問わず語りの...

流れに任せて

『青天を衝け』終わる

2021-12-27 08:32:57 | 芸能、音楽

『青天を衝け』終わりました。

幕末から明治を描いた大河ドラマで、旧幕側の人々をあそこまで徹底的に描いたドラマは珍しい。なんといってもその点を評価すべきだなと、思います。

特に徳川慶喜公、草彅剛さんの名演もあって、とても魅力的な人物として描かれていたのは、称賛に値します。

もちろん、ドラマですから、誇張された部分もあるだろうし、敢えて描かれなかった史実もあるでしょう。

話をわかりやすくするため、テーマを絞り込みたいがため、歴史上の有名人でも敢えて登場させなかった人物たちもいます。坂本龍馬や木戸孝允(桂小五郎)などがそうだし、一応登場したけど、ほぼいないかのように描かれた、松平容保公や松平定敬公。容保公に関しては、あまり詳しく描いてしまうと、徳川慶喜公の「負」の部分が強調され過ぎてしまうと考えたのかな、とも思います。慶喜公に感情移入しにくくなってしまうというか。

だからあえて、描かなかったのだろうと。

ドラマですから、それも仕方なかったのかなと、いまでは思っています。ともかくも、慶喜公のイメージが刷新されたというだけでも、十分意義はあった。

昨日の最終回でとても印象的なシーンがあって、それは原敬首相(石丸謙二郎)の暗殺シーンです。ああいうシーンは例えば新聞記事だけで済ませるとか、ナレーションだけで伝える(ナレ死)とか、セリフだけで済ませるとか、やり方は色々あったと思う。だって西郷さんの死もそんな感じで済ませてますからね、原敬みたいに少ししか出ていない人物の暗殺シーンを、なぜわざわざ描いたのだろう?

これは私の妄想ですが、原敬というのは盛岡藩の家老の出自です。盛岡藩は戊辰戦争で、新政府軍に最後まで抵抗し続け、逆賊の汚名を着せられてしまった、そんな藩に出自を持つ。

だから、藩の汚名を雪ぐため、国に尽くす。原敬とはそういう生き方をした人物だと思う。逆賊の汚名を着せられ、それでも、いやだからこそ、国のために尽くした。そんな人々を描いたのが今回のドラマだとするなら、原敬はまさに、そのテーマにそった人物だった。

原敬を演じた石丸謙二郎氏は、その最期のシーンで、笑顔とも泣き顔ともつかない不思議な表情をしています。「やり遂げた、でももっと尽くしたかった」とでも言いたげな、そんな表情。

石丸謙二郎、名バイプレイヤーです。

 

ラストシーン、渋沢栄一の孫、敬三氏が、栄一追悼会で述べたスピーチに、こんな言葉がありました。

「棒ほど願って針ほど叶う」

栄一の人生を評した言葉でしたが、ああ、人生って、そんなもんだよなあって、妙に納得してしまいました。

そこに嫌な感じはないし、哀しみも感じない。むしろ笑ってしまう。妙に納得してしまう。

人生ってそんなもの、でもそれで

いいんだよ。

 

良いドラマでした。

コメント (2)
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