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流れに任せて

『鎌倉殿の13人』の背景③ 以仁王の令旨

2022-01-19 10:24:34 | 歴史、民俗

平氏の専横が目に余るようになってきたころ、伊豆に流されていた源氏の嫡流、源頼朝はなにをしていたのか、ということは、実はよくわかっていません。

物語としてはそれなりのことが伝えられているのですが、どこまで本当なのかよくわからない。伊東佑親の娘、八重姫との間に子供を設けたという話や、それが佑親の怒りを買い、その子千鶴丸が殺されたという話。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもやってましたが、あれもどこまで本当なのかはわからない。

このころの頼朝の心の中に、挙兵の志があったのかどうか。しかし例えその志があったとしても、容易に立つことは難しい。兵を上げるにはそれなりの「大義名分」が必要です。

大義名分がなければ、全国に散りぢりとなって雌伏している源氏の残党や、平氏の専横に不満を持つ武士たちに召集をかけることは難しい。これらの者たちを集められなければ、ただの小規模な反乱で終わってしまい、到底平氏を討つことなど叶わない。

大義名分が得られる時、頼朝はその時を待っていた、のかどうか......。

 

後白河上皇を幽閉し、我が世の春を謳歌していた平清盛は治承4年(1180)、後白河院の皇子で時の天皇であった第80代高倉天皇を強引に退位させます。高倉天皇には清盛の娘、徳子が嫁いでおり、清盛は高倉帝と徳子の間に出来た皇子、言仁親王を即位させます。

第81代安徳天皇です。

自らの孫を天皇にした清盛。平氏の専横ぶりは頂点に達していました。

 

そうして遂に、時代が動く時がきました。

後白河院の第3皇子、以仁王(もちひとおう)が、平氏追討の令旨を発したのです。

 

令旨を発した以仁王は源頼政らと挙兵の準備をしますが、この計画が平氏に漏れてしまい、以仁王は平氏による先制攻撃を受けてしまう。以仁王らは討ち死にを遂げてしまいますが、以仁王の発した令旨は全国に雌伏する源氏や、平氏に不満を持つ武士たちを奮起させます。

 

皇族が発した令旨です。これ以上の大義名分はありません。以仁王は戦死してしまいましたが、その命をもって、時代を動かしたと言っていい。

 

やはり、歴史を動かすのは天皇、皇族だ。

 

伊豆の源頼朝はこの令旨をもって兵を上げることを決意。頼朝の元には続々と兵が集まり始め、その中には頼朝の異母弟で、奥州王・藤原秀衡の統治する、当時日本第二の大都市であった平泉に身を寄せていた、九郎義経もいました。

また木曽の山中に潜伏していた、頼朝・義経兄弟の従兄弟にあたる源義仲(木曽義仲)も独自に挙兵、ここに源平合戦の火蓋が切って落とされたのでした。

 

 

つづく

コメント (2)
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