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大佛次郎「猫のいる日々」

 大佛次郎(おさらぎじろう)の作品を読むのは、「猫のいる日々」がはじめてである。時代小説をたくさん書いている作家だから、この猫に関する随筆集は、彼の作品の中ではあまり代表的なものではないかもしれない。ネット書店のアマゾンで、内田百の「ノラや」を検索していたら、同じ猫本として紹介されたので、すぐに注文してしまった。
 大佛次郎は、無類の猫好きで、彼の家には常時10匹以上、最大15匹の猫が住んでいた。累計すると、彼の家に住んだ猫は500匹を超えるという。最大値の15という数は、大佛家のキャパシティーの限度であるらしい。食事の時間には、15匹の猫たちが一列に並んで、それぞれの皿からご飯を食べるというから、想像すると、猫の大整列に圧倒されそうである。
 そのほとんどの猫たちが、捨てられたり、通ってきて居ついた猫で、足が不自由な猫や、人間の虐待を受けて目が見えなくなった猫まで面倒を見ていたというから、大佛次郎は実に偉大な人である。この本を読んでいると、うちには一匹しかいないことが申し訳ないような気がしてきて、この前の旅行の帰りに、岸和田のサービスエリアで出会った子猫も、連れて帰ってやればよかったかな、などと思ってしまう。
 「猫のいる日々」は六十篇近くの随筆と、小説一篇、童話四篇から構成されている。
 随筆は、大佛次郎と猫との関わりや、彼の猫観がよくわかってなかなか興味深い。ただ、昭和のはじめから書かれた年代順に並んでいるのだけれど、最初の方の作品に比べると、昭和四十年くらいからあと、年齢にして六十代後半以降に書かれた作品は、主題が猫とはほとんど関係ないものも多いし、内容も少し見劣りするように思った。
 童話は、楽しいものや、しみじみとしたものがあるけれど、どれにも共通して言えることは、子猫の仕草や行動に、とてもリアリティーがあることである。さすが、500匹の猫と過ごしただけあって、猫に対する観察眼は常人のものではないのだろう。読んでいて、「そうそう」と何度も内心にやりとし、思わず膝を叩きたくなってしまう。
 その中で、子猫が秋の虫の「スイッチョ」を飲み込んでしまう「スイッチョねこ」という童話は、大佛次郎自身が、自著の中で一番の傑作だと言い、この「スイッチョねこ」だけが、書いたのではなく生まれてきたのだ、と評するように、取り立ててダイナミックなストーリー展開はないけれど、ねこを愛する彼の心からぽっと自然に生まれでたような、しみじみと味わい深い作品である。


猫のいる日々 (徳間文庫)
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