日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

要名山常唱院(小山町竹之下)

2017-02-20 16:48:27 | 旅行
金太郎の里、足柄にやってきました!

金太郎は時代が古く、10世紀頃、つまり平安時代に熊と相撲を取っていたことになります。

↑画像は、2017年に初めて訪問した時に写したJR足柄駅前の金太郎像ですが、


↑2023年に再訪してみると、駅舎とともにリニューアルしていました!
髪型は今風に、また熊もずいぶん従順になってます。

いずれにしろ金太郎、今でも足柄ではイケイケのヒーローです!


(↑佐渡から戻られた日蓮聖人が一時住まわれたといわれる鎌倉夷堂跡)
時は下り文永11(1274)年、佐渡流罪をご赦免になった日蓮聖人は、幕府に3回目の諫言をするものの聞き入れられず、5月12日、身延山に向かい旅立たれました。

小田原の酒匂に宿泊したあと、13日は足柄峠を越えました。

お祖師様が歩かれたであろう足柄古道。
一部は今でも農道なのかな、現役で使われてます。


峠の麓に神社がありました。


扁額には「嶽之下(たけのした)神社」とあります。


嶽之下神社の境内からの景色
富士山がめっちゃキレイ!

境内の由緒書きによると、平安時代、金太郎を召し抱えた源頼光が、富士山に向かって浅間の神様を勧請したのがルーツだそうです。
御祭神が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)ですから、嶽之下の「嶽」は富士山なのでしょう。



でも麓に下りてくると「竹の下」なんだよな・・・
ま、漢字はどうあれ、この辺りが「たけのした」で間違いなさそうです。
※このブログでは「竹の下」表記で統一しますね。



鮎沢川(酒匂川の支流)のすぐ近くに、日蓮聖人がお泊りになられたご霊跡があります。



竹の下常唱院です。
本門法華宗が管轄されているご霊跡のようです。



常唱院は石垣の上にあります。階段を上ってゆきます。



本堂です。
普段は無住だそうですが、この日は日蓮聖人身延御入山750年の慶讃法要が行われており、多くのお上人、信徒さんが出入りしていました。



歴代ご住職の御廟を参拝。
750年間、大切なご霊跡を護持してくださった多くの先師達に、心から感謝致します。


酒匂から竹の下までって、けっこう距離があります。
(↑嶽之下神社から竹の下集落を望む)
峠越えを含む30kmもの歩き旅。
酒匂を早朝に出発されたとしても、竹の下に着いた頃には、もうすっかり暗くなっていたことでしょう。


13日の晩に宿を提供してくれたのは、竹の下に住む鈴木繁八さんという方だったそうです。
(↑常唱院本堂の扁額「たけのした」:富木殿御書の御真蹟文字)
52才の日蓮聖人です。疲れきった身体には、どんなにありがたい一泊だったでしょう。



このご一泊を機に、村人が日蓮聖人を慕い、お堂を建立したのが常唱院のルーツです。
山号の要名山は、法華経の肝心要の総名「南無妙法蓮華経」のお山という意味、そのお題目を常に唱える道場だから常唱院だそうですよ。


日蓮聖人は身延御入山の時だけでなく、身延山を下りて常陸の湯に向かわれる際にもお泊まりになられています。
更には御入滅されたあと、宗門の使者が竹の下にやって来て、宿泊されているようですから、ご縁の深さが窺えます。


(↑常唱院駐車場から見える富士山)
富士山の宝永の大噴火などで、常唱院は一時、荒廃していたようです。
しかし御殿場・蓮静寺(本門法華宗)のお上人や、地元の方々の尽力で、少し場所を遷して再興されたのが、現在の常唱院につながっているそうです。



実は、↑2017年に初めて常唱院を訪れた時、正直に言うと、長い間、手が入っていないような印象を受けました。
地元の方に伺うと、常唱院は檀家さんを持たないお寺で、かつ以前は管理者もはっきりしない状態だったそうです。



これを憂い、ある時から沼津の岡宮光長寺(本門法華宗の大本山)の管轄となったといいます。


先代のご住職は、境内の整備に力を尽くされ、現在のキレイな寺容に生まれ変わるきっかけを作りました。

↑今は奥が広い駐車場になっていますが、2017年の時点では、日蓮聖人像の向こう側は藪と廃屋で、とても入れる状態ではありませんでした。
本当に頑張られたのですね・・・。


残念ながら、その先代ご住職は昨年、遷化されたそうです。

身延御入山750年の慶讃法要の今日、本堂に入りきれないほどの参列者を迎えた常唱院を、「先代ご住職にぜひ見せてやりたかった」と、地元で護持に携わっている男性がボソッと呟いたのが印象的でした。


岡宮光長寺の現貫主様が大導師、身延山のお上人が副導師を務められ、慶讃法要は無事終了しました。

本門法華宗の法要は、方便品、寿量品、神力品を唱えるあたりは身延山朝勤の流れに似ていますが、読む調子が微妙に違う部分もあり、なかなか特徴的でした。


(↑常唱院境内から足柄峠を望む)
地元の信徒の方によると、足柄峠の山中には、「不動の滝」という修行の滝があったり、江戸時代に造立された巨大な題目碑の前で唱題会が催されたりと、今も昔も信仰の聖地なのだそうです。
静かに、脈々と、大切なものが継がれているのですね。



境内に立つ日蓮聖人像の表情、以前より柔らかになった気が・・・はずはありませんが、リフレッシュした常唱院に、僕の心もウキウキしちゃった早春の参拝でした!
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