昔、とある新興宗教団体の教祖さんは、自分が「神」であると自称していたそうな。
だから、信者さんたちには、教祖さん自身を拝ませていたそうですよ。信者さんたちは、その教祖さんが鎮座増しますところへ向かって、一生懸命祝詞を奏上したそうな。
「神」とは、祈られる、拝まれる存在だから、ということなのでしょうな。
なんと言っていいのやら......。
さて、戦前の天皇は「神」だったが、戦後「人間」になった。とか言う方々おりますな。いわゆる天皇の「人間宣言」と言われる奴です。
でもそのいわゆる「人間宣言」には、どこにも
【「神」を辞めて「人間」になる】
などとは書かれていないそうですな。私は読んだことないですけど。
書かれていることは、朕(天皇)と国民との関係性は、お互いの信頼と敬愛によるものであって、「神話」や「伝説」のみで成り立っているのではない。という意味のことなのだそうな。
この「神話」や「伝説」のみで成り立っているのではない、というところを切り取って、「天皇は神格を否定した」だの「天皇は人間になった」だの言っているようです。
どこをどう読めば、「人間宣言」になるのでしょうね。むちゃくちゃな話です。
天皇は常に民を思い。民のために「祈る」存在だった。民はそんな天皇を敬愛し守ってきた。それが2000年以上に亘って続いてきた、天皇と国民との関係性であり、民は天皇そのものを「神」として崇めてきたわけではなく、民のために「神」に祈り続ける天皇に「神聖性」を見出してきた。
天皇というのは、神武天皇の昔から「人」でありました。神武帝の祖父にあたられる天孫ニニギノミコトは、地上に降臨した後、国津神オオヤマツミの娘、コノハナサクヤヒメを妻としますが、その姉であるイワナガヒメを、好みでないと送り返してしまった。イワナガヒメも妻に迎え入れていたならば、ミコトの命は岩の如くに永遠であったろうに、コノハナサクヤヒメのみを妻としたため、ミコトは花のように儚く散る短い寿命を持つ「人間」となったのです。
だからそのニニギノミコトの孫にあたられる神武天皇は、生まれた時からすでに「人間」だったのですよ。
記紀神話の段階から、天皇は「人間」なのです。だから
わざわざ「人間宣言」などする必要などない。天皇は太古の昔からずっとずっと、ずーっと、
「人間」でした。
もし天皇を「神」だと思っていたというのなら、冒頭に記述したような、天皇そのものを「神」として祀る、拝む、そのような儀式なり習俗なりがあってしかるべきだし、今上天皇をお祀りする神社があってしかるべきなはず。
でも、そのようなものは一切ありません。
天皇はあくまでも「祈る」御存在。初代から今上陛下に至るまで、「拝まれる」存在であったことは
一度もない。
天皇は最初から
「人間」。
ただ日本人は、そんな風に民のために祈り続けておられる天皇に、ある種の「神聖性」を見出した。天皇の中に、「神」の如きものを見ていた。ということは言えると思う。
祈られる天皇の中に、神の顕現を見た。
天皇はあくまで「人間」、ただその「人間」天皇の中に、神の現れをみた。
人の中に顕現する神。人の中に現れる神。
それを称して
「現人神」と言ったのでしょう。
現人神は「人間」です。人間の中に、神の顕現をみたのです。決して「神」そのものではない。
天皇は昔からずっと「人間」でした。天皇そのものが「神」であったことは一度もない。
だから、昭和天皇がわざわざ「人間宣言」などするわけがないのです。
天皇は民のために祈り。民はそんな天皇を敬愛し守ってきた。この美しい関係性が2000年以上も続いてきた。日本はそういう国。
以上、ほぼ竹田恒泰先生からの受け売りでした(笑)