日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

鵞目山本光寺(富士宮市黒田)

2017-05-10 11:11:21 | 旅行
身延への道も少しずつ辿っていまして・・・


文永11(1274)年5月12日にお泊りになった小田原・酒匂の法船寺


5月13日にお立ち寄りになった小田原・風祭の象ケ鼻


5月13日にお泊りになった足柄・竹之下の常唱院


5月14日にお泊りになった裾野・深良の車返し
日蓮聖人はそれぞれの地で逸話を残され、信仰の拠点を作り、それが743年後の今日まで引き継がれています。


今回訪問させて頂いたのは5月15日にお泊りになった富士宮のご霊跡です。
富士宮市には日蓮宗の寺院がたくさんあり、信仰の篤い地域というのがわかります。
道路脇には石仏とか


法塔がよく見られます。


この辺りは
「黒田」という地名なんですね!


本光寺の石柱がありますね~!


古そうな法塔も!
台座の彫刻がキレイ!


本光寺です。
全体的にグレーがベースの、なかなか渋い外観!


山門です。
屋根の部分がとっても立派!


日蓮聖人がご宿泊された地で間違いなさそうです。


山号は「鵞目山」(がもくさん)です。

「鵞目」ってなに??
調べてみたら、貨幣(お金)のようです。
ほら、昔の貨幣って真ん中に穴が開いていて(今の5円、50円もそうだけど)鳥の目に似てるでしょ?そこからお金の別称として「鵞目」という単語が昔は使われていたようです。


5月15日の夕方になっても宿が見つからず難儀していたところ、この地に住む遠藤左衛門夫妻が日蓮聖人に柏餅や麦酒を供養し、さらに「鵞目」(お布施ですよね!)も差し上げたのが、山号の由来のようです。
その時点では恐らく、日蓮聖人だとは知らず、宿に困っているお坊さんを助けようとしたのだと思います。

今でも5月15日には柏談義会という法要を行い、柏餅を供養しているそうです!


本堂です。
存在感のある、重厚な印象です。


日蓮聖人像に手を合わせました。
まだ新しそうな銅像です。


一昨年建てられたんだ~!
建立おめでとうございます!!


数々の辛苦を乗り越えた上での、年輪みたいな雰囲気が良く出ている銅像です。
拝んでいて落ち着きます。


境内にイチョウの木があります。(もう数代目なのでしょう)
「本光寺の公孫樹」と書かれていました。
日蓮聖人はこの公孫樹の下で休憩していた時に遠藤左衛門夫妻と出会ったようです。
結縁の公孫樹ですね!


お、これは僕好みの方形屋根!


扁額には「出乳霊場」!出乳は「すいにゅう」と読むようです。
遠藤左衛門夫妻と話をするうち、奥様の乳の出が悪く困っているというのを聞いた日蓮聖人は、妙符を与えご祈祷されたところ、たちまち乳が出るようになったそうです。
喜んだ遠藤左衛門夫妻は、その晩日蓮聖人を自宅にお泊めしたそうですよ。
ちなみに妙符は、飲むお札のことだと思います。護符、みたいなものでしょう。


のちに遠藤左衛門夫妻の子が日蓮聖人のお弟子になり、本光院日静という法名を頂いたそうです。
この方がお寺を建立し、本光寺になったようです。

産前産後のお母さん達がお参りに来たらご利益ありそうですよね!


このお寺の紋、イチョウの葉をモチーフにしているんですね!


この日はどんよりとした曇り空で、富士山は見えなかったんですが、こんな法話が掲示されてましたよ!
「富士山は常に天に向かって合掌している姿なのです。世の中の安穏を祈っているのです。」
僕が住む湘南からも、房総からも、身延の奥の院なんかからも富士山が見えますよね。ましてやこの富士宮に住む方々にとっては圧倒的な存在でしょう。

天に合掌している姿、そういう理解もあるんだと思いました。

遠藤左衛門夫妻の時代も、現在も、この地の信仰の篤さの根底には、富士山の存在があるのだと確信しました。
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