佐渡海峡に面した沿岸に、「赤泊(あかどまり)」という町があります。
佐渡金山が隆盛した江戸時代には、佐渡奉行が乗る船や北前船が入港するなど、古くから港町として栄えてきました。
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この赤泊のすぐ近く、真浦という場所に「日蓮聖人波題目碑」があります。
1271年10月28日に佐渡に到着して以来2年5ケ月間の、辛く理不尽な配流生活を送った日蓮聖人が、最後の船出をした場所が真浦です。
一説には本土に向け、真野湾の塩屋ケ崎を出航したが風が悪く、真浦で数日間風待ちをしたとも言われています。
県道45号線沿いに、その場所はあります。
すぐ後ろは海、まさにオーシャンフロントのご霊跡です!
ちなみに日蓮堂・日蓮洞窟は道路の向かいにあります。
風を待つため、3月13日の夜は近くの洞窟で、翌14日は招き入れてくれた舟元家で夜を明かしたと言われています。
恐らく日蓮聖人は風が収まるよう、海が静かになるよう、祈念されていたと思われます。
そして3月15日の早朝、海が船を出せる状態に落ち着いたのを確かめ、寺泊に向けて出発したようです。
海上で日蓮聖人が朝日に向かって合掌したところ、海面にお題目の7字が浮かび上がったと伝えられています。
最も歴史のありそうな石碑はこちら
江戸時代、佐渡奉行の方が書かれた文を刻んだ「波題目碑」です。
この碑に刻まれた文字を読みたいのはヤマヤマなんですが、奉行の達筆と、刻字の摩耗でよくわかりません・・・
しかし!
どなたかが碑文を新しい石に刻んで下さっています。感謝!!
内容としては
「日蓮聖人が無事鎌倉に帰着されてから、新月の夜に信心をこらしてここから海上を見ると、波間にお題目の文字が浮かぶ」そうです。この辺りの方が「波題目」と呼んで語り継いできたようですね。
もう一つ、「霊訓碑」もありました。
国府尼御前御書の一節が刻まれています。
「さればつらかりし国なれども そりたるかみをうしろへひかれ すすむあしもかへりぞかし」
「日蓮こいしくをはせば 常に出る日 ゆうべにいづる月ををがませ給へ いつとなく日月にかげをうかぶる身なり」
「南無妙法蓮華経 日蓮 さどの国のこうの尼御前」
本当に理不尽で辛い日々だったでしょうに、それでも島をあとにする今となっては、後ろ髪を引かれる思いだったのでしょう。何より、佐渡は人が温かいもん!
佐渡は幕府にとって都合の悪い人々が、罪人として流されてくる島でした。ところが佐渡の住民達は、彼らを受け容れ、もてなし、彼らから多くのことを学び、吸収するという懐の深さを持っていたのです。
鎌倉幕府にとって超異端の人・日蓮聖人も最初は四面楚歌でしたが、阿仏房を発端としてその援助の輪は広がり、ここ真浦を出航する時には一大勢力になっていたと推測できます。日蓮聖人は援助へのお返しとして、島に「信仰」を残していきました。
ご霊跡の入口には「遠流赦免帰還之聖地」の文字とともに・・・
「第三国諫發軫之霊蹟」の文字。
日蓮聖人とお別れする悲しい場所では決してなく、幕府への三度目の諫暁がここから始まったのだ!というエネルギッシュなご霊跡なのでしょうね!
ちなみに・・・
真浦霊跡のご朱印は、ご霊跡の隅にあるこの小屋にあります!
小屋のカギは開いていて、自分でご朱印を捺すことができます。ご参考に!!