ようこそ西千葉へ アミーゴ.

ゴールは88歳。誰も教えてくれない12年。主役は自分だ。昨日はもう来ない今日を明日をどう生きる。わはははーアミーゴ

昨日の続き

2004年10月31日 | 千葉大学
美容学校を卒業して木更津駅前の佐多美容室に住み込みで勤める。昭和36年4月です。インターン時代、思い出すとなんと楽しいことばかりです。その時代木更津から千葉に行くときは汽車に乗っていきました。汽車賃と食事をして映画を見て500円で足りたと思います。そのときの給料は1500円だと思います。

仕事をしていてつらいという事はまったくありませんでした。2年後千葉駅が現在の場所に移転して駅ビル、ショッピングセンターができ美容室がオープンしたときに入店しました。男性美容師がほとんどいない時代私でも毎日お客様の予約に追われる美容師でした。

昭和39年12月21日現在地に「まこと美容室」をオープン、23歳でした。15歳で新聞配達の仕事をはじめてから8年後です。確か東京オリンピックのあった年だと思います。町も穏やかかでまだ商店街は形成されていませんでした。海岸は埋めたてられ高層住宅が建ち始めていました。西千葉駅が高架駅になったのはいつの事か記憶にありません。

若い男性美容師が夢に燃え一所懸命がんばった3年間でした。貧しく高校にもいけなかった真面目な男が、自分で言うか、ぐらい真面目でした。笑 お金が入り仕事がうまくいくと、次はお決まりの遊びが楽しくなる、どうしようもない男の始まりです。ロングヘアーでひげを生やして遊びに費やした7年間、33歳になってしまいました。

松波町のことなどまったく考えた事などなく、あまり街の様子を思い出せません。美容室もひまになり、スタッフも2人になりどうにもならない経営状態でした。

美容室の名前を「眞土華」と変え経営の転換を図りました。まったく駄目にしてしまった経営状況を変える事は大変な事でした。髪を切りヒゲもそりました。それからの7年間2店あった美容室の経営を改善し、

まどかグループを創り「小さな美容室をグループ化して経営指導をし化粧品の販売を進め、スタッフの待遇改善と経営の改革を図り儲かる美容室作り」全力で走った独身時代のことでした。

小さな美容室がいかにして経営が出来るのか、考え、実行して、結果をだす。問題はひたすら起こってくるが解決する。答えはあまり出ませんでしたが努力を本当にした7年間でした。このときも街のことはまったく考える事はありませんでした。ただどうにかして経営が出来るようになるためにすごした日々でした。

その時西千葉はものすごい勢いで変化をしていたと思いますが残念ながらあまり思い出すような事はありません。過ぎてしまった人生を思い出すとき、この40年間はどんな意味があるのでしょうか、過ぎてしまったことを反省しても始まりませんが、もうちょっと ちゃんと 仕事をやれといいたい。過ぎてしまったことですが、

今、えらそうな事を言っていましたら注意をしてください。町を考えるようになるにはこれから18年後のことです。   40歳でやっと結婚ができ地域通貨ピーナツクラブを知るのは18年後58歳のときです。その事は後日書きます。  読んでいただいている皆様へ西千葉のことを書くのはまだまだ先の事です。すみません あなたの40年はいかがですか、

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