トッシーの気分は天晴れ

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三波春夫「家藝の軌跡」(BS-TBS)視聴

2021年10月08日 | 子供の頃の思い出

三波春夫「家藝の軌跡(BS-TBS)」視聴で懐かしむ

テレビ番組(2021.10.1)をながめるとムムッ・・・三波春夫家藝の軌跡」が載っている!視聴しました

最近BS各社は毎週平日の番組で「昭和歌謡や演歌」を放送中ですね

高齢者には楽しみの番組が沢山あり、昔(昭和)を懐かしみながら楽しんでいます

貴重なたくさんのアーカイブ秘蔵映像がイイデスね

a.今回視聴番組

 BS-TBS「三波春夫家藝の軌跡(終わり無き我が歌の道)」2021.10.1(金)21:00~22:54放送

b.司会 高橋英樹 堀井美香(TBSアナウンサー) さん

c.ゲスト

 細川たかし 市川由紀乃 

 三山ひろし 彩青  さんでした

・・・・・・・・・

高齢者になった私(トッシー)が”三波春夫さんが歌う地元の盆踊り曲”そうずら節”レコードで踊っていた子供の頃を思い出しました

伊豆東海岸の本当に田舎で生まれ育った幼少の頃(昭和30年代前半・33年頃?)・・・の昔話です

当時は本当にビックリな田舎でした

海岸の砂浜から少し高台の”狭い広場”に簡単に盆踊り用のやぐら(櫓)を木材で簡単に組み立てました(やっと”一人で太鼓”をたたけるスペース)

(当時子供の頃の田舎の”盆踊り”を下手なイラストに描いてみました・こんな感じ

盆踊りの曲目

①そうずら節

(歌:三波春夫/伊東市観光協会委託によるテイチクレコード制作だったと思います:地元おこしの歌は、当時全国的に制作されていたと思います)

②炭坑節

③八木節

➃ちゃっきり節(静岡県民謡)も踊ったかな?

⑤マイム・マイム

 (当時ハイカラな曲・フォークダンスを盆踊りで踊った記憶がありますね?)

 大きな声でマイム・・・・・ベッサッソン

手をつなぎながら今でも覚えていますね

ひとコト>

高齢になった今日、

各社テレビ放送による”昭和の昔の歌謡曲・演歌”番組を懐かしく楽しく視聴しています

昭和の”昔の子供の頃”をよく思い出します。

以上。

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伝馬船(櫂)、和船(つなぎ櫓)、焼玉ポンポン船が懐かしい

2020年10月11日 | 子供の頃の思い出

 伝馬船)、和船(つなぎ)、焼玉ポンポン船が懐かしい

生まれ育った田舎(昭和30年代前半)子供の頃の”和船”の思い出

昨日(2020.06.04)のブログタイトル

”細川たかし芸道45周年記念歌謡ステージが楽しみ”を掲載しながら、子供の頃に乗った”伝馬船和船”をつなぎ漕いだことを思いだしました

定置網写真に追加ありのため更新しました

私(トッシー)が生まれ育った田舎は、伊豆東海岸(相模湾)にあります。

むかし昔のお話

当時・子供の頃を想い出しながら和船を下手なイラストに描いてみました

昭和30年代前半は、定置網漁相模湾は日本3大・寒ブリ漁場の一つ)でした。

沖合約1kmに張られた「定置網」(田舎ではネコサイともいってました)。

当時の作業船は”和船”によるもので、動力は”手漕ぎ”でした。

小回り作業に便利な「伝馬船」は”櫂”を横方向”数字8の字”を左右にコネコネすると前進します・・・

定置網の網を引き揚げる作業の和船の「つなぎ櫓」は、立ったまま”櫓腕(ろうで)”を前後にかくと、海中にある”櫓脚(ろあし)”が左右に動き前進します・・・

小さな漁港につながれた”網を引き揚げる作業和船”は

沖合約1kmの定置網まで焼玉エンジン・ポンポン船(発動機船)”に引かれていきます(時間短縮です)

定置網漁に出発する早朝4時頃、特に冬場

焼玉エンジンを駆動するのに船長さんは苦労していましたね・・・

スカンスカン~ポンポンポン・・・と響く音・エンジンがまわると、

煙突から芸術的な丸い輪っかの”黒煙”が闇の早朝冬空へ舞っていく・・・

ひとコト>

①昨日(2020.06.04)ブログに載せた”細川たかし芸道45周年記念歌謡ステージが楽しみ”の「矢切の渡し」乗船の思い出(イメージイラスト)

②以前このブログ(子供の頃の思い出)で掲載済の昭和30年代定置網(地元では・ネネコサイといっています)に関する写真を追加し再掲しました(ブリだ

(私・トッシーが昔、写真に撮ってありました。本当に懐かしいですネェ

a.さあ出港だ!

