問わず語りの...

流れに任せて

天皇は「祈る」ご存在

2021-12-28 14:29:18 | 歴史、民俗

昔、とある新興宗教団体の教祖さんは、自分が「神」であると自称していたそうな。

だから、信者さんたちには、教祖さん自身を拝ませていたそうですよ。信者さんたちは、その教祖さんが鎮座増しますところへ向かって、一生懸命祝詞を奏上したそうな。

「神」とは、祈られる、拝まれる存在だから、ということなのでしょうな。

なんと言っていいのやら......。

 

さて、戦前の天皇は「神」だったが、戦後「人間」になった。とか言う方々おりますな。いわゆる天皇の「人間宣言」と言われる奴です。

でもそのいわゆる「人間宣言」には、どこにも

【「神」を辞めて「人間」になる】

などとは書かれていないそうですな。私は読んだことないですけど。

書かれていることは、朕(天皇)と国民との関係性は、お互いの信頼と敬愛によるものであって、「神話」や「伝説」のみで成り立っているのではない。という意味のことなのだそうな。

この「神話」や「伝説」のみで成り立っているのではない、というところを切り取って、「天皇は神格を否定した」だの「天皇は人間になった」だの言っているようです。

どこをどう読めば、「人間宣言」になるのでしょうね。むちゃくちゃな話です。

 

天皇は常に民を思い。民のために「祈る」存在だった。民はそんな天皇を敬愛し守ってきた。それが2000年以上に亘って続いてきた、天皇と国民との関係性であり、民は天皇そのものを「神」として崇めてきたわけではなく、民のために「神」に祈り続ける天皇に「神聖性」を見出してきた。

天皇というのは、神武天皇の昔から「人」でありました。神武帝の祖父にあたられる天孫ニニギノミコトは、地上に降臨した後、国津神オオヤマツミの娘、コノハナサクヤヒメを妻としますが、その姉であるイワナガヒメを、好みでないと送り返してしまった。イワナガヒメも妻に迎え入れていたならば、ミコトの命は岩の如くに永遠であったろうに、コノハナサクヤヒメのみを妻としたため、ミコトは花のように儚く散る短い寿命を持つ「人間」となったのです。

だからそのニニギノミコトの孫にあたられる神武天皇は、生まれた時からすでに「人間」だったのですよ。

記紀神話の段階から、天皇は「人間」なのです。だから

わざわざ「人間宣言」などする必要などない。天皇は太古の昔からずっとずっと、ずーっと、

「人間」でした。

 

もし天皇を「神」だと思っていたというのなら、冒頭に記述したような、天皇そのものを「神」として祀る、拝む、そのような儀式なり習俗なりがあってしかるべきだし、今上天皇をお祀りする神社があってしかるべきなはず。

でも、そのようなものは一切ありません。

天皇はあくまでも「祈る」御存在。初代から今上陛下に至るまで、「拝まれる」存在であったことは

一度もない。

天皇は最初から

「人間」。

 

ただ日本人は、そんな風に民のために祈り続けておられる天皇に、ある種の「神聖性」を見出した。天皇の中に、「神」の如きものを見ていた。ということは言えると思う。

 

祈られる天皇の中に、神の顕現を見た。

天皇はあくまで「人間」、ただその「人間」天皇の中に、神の現れをみた。

人の中に顕現する神。人の中に現れる神。

それを称して

「現人神」と言ったのでしょう。

現人神は「人間」です。人間の中に、神の顕現をみたのです。決して「神」そのものではない。

天皇は昔からずっと「人間」でした。天皇そのものが「神」であったことは一度もない。

だから、昭和天皇がわざわざ「人間宣言」などするわけがないのです。

 

 

天皇は民のために祈り。民はそんな天皇を敬愛し守ってきた。この美しい関係性が2000年以上も続いてきた。日本はそういう国。

 

以上、ほぼ竹田恒泰先生からの受け売りでした(笑)

 

コメント (4)
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