

<古くからの店もある、平野屋の創業は1637年とか・・・>

<御幸通り方面へは見通せない>

<慶喜公屋敷跡の浮月楼>
◆旧【紺屋町】は碁盤の目地区最東端に当る町
(というより碁盤の目地区から東へ張り出した地区と言った方が正確かもしれません)で、
江川町通りのひとつ東側に平行する南北の道沿いの町(丁目は付かない)でした。
今は「紺屋町通り」というと呉服町通りの延長部分である東西の道(パルコの前の通り)を言うことが多いのですが、
もともとは南北の通り沿い(中島屋玄関前の通り)で2丁を超える長さがあったようです。
静岡駅の開業により駅方向への道が次第にメインとなったため、
本来の紺屋町通りは「通り」としてのまとまりは失われ、
「横丁(関西で言う筋)」的になってしまったといえます。
碁盤の目地区の「1町=1丁」の原則からはずれているのは、
東側は代官屋敷等で実質的に西側に町が偏っていたからではないかと推測されます。
この紺屋町通りの北側は直線でなくやや東へ曲っていますが、
これは都市計画で御幸通りができたとき、御幸通りとの接続の関係で曲げられてしまったようです。
(曲った道を直線にされる例は多くても、もともとまっすぐな道を曲げてしまう例は少ないような気がします。)
紺屋町の読み方は、一般には「こうやまち」と読むのが主流なのでしょうが、
高齢者を中心に「こんやちょう」という言い方をされることもあります。
(二通りの読み方が混在していたという事実は興味深いのですが、
その昔は地名に使う漢字もいろいろな当て字が使われていたように、
地名の読み方も今日のように厳格性が求められるものではなく、
通じればよかったのかもしれません。
あるいは明治になって多くの幕臣が静岡へきたため、
江戸の町名の読み方「こんやちょう」が広まったのかもしれません。←と思ったのですが、
古い地図に「コンヤ丁」と記したものがありましたのでちょいと違うかもしれません。)
◆旧紺屋町を現在の町名で言うと
紺屋町2~4、6、7、11、12番地の各一部(現在の紺屋町の静岡駅に近い部分は、江戸期には駿府市中ではなかった。)
(町名変更は1945年)

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◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって両替町通りは東西、江川町通りは南北の通りということになります。
◆その他
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