「ポンポン船発動機(焼玉エンジン)の母船に引かれて約1Km沖の定置網へ」

b.定置網(ネコサイ)に到着(その1) 所定位置につけてOK

c.定置網(ネコサイ)に到着(その2) 所定位置につけてOK

d.定置網(ネコサイ)に到着(その3) サア網の網引揚げ・準備完了

e.オッ!ブリが大漁だ

f.だんだん狭まってきた!終盤だ

.

g.「このブリは10kg・・・あるかな?」

(ポンポン船焼玉・母船に引き上げられる)

ひとコト>

本当に昭和30年代前半までは、相模湾の定置網には寒ブリ大漁でした。

現在友人等に約10g前後の「寒ブリ大漁だった」お話しても、あまり信じてもらいません。

太平洋沿岸での「寒ブリ」漁は幻の漁場になってしまいました。

以上。

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伊豆熱川温泉(温泉熱利用)の塩工場を思い出す

2020年08月19日 | 子供の頃の思い出

伊豆熱川温泉(温泉熱利用)の塩工場を思い出す

昭和28年~30年代前半の幼少の頃、週末になると熱川温泉にある”お祖父ちゃんの家”に遊びに行きました

当時専売公社”温泉熱を利用した流下式製塩法”の塩工場を一人で見学しにいきました

入場禁止だったとおもいますが、お祖父ちゃんの庭先からつながった敷地のため入れたと・・・いうわけです

いつもお祖父ちゃんは”源泉”の熱湯(約100℃以上)に注意するんダゾーッ・・・といってました。

   

当時見ていた塩工場の中で、気になっていた場所がありました。

イラスト④⑤⑥⑦の源泉100℃畑(プール)の上に載せた”薄いトタン製(鍋に相当)が時間経つにつれて”白い結晶(海水塩)”が積もる・・・光景を大人になった今でも思いだします

   

大人になった今、熱川温泉・海水から温泉熱を利用した”流下式製塩法”を想像しながら下手なイラストにサラット描いてみました。

海水から温泉(源泉)熱を利用した”流下式製塩法”を想像イラストに>

(この製塩法の工程・上図想像イラストの解説)

①伊豆熱川温泉の海岸線らパイプを通じて、強力汲み上げポンプを使用して

②海水貯蔵タンクに一時保存

③海水循環濃縮プールに建てた”流下式竹枝を吊るした棚)”にスプリンクラー海水を散布濃縮循環させる。

自然の”太陽風”も利用して乾燥更に、濃縮効率を上げる仕掛け

➃「③循環濃縮プール」で十分に濃縮された海水

「⑦薄いトタン製大釜(1畳:約180cm✖90cm)に移す。

⑤温泉の源泉(約100℃以上)を

⑥建物内の「⑥源泉畑(プール)」に引き込みます

「薄いトタン製大釜(1畳:約180cm✖90cm)濃縮海水を温泉熱利用で”煮込み”みます

これ以降の工程は、ごみ掃除濾過余分なニガリを抜いて純白な食塩ができるのかな?

以上が想像した工程(イラスト)ですね。

間違っていたらごめんなさい

ひとコト>

子供の頃に社会科で習った「塩田式流下式製塩法」

いずれも濃縮海水大釜集められて火で煮込む”、火力を使う方法だと思っています。

最終工程を温泉(源泉)熱利用も納得な製塩法なのかな?

以上。

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子供の頃の思い出(その11) ふるさとの秋祭り

2013年05月19日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その11)ふるさとの秋祭り

東伊豆海岸の半農半漁の小さな村に育った

私のお祭りの原点は、
誰がなんといおうが
子供の頃の秋祭りである

 昭和38年頃までの村の殆んどの家計は、

定置網漁」でささえられていた。

その定置網に「寒ブリ」が大漁の昭和33年頃までは、

小さな漁港も村中も活気付いていた。

勿論、そのお祭りを仕切るのは、

村のサラリーマン漁師達である。

 その当時、小学校頃までの私の父は、

地元青年団の団長を務めていた。


 秋祭りの1週間前頃になると、

若い衆達や漁師の奥さん達が我が家に集まりはじめ、
大人達は子供の頃に戻ったようにワクワクしながら

秋祭りの準備にとりかかりはじめるのでした

田舎歌舞伎」をするための舞台を組み立てるのは、

若い衆の仕事だ


小さな神社境内にある社務所

(毎日、青年団が寝起きしていた施設を兼ねる)
の神社境内(広場)側の窓を取り外すと、

立派な舞台に生まれ変わるという仕掛けだ。

そしてお祭りの、
10月24日~26日の3日間の昼間帯における

酒盛りをするための料理をつくるのは、

青年団員の妻達の仕事である

そのため我が家は、お祭りの準備から終わるまでの

約10日間が、村中の人に占拠されてしまうと

いっても過言でない

 子供心に

「お祭りって、ものスゲェ団結力があるナァ・・・」

って驚いていました

またお祭りが始まる2日前頃、隣村から「床屋」さんを

呼び、我が家の玄関先に
臨時の「床屋」をつくり、村中の子供から大人達まで

順番を待つ列ができ、綺麗にしてもらう慣わしがあった

当然、青年団長である父の息子の私は、

一番最初に理髪をしてもらったことを
今でも鮮明に覚えている

お祭り当日、
我が家における、祝いの酒盛りが

ピークを迎える頃になると、
青年団による、恒例の「
神楽」や「祭りばやし

演じられた

<神楽・祭囃子のイメージ・イラスト>

 

