小田原の法船寺に行ってきました。
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私、出身が国府津なもので、遠い昔からこのお寺の存在は知ってました。
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酒匂の国道一号線沿いに、こんな看板が出ているんです。
お寺の名前に「船」がつくんですね!何か船に関する逸話があるのかな?
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日蓮聖人ご遺文「富木殿御書」には、文永11(1274)年5月、日蓮聖人が身延山にお入りになる旅でお泊りになった場所が記されています。
「十二日さかわ(酒匂) 十三日たけのした(竹ノ下) 十四日くるまがえし(車返) 十五日をゝみや(大宮) 十六日なんぶ(南部) 十七日このところ・・・」
この旅で最初の夜を過ごした、「さかわ」のご霊跡が、法船寺です。
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本堂です。
注連縄が張られた、凛とした雰囲気のあるお堂です。
「開山慈功碑」
お寺の開山経緯を刻んだものだと思います。
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この碑文をもとに、法船寺のルーツを辿ってみましょう。
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5月12日、日蓮聖人ご一行は、本来ならば川向こうの小田原宿にお泊りになるはずでしたが、酒匂川の増水で、とても渡れる状態ではありませんでした。
今晩の宿がなく暗闇の中、困り果てていたところ、明るく光る松を見つけました。
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松の傍らのお宅から、老人が出てきて手招きするので行ってみると、そこは飯山入道という、お地蔵様を護持する方のお宅でした。
入道ですから、半分出家しているような方なのでしょう。
飯山入道夫妻は快く一夜の宿を提供、日蓮聖人の法話を聴いて信仰を改めました。
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ちなみに、このお宅には老人は住んでおらず、手招きしてくれた老人は、日蓮聖人を助けようとしたお地蔵様の化身であろう、といわれています。
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境内には今も地蔵堂があります。
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その逸話から「御手引き地蔵尊」と呼ばれています。
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(明治時代の酒匂川:新人物往来社編・神奈川県の昭和より引用)
翌13日、飯山入道はご一行を舟で酒匂川の対岸まで送り届けたことから、日蓮聖人はご夫妻にそれぞれ、済度法船居士、蓮慶妙船大姉という法名を授けてくれました。
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「法船寺」という寺名は、これが由来なのでしょうね。
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山号は「済度山」です。
済度とは、困難とか苦難から救ってあげるという仏教用語だそうですが、お地蔵様、飯山入道夫妻の優しさを、よく表現した山号だと思います。
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歴代お上人の御廟に参拝。
鎌倉時代からの気が遠くなりそうな時間、ここ酒匂で法灯を継いでくださった先師達に感謝し、合掌しました。
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このご霊跡に、朗慶上人が開山となり建立されたのが、法船寺ということですね。
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朗慶上人は日朗上人のお弟子さん、東京の荏原中延の出身だそうです。
いつかそちらも歩いてみたいと思います。
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ちなみに暗闇の中、目印となってくれた明るく光る松は、「龍燈の松」と呼ばれていました。
宗門屈指の仏師・日法上人が、この松材にお祖師様のお姿を刻み、このお像は法船寺にお祀りされているようです。
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地蔵堂の前に建立されている日蓮聖人像です。
ご入山の旅をされた当時のお祖師様を想像して、造立されたものと思われます。
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お顔を拝見すると、目元、口元などに、老いを感じます。
文永11(1274)年5月というと日蓮聖人52才。今とは寿命が違う時代の52才でしょうが、それを差し引いてもお疲れに見えます。
つい2か月前まで佐渡におられたのですからね、体力、気力も限界に近かったのかもしれません。
どんなお気持ちで身延までの道を歩まれたのか、思いを巡らしながら、法船寺をあとにしました。
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そうそう、ちょっとミニですが、めちゃめちゃ立派な五重の塔がありました!
木造で瓦も本物!全部に紋が入っています。
1300人からの浄財で建てられたそうですよ。
こんな身近なところに、こんな立派な霊跡が…もっと早く来ていれば良かったな~