・人生を なんと急ぎ足で歩いてきたことか、ふと振り返ってそう思うことがあります。ここらあたりで一息ついて「でんでん虫」のように もうゆっくりと歩いていいのじゃないか。それと、新見南吉の「でんでん虫の悲しみ」という童話から この名称に ポッ と明かりがつきました。話はこうです。
ある日、一匹のでんでん虫は、自分の背中に悲しみをいっぱい背負っていることに気づいて友人のでんでん虫に心のうちを話しました。「背負いきれない悲しみのために明日にも死んでしまうのではないか。」すると 友人は「何を言っているんだい。私だってこんなに大きな悲しみを背負っているのではないか」と。合点のゆかないでんでん虫は 次の友人、ほかの友人に同じ悩みを打ち明けました。返ってくる答えは みな同じでした。でんでん虫は はたと気づきました。「そうか、僕だけではないんだ。みんな苦しみや悲しみを背負って人生をおくっているんだ。」でんでん虫は悲しむのをやめました。
「でんでん虫の会」とするところをあえて「貝」としたのは、身を守っている「貝」を「貝」にかけ、ふれあいの仲間の心をひとつにして しっかりと守ってゆきたいという意図から「貝」としてみました。「本間なおや作」
70歳から始まる海保まことの人生「何を目指して生きるのかを」と、考え悩んでいるときに「友人の本間さん」から 海保の胸にドンと来る「でんでん虫」のことばをおくられました。 でんでん虫 でんでん虫 でんでん虫 だじづでど ダジヅデド だんだん じんじん づんづん でんでん づんづん と声が聞こえてきました。 まだ確かな答えは出ていません。 これからの10年 海保まことに何が出来るのかと こころに問うています。 海保まこと
追伸 3月31日 70歳を迎えるその日には、計画が発表できることを願っています。
・・・tomiyaさんへ コメントありがとうございます。 ママさんから紹介された出会い。嬉しかったです。 人がつながる人のご縁に感謝しています。「唐揚げ定食」が呼んでいますよ。又 会えることを、 カラオケの熱唱が聞けるかな「このことはなんともお答えできません」グスン 可能性はありかも 海保まこと
ある日、一匹のでんでん虫は、自分の背中に悲しみをいっぱい背負っていることに気づいて友人のでんでん虫に心のうちを話しました。「背負いきれない悲しみのために明日にも死んでしまうのではないか。」すると 友人は「何を言っているんだい。私だってこんなに大きな悲しみを背負っているのではないか」と。合点のゆかないでんでん虫は 次の友人、ほかの友人に同じ悩みを打ち明けました。返ってくる答えは みな同じでした。でんでん虫は はたと気づきました。「そうか、僕だけではないんだ。みんな苦しみや悲しみを背負って人生をおくっているんだ。」でんでん虫は悲しむのをやめました。
「でんでん虫の会」とするところをあえて「貝」としたのは、身を守っている「貝」を「貝」にかけ、ふれあいの仲間の心をひとつにして しっかりと守ってゆきたいという意図から「貝」としてみました。「本間なおや作」
70歳から始まる海保まことの人生「何を目指して生きるのかを」と、考え悩んでいるときに「友人の本間さん」から 海保の胸にドンと来る「でんでん虫」のことばをおくられました。 でんでん虫 でんでん虫 でんでん虫 だじづでど ダジヅデド だんだん じんじん づんづん でんでん づんづん と声が聞こえてきました。 まだ確かな答えは出ていません。 これからの10年 海保まことに何が出来るのかと こころに問うています。 海保まこと
追伸 3月31日 70歳を迎えるその日には、計画が発表できることを願っています。
・・・tomiyaさんへ コメントありがとうございます。 ママさんから紹介された出会い。嬉しかったです。 人がつながる人のご縁に感謝しています。「唐揚げ定食」が呼んでいますよ。又 会えることを、 カラオケの熱唱が聞けるかな「このことはなんともお答えできません」グスン 可能性はありかも 海保まこと