「尾張旭は城でもつ」???
なんか、どこか違う気がしますが…
そんな尾張旭市にある城址
井田城跡にいこう!!
あ、「いこう」といっても「いこう(遺構)」はなくて
そこは、「八反田公園」になってまして…
城址と言っても、公園としてきれいに区画整備されてて、遺構(いこう)も全くないので、フツーだと「いこう」と言った気になれないでしょうが…
私、城址マニア&B級スポットマニアなので…(笑)
私の意向(いこう)は、いこう!!(行こう!)
井田城跡の石碑が、「八反田公園」のど真ん中に堂々とありました…
もう…石碑をみただけで、「井田い」…もとい…「偉大」な城だったんだろうなってことが伝わってきます…
井田城址の石碑の裏側には、井田城の由来が
まあ、この説明看板の方が、図入りで、若干、わかりやすいけど
井田八幡社の社伝によれば、1390~93年に浅井玄蕃が居城したそうで、浅井氏の詳細は不明ですが、「古城主覚書」という資料には井田城主について、浅井源四郎、浅井与九郎、後に戦国期には林三郎兵衛正俊が居城していたという記録があるようで…
石碑を側面から…ここの土の盛り上がりは、昔の名残でしょうか…
長いあ井田…もとい…長い間、いろいろな城主が居城していたようで…
公園に整理されたときでも、切られずに残っている樹木に、若干の古の風を感じながら…
この「八反田公園」が井田城だったようです…
明徳年間(1390~93年のあ井田)に浅井玄蕃充が築き
文明年間(1469~87年のあ井田)は浅井与九郎が城主
その後の戦国期は林三郎兵衛正俊が居城と
おそらく、その中には、た井田(怠惰)な家臣もいたことでしょう!
才能がみ井田された…もとい…見い出された家臣もいたことでしょう…
城主は…おそらく、姫も囲ってて…あ井田(愛だ)の、こ井田(恋だ)の歴史と同様、ロマンスがこの地で繰り広げられていたことでしょう!!??
宴も…せ井田いに…もとい…盛大に行われていたことでしょう…
その姫がぬ井田ら(脱いだら)
と…誰もいない雨の降る公園で…汗…妄想に浸る…
妄想城址マニアの私…だったのでした…