子供時代の夏休みの話であるが、マンボウの外側の皮は分厚い脂肪で保護されている。
漁師達は、半畳程のマンボウの尻尾の一部に仕事用のナイフで穴を開け、そこに小さな漁港の船止め用のロープを結び付け泳がせていた。
つまり、マンボウが少ない時期の生きた保存用のオカズを確保しておく為の漁師達の工夫だったのだ。
私は小学1年生の頃の夏休みのある日、ロープにつながれて泳いでるマンボウを水中メガネで見た時の感激は、今でも忘れることの出来ない想い出となっている。
また、夏には何時もソーダガツオやハガツオ(地元ではホーサンといっていた)の刺身を、醤油と生姜で食べていた。
特につきたての柔らかい餅を食べるようなハガツオの食感と醤油の旨さも忘れられない。
自家製天日干しである塩味の干物も好物であるが、さらに旨いのは「アジ」や「サバ」のみりん干しが大好きだった、甘い醤油の香りと味付けは、大人になった今では酒のつまみに何時も食べている、醤油万歳である。
「アジ」や「イサキ」は、醤油と中白の砂糖にお酒を加えての煮付けのオカズも大好物であった。
大人になった私は、お酒を飲みながら御汁粉をオカズにするほどの両党であるが、父はお酒はいっさいやらずに甘党のみであった。
我家は子供の頃常に、御汁粉、餡子入り蒸かし餅や、ボタモチ(おはぎ)を食べていた、甘いものを食べていれば家族が円満なような家であった。
母の命日に実家を尋ねた時を想いだした。
満90歳で亡くなった父が「餡子入り饅頭」をペロット5個程食べたのにはビックリ、更に醤油をたっぷり付けての「お刺身」も…。そうか、長生きの秘訣は、お砂糖とアミノ酸豊富な醤油を食うことかと、私は思った。
子供(小学生)の頃、学校から帰ると何時も家から裸足で行ける程の所に位置する磯で「カサゴの穴釣り」をして育った。
<穴釣りは、こんな感じ。大人になってもやってます>
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磯カサゴは定置網には余り捕れないので、私の仕事のような気がしていた。釣りに行く都度、数匹ものいい形のカサゴを釣っていた。両親に誉められるととても嬉しかった。
釣った魚の煮付け味は、何時も私の当番だった。醤油、中白砂糖にお酒を少し、それに海草を主食としているので匂いをとる為にスライスした生姜を少々入れて煮込めばOK。
子供心にカサゴ本来の味を消さないように、入れる醤油と砂糖の量には気をつけていた。大人になった今でも煮物類の味付けは、誰にも負けないような気がする…。
冬網の定置網には、10Kg前後の寒ブリが大漁だった。
私の子供の頃の記憶では、寒ブリの定義は、11月~2月頃までに捕れる10Kg前後のものであったかと思う。
ある日、テレビで「日本海の寒ブリ漁の特集」が放映されていたのを視ていたところ、聞き間違いかもしれないが、寒ブリとは5Kg以上の型といっていた…。私は子供の頃と比較すると少し軽すぎるような気がした。
寒ブリが、一網に数千匹程の大漁な時は、何時も親方から漁師4人当たりに一匹をオカズにもらうことが出来た。
その時の本当の寒ブリの刺身を、醤油にワサビを付けて食べた時の脂肪のシコシコ感と甘味がのった旨さは、大人になった今でも本当に忘れられない。
以前、12月末・お正月用に、友人が故郷「壱岐」から寒プルを送ってきたので調理して・・・と言われ、三枚におろし刺身を作ってやったことがある。
体重計で測定したところ約6.3Kgあった。私は、少し別けてもらった。
脂肪がのった甘い身に、はじける醤油、すった本ワサビを少々付けて家族で食べた、美味い!子供の頃食べた旨さを思い出しながらお酒を飲んだ。
そして、楽しいお正月を楽しくすごくことができました。
以上