日蓮宗ポータルサイトによると現在、本山は57ヶ寺あるようです。
僕の住む神奈川県に本山は5ヶ寺ありますが、実はまだ行ったことのないお寺が1ケ寺だけありました。

横浜・飯田の本興寺です。
三寒四温の「寒」だった2月16日、念願の訪問を果たしました!

黒い山門ですね。重厚さを感じます。
二つ引き紋が寺紋なんでしょうか。

横浜にあるお寺とは思えない落ち着いた参道です。

古そうな題目法塔。

「開山日什大聖人」と刻まれてます。
日什上人はもともと、比叡山の学頭になるほどの優れた天台僧でしたが、67才の時に開目抄、如説修行鈔を読み、改宗したという、ちょっと興味深い経歴を持っています。
日蓮聖人がご入滅されてから30年以上後に日什上人が生まれたので、直接の面識はないはずです。
しかし日蓮聖人の遺した著作が、他宗の高僧を教化していた事実がわかります。
もともと日蓮聖人の直弟子である天目上人が鎌倉に開いた休息山本興寺を、日什上人が法華山本興寺に改称したのが、このお寺のルーツです。
同じく本山の佐野・妙顕寺は天目上人の開創だと聞いたことがあります。

「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)には、天目上人の姿が描かれています。

休息山本興寺は、鎌倉・小町大路の日蓮聖人が辻説法をしていた場所あたりにあったようです。
しかし江戸時代になり、やまれぬ事情で鎌倉から横浜の飯田に寺の一切を移したそうです。

この場所は、日蓮聖人が池上へ向かう際にご一泊された、瀬谷の妙光寺からわずか数キロの場所です。そして更に日蓮聖人がご入滅後、ご遺骨を身延山にお運びする途中で、ここ飯田にご一泊されたという、ご縁の深い場所なんですね!

赤い仁王門です。

阿形と

吽形

山号は法華山です。

お寺の掲示板には・・・お!拳四郎!!
昨年末の防衛戦KO勝ちは記憶に新しいです。 ・・・で、拳四郎が何で?

トランクスに本興寺のロゴ!
お寺のホームページを見ると、副住職が応援しているそうです!
これからも防衛数を増やしていってほしいものです。

本堂です。

近づいて見ると、見事な彫刻が随所に組み込まれています。
お堂の内部・欄間にはお釈迦様、お祖師様、日什上人それぞれの一代記彫刻があるそうです。いつか拝ませていただきたいものです。

歴代お上人の御廟を参拝。

開山の日什上人から66世のお上人まで刻まれています。
今日まで法灯を継いでくださったことに感謝です。

鐘楼です。早春の空に映えます。

梵鐘にはお寺の縁起の文字があります。
こういうのも鋳型を作って銅とか錫を流し込んで作るんでしょうね。時間と手間がかかってそう。

宝蔵です。
ここには27世・日経上人の「血曼荼羅」などの寺宝が格護されているそうです。
日経上人は理不尽な慶長法難で、耳鼻そぎの惨刑を受けてしまった方として、僕もお名前は聞いたことがありました。ここ本興寺のお上人だったのですね。
少し脱線しますが、この慶長法難があったからこそ、養珠院お萬様は日遠上人が磔刑にされようとしたのを必死で救ったのではないでしょうか。
そう考えると、江戸時代の宗門発展の礎は、本興寺、日経上人にあるように思われてなりません。

お寺には巨木をはじめ緑がたくさん!

少しずつ梅の花がほころび始めました。春はもうすぐ!

そうそう、本興寺を訪問した2月16日はお祖師様のご降誕の日でした。
この大切な日に神奈川県の宗門の拠点を訪れることができて幸せです。