ずっと昔、
今から30年ほど前に観た映画
「おろしや国酔夢譚」
で緒形拳さんが主人公を演じた
三重県鈴鹿市出身の
「大黒屋光太夫」を訪ねて
1782年、江戸時代に「神昌丸」で白子浦を出帆した「大黒屋光太夫」他16名は、駿河沖で暴風雨に遭遇し漂流、9カ月後に北の果てカムチャッカに漂着する…生き残ったわずか6名の日本人…帰国を望むも「大黒屋光太夫」は、運命に流され、オホーツク、ヤクーツク、イルクーツクと厳しい寒さと戦いながらシベリアを転々とする
生き残ったわずか6名の日本人のうちの一人、凍傷で片足切断した庄蔵は日系ロシア人と出会いキリシタンとなり帰化、もう一人若い新蔵はロシア女と恋仲になり別れることに…
一方、光太夫は、エカテリーナ二世への直訴を決意、首都ペテルブルグに向かう…ラクスマンらの協力を得て、ついに光太夫の熱い想いは女帝の心に通じ、ラクスマンを通じ連日修好使節となって、オホーツクの海を出発、光太夫、小市、磯吉わずか3人となったが、1792年、実に9年9カ月ぶりに、根室へ着く…
日露交渉によって、ついに日本側に引き渡され、奇跡的に…奇跡的に帰国を果たした
そんな大黒屋光太夫を訪ねて…
まずは、
「大黒屋光太夫記念館」へと…
このイラストが、大黒屋光太夫さんでしょうか???なんか、ロシア人ぽい感じですが…
さてさて大黒屋光太夫さん、いました!いました!!
な、なんとマスクをして…
風通しのよさそうな建物の前ですが…カンセン(感染)に気を付けて…
今は、カンセン(感染)に気をつけて
当時は、ハンセン(帆船)で気をつけて、航海してたんだと思うけど…
さてさて、館内はワンフロア…滞在時間20分ほど??でしょうか…
興味のある人は、もっといられると思うけど、興味のない人は、5分で飽きちゃうかも…
私は、映画「おろしや国酔夢譚」をみているので、20分ほどは楽しめました…
大黒屋光太夫さん帰郷時の文書、大黒屋光太夫さんが書かれたロシア語のレプリカも多々あって…
小さな模型の「神昌丸」も!!
そうそう…館内写真撮影禁止でありました…
さて、「大黒屋光太夫記念館」から若松小学校沿いに歩くと
鈴鹿市立若松公民館(鈴鹿市若松地区市民センター)があって
その敷地内に
開国曙光と刻まれた大黒屋光太夫顕彰碑がありました…
最初、隣にあるこの立派な塔が、大黒屋光太夫顕彰碑じゃないかと、近づくまでは勘違いしてました…なんせ、勤労感謝の日のような眼…???ですからね…
(近眼と老眼で「近老感謝の…」…汗)
その後は健康のために歩いて…歩いて…なんせ、新型コロナウイルスのせいで、私のお腹廻りの緊急事態宣言は、なかなか解除されませんからね…
歩いて、千代崎港緑地公園の方まで…
というのは、そちらの方に大黒屋光太夫供養碑があると案内されていたので…
徒歩でとほとほと…
この潮の香り…ああこの匂いを大黒屋光太夫も感じていたんだろうなと無理無理、古に想いを馳せながら…徒歩でとほとほと…
おお、案内板をみっけ!!
ちなみに、大黒屋光太夫記念館も誰もいませんでしたし、こうして大黒屋光太夫を巡る観光客らしき人、誰一人として、すれ違いませんでしたけど…日曜日なのにな…
案内看板があって
ここには大黒屋光太夫供養碑が…
もちろん、お会いしたことのない人ですけど…手を合わせる!!
俗名、光太夫供養碑に刻まれている…
大黒屋光太夫が行方不明になってから2年後に建立されたものであるらしい…これが建立された頃は、もちろん大黒屋光太夫さん、北の極寒の地で生きていた訳で…
左側には「六地蔵」さまが…ずらーッと、濃厚接触
その後は、千代崎港緑地公園へと
大黒屋光太夫の頃は、こんなふうには整備されていなかったことと思う…
千代崎港緑地公園のモニュメント…
クジラの頭が…
この角度でみるとクジラだと分かるけど
この角度はラッキョウにしかみえない…
この角度だと…亀山ローソク???
そんな千代崎港緑地公園には
奥に壁画が描かれていまして
ここに立ち寄っただけで、大黒屋光太夫さんのことがよーくわかっちゃう!!大黒屋光太夫さんのウンチクがわかる…素晴らしい壁画でして…日曜日だから、もっと人で賑わっていてもおかしくないと思うんですが…やはり誰もいませんが…
ここからは、この壁画を眺めるだけで大黒屋光太夫さんのことについて熱く語れる…熱く語りたくなる…そんな壁画をどどっと紹介!!
ここからスタート、想像以上に壁画が傷んでますなあ…
早くこないと読めなくなる日も、そう遠くはないかも…
松の木が邪魔です!!
いやあ、「おろしや国酔夢譚」の映画の世界が蘇る
すばらしい壁画(へきが)でした!!
まさに…これぞB級スポット!B級スポット!!!
私、こんなのに喜ぶ癖が(へきが)…苦笑