そして、その頃になると
我が家の庭先には子供や大人の村人が

大勢集まり、お祭り気分も最高潮に
達するのでした・・・

 なんといっても夜のイベントは、

小さな三島大社の境内につくられた

仮設舞台での「田舎歌舞伎」の公演である。

<歌舞伎のイメージ・イラスト>


裸電球で照らされる舞台、そして地面に

直接敷いたゴザの上で、
お母さんの手作りの「
郷土・お祭り料理」を

家族そろって食べながらの
歌舞伎観劇・・・・・ウメぇ、美味しいネェ

 ここでの田舎歌舞伎の人気演目は、
日本三大仇討ちの一つ「
曽我兄弟仇討ち」の
原点である、「
曽我の対面」である

子供の頃に親父の膝の上で座って観た、

この「曽我対面」にでてくるセリフ
赤沢山の南尾崎・・・」とは、

私が育った田舎のことである

そのセリフが神社に響く頃、村人達は

おらァ・地元の歌舞伎だァ・・・」と
大興奮したものでした

<ヒトコト>

 新しい歌舞伎座での「曽我の対面」公演

を是非・観に行きたいですネェ

以上。

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子供の頃の思い出(その10)恩師との再会を楽しみに・・・

2013年05月18日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その10)恩師との再会を楽しみに・・・

過去に書いた文章を整理していたところ、この文章が電子化して記録してあったので、掲載することにしました

この文章は、平成15年4月25日の

ニッポン放送「お早よう中年探偵団

(あなたの心のスケッチブック)」に投稿し、

放送されたものです。

そうです、「高嶋ひでたけ」さんの

低音で魅惑的な美声を

MDに録音して、大切に保存してあります

そして、時々再生して聴いています

いい記念(お宝)になっています

気分は天晴れ

子供の頃の思い出(その10)

タイトル「恩師との再会を楽しみに・・・

3月のある日曜日夜八時頃、テレビを観て
いた私に、友人から電話があった。


彼女とは、昭和三十一年から三十三年まで、
幼稚園~小学ニ年生までの三年間、

伊豆東海岸にある小学校の分校の同級生である。


月日も流れ、とうとう私達も五十五歳になってしまった。


彼女の電話によると、彼女と同じ
県内に在む分校時代の恩師を訪ねたところ、
先生は、七十ニ歳で大変お元気だったとのこと…、
少し興奮気味に話してくれた。


当時分校があった私の村は、
六十戸程の村で、村中の殆どの家の
男は、定置網漁で働き、サラリーマン漁師で
生計を立てていた。


「寒ブリが大漁」になると、村中が活気に満ちた。


しかも、砂利を敷いた国道はリアス式
海岸の山を切り開いてつくり、

天を仰ぐような遠い所に位置し、

鉄道も無く、陸の孤島のよ
うな交通が不便な村であった。


分校の頃の先生は、美人で優しい独身の
先生であった。


一つの教室に川の字のように並べられた
机、海側から幼稚園、一年生ニ年生と三列に座っても、
全員で約ニ十名だった。


潮騒を聞きながらの授業。


スタートは、先生が名前を読み上げ出席を取る
ことから始まった。


丁度、映画「二十四の瞳」で
大石先生が子供達の方を向いて出席をとる
シーンと同じであった。

私達は、分校ですごす
三年間の担任は、ずっと同じ先生であった。


先生との想い出は深い…。
今でも鮮明に覚えていることがある。

課外授業として行われた、

目の前にある海岸での磯遊びだ。


大潮の時期、岩間の小さな穴へ恐ろ恐ろ手を
入れる、すると突起物の感触が「先生、先生、
アッタ・アッタョ~」と生徒達の叫び声。


そう、サザエのつかみ獲りが出来のだ。今で
は、夢のような話である。


私は彼女と、分校当時の同級生に声を
かけ、年内に先生を訪問しようと約束し、
受話器を置いた。


これが実現すると、私にとって、
約四十五年ぶりの再会となる。
今から楽しみだ…。

(文章;終わり)

 

ヒトコト

文章の中の

映画「二十四の瞳」で
大石先生が子供達の方を向いて出席をとる
シーンと同じであった。・・・・は、

以前「子供の頃の思い出(その6)」で、小豆島に

旅行した際のイラストを、下にはりつけました・・・

 

以上。

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