日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

日朗山本光寺(佐渡市宮川)

2018-09-03 20:11:38 | 旅行

1274年3月8日の夕方、日朗上人が命懸けで持ってきた赦免状は、日蓮聖人の手に渡りました!



その場所には「日朗坂」として法塔がお祀りされています。


実はその昔、日朗坂にお寺があったそうです。
しかし付近を流れる小倉川の氾濫で、そのお寺は現在、日朗坂から400mくらいかな、西に行った高台に移転されています。

日朗山本光寺です。
日朗上人の偉業に感謝している山号ですね!



立派な法塔がありますね。



わ~、お祖師様の550遠忌に建てられたんですね!



山門です。
佐渡ご赦免の聖地に、入ってゆきます!



本堂です。
華美ではないけど存在感のある、そんなお堂です。


本堂横に・・・ありました! 

赦免石(しゃめんせき)です。
日朗上人から手渡された赦免状を、この石に腰掛けてご披見されたそうです。
寒く、空腹で、孤独で、なにより理不尽で辛かったこれまでの2年4ヶ月余り・・・日蓮聖人はこの石に腰掛けて何を思われたでしょう。
その気持ちを想像しながら、合掌しました。



袈裟懸けの松です。
大きな仕事を終えた日朗上人と、そして日蓮聖人は、松の木に袈裟を掛け、お互いに労をねぎらったことでしょう。


お寺の縁起によると、このお寺を開いたのは日朗上人のお弟子さん、九老僧の妙音院日行上人だそうです。

このブログで汎用させて頂いている「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも描かれている方です。

日行上人は日蓮聖人苦難の地・佐渡を訪問した際、ここ日朗坂や赦免石を見て去るに忍びず、きちんとご霊跡を残すことを決意しました。
師・日朗上人を開山に仰ぎ、自らは二祖になり、62才で遷化されるまでこのお寺で修行を積んだといいます。


話はちょっと脱線しますが、実は妙音院日行上人のお名前を目にしたとき、鳥肌が立ちました。


小田原にある光秀山浄永寺は、日蓮聖人に帰依した鎌倉武士・風祭大野亮光秀(風祭入道)の屋敷に設けた法華堂がルーツです。


風祭入道は僕の故郷・小田原の風祭の方だといいます。


そして法華堂をお寺にしたのは風祭大野亮光秀の息子、妙音院日行上人まさにその方だったのです。



佐渡の重要なご霊跡を、まさか小田原に縁のある日行上人が開いていたとは・・・そしてこの地で遷化されたとは・・・。
不思議なつながりを感じざるを得ませんでした!



僕が本光寺を訪問したのは午後だったのですが、ちょうどその日は開山会で、午前中に法要があったそうです。
お疲れの中で恐縮だったのですが、本光寺のお上人はとても気さくで、いろんなお話をして下さいました。



島外出身のお上人は、それまで別の仕事をしていたそうですが急にお寺を継ぐ事になり、それから出家して右も左もわからない状態から始め、随分苦労されたそうです。
お寺を維持してゆくことは困難の連続であるけれど、本当に大きな問題にぶち当たった時は、不思議と誰かが助けてくれるとも仰っていました。
日頃の修行と、お上人の人柄の功徳だと思います!


ちなみに今年は日朗上人の699遠忌、来年は700遠忌だそうですよ!
佐渡を旅行する方は、ぜひ日朗山本光寺を訪れてみて下さい。