
昨年訪問した伊豆・川奈
命の危険を顧みず、30日あまりに渡って日蓮聖人を岩屋に匿った船守弥三郎夫妻

船守(蓮慶寺では「舩守」の字を使っていました)姓は、いちばん辛いときに給仕してくれたお礼として、日蓮聖人から頂いたといわれています。
弥三郎夫婦のもともとの姓は、「上之原」でした。

現在は「之」が取れた子孫の「上原」さんが川奈の地に暮らしており、蓮慶寺の境内には上原さんのお墓が沢山あったことを覚えています。
船守、上之原弥三郎公は、中央本線沿線の「上野原」で生まれ、その場所にお寺もあると聞いたので、行ってきました!

相模湖は相模川を堰き止めて作られたダム湖です。
この相模湖の西端あたりに弥三郎公の生誕地はあります。

旧甲州街道沿いには神社仏閣や旧跡がたくさんあります。

お?この杉木立が例のお寺かな?

違った、ここは諏訪神社。でもこの地を歩かせて頂きますね、と参拝。

参拝の御利益か、すぐ隣が目指すお寺でした!
赤い屋根の山門と公孫樹が目印です。

山号は「上原山」です。

蓮慶寺から分骨もされているんですね。
船守弥三郎公を顕彰する民謡もあるんですね!
下の方をよ~く見ると、作詞や作曲とともに「振付」ってあります。どんな踊りなんだろう!?

あと、「船守もなか 植松菓子舗」って、今気付きました。
次回、このあたり通りがかったら立ち寄ってみようっと!

本堂、と思われます。普段ご不在なのかな?
恐らくご本尊がここにお祀りされていると思い、手を合わせました。

あ、こっちにも歌詞が!!
「名物男の弥三郎」って一節、気に入りました。

この唄はどなたかがお寺に奉納したもののようですね!
「船守教会御中」と書かれています。もしかしたら教会がお護りしているご霊跡なのかもしれません。

船守弥三郎公生誕地の石碑です。
川奈・蓮慶寺のお上人の揮毫です。
さきほどの唄の歌詞に「袂を分かち 故郷を」という一節がありましたが、何か大きな決意を持って、この山村から漁村へと旅立ったのでしょう。

そして川奈でお祖師様を助けたというのは、二人の間に何か強い宿縁があったと感じざるを得ません。
そうそう、上野原に向かう途中で、こんな場所を見つけました!

え!?日蓮大橋??
いえいえ、相模湖にかかる日連大橋(ひづれおおはし)です。

この橋の向こう側の集落を「日連(ひづれ)」というようです。
特にお祖師様に関係のある場所ではないようですが、これから弥三郎公のルーツの地に向かう時に偶然見つけたので、不思議な縁を感じました!!