以下感想と妄想。
上田氏のインタビューを読んで「新作は『ICO』と似ていても接点が無いに違いない」と決め付けていた。が、「角」「影」「耳の大きな少女」「似たような紋章の格好」で、やっぱり「『ICO』と『ワンダと巨像』は接点のある物語」と考えざるを得ない。
てか、考えないと納得できない、あのエンディング
あんなに空しさが残るエンディングは初めてだ。
魂を失った少女を甦らせる為に巨像に封じられたドルミンを解放させ、最後には乗っ取られるワンダ。
司祭に封印されそうになる瞬間「mono!」と叫んで人の形を取るワンダ。
でも封印されるワンダ
目覚めた少女の元に足の折れたアグロが近寄り、主人の匂いを辿っているのか封印された水盆のそばによると、角の生えた赤ん坊が。
その赤ん坊を抱える少女を導くように、祠の上にある空中庭園を彼らは安住の地とする。
この赤ん坊が象徴するように、角が生えた子どもはワンダの生まれ変わりなのだと思う。そしてこれ以後、彼を封印した司祭たちの住む村に角の生えた子どもが生まれるようになった。
ではワンダが将来イコになるなら、少女(説明書の声優欄を見るとmono=モノちゃん?)は何なのだろうか。
耳が大きく儚げな姿を見ると、どうもヨルダっぽい。
が、何より共通するのが「魂」。
ワンダによるとモノは「魂が失われた」状態らしい。『ICO』では女王がヨルダを「魂の器」と言っている。
そう、共通点は「魂が無い」。
何故モノに魂は無いのか。それはいけにえとして捧げられたから(とか、言っていなかったっけ?自信ない)
では誰に捧げられたのか。
ここで思い出して欲しいのは、ドルミンの声。
彼の声は、男女の二重音声だった。
もしかしたらドルミンは、天の声が男性だったので「男なのではないか」と勝手に思っていたが、性別というものを超越した存在なのかもしれない。
「少女を守らなければ」というワンダの思いがドルミンの男性性を打ち負かし、以後角の生えた子どもになったとしたら。
残るのは女性性。
この女性性のドルミンこそ後の霧の城の女王、クイーンその人ではないのだろうか。
話は戻るが、モノは誰かによって魂を失われた。その誰かこそ、村で恐れられていたドルミンなのではないだろうか。
そうすればドルミンの女性性とモノの魂は連結しているので、モノが生き返る=ドルミンが生き残っているという図式が出来上がるはず。
ただドルミンの女性性は男性性と比べると弱かったのだと思われる。だからあまり女性の声も聞こえなかった。
しかし彼女は村に生まれた角の生えた子どもを生贄として取り入れることで、元々あった男性性を取り込み、より強い力を手に入れるようになった。
何故こんな変な説を唱えているかというと、どうしても気になる画像があるからだ。
少女の横たわる祭壇に注目
アップで見ると、手のある偶像に見えませんか?
ドルミンの女性性は、実はまだ封じられたままなのかもしれない。
そういう風に考えるならば、『ICO』でヨルダに対しクイーンが「この子は城から離れられない運命にある」と言うのも、ドルミンの女性性自身が封じられているせいで連結したヨルダ=モノも逃れられないという説になる。
そしてイコとクイーンの最終戦、クイーンは玉座に座ったまま戦った。彼女は座ったまま体を貫かれ、城と共に崩れ落ちた。
「この偶像は人間の力では壊せない」とは、ドルミンが冒頭で述べたセリフだ。
しかしイコはドルミンの男性性の力を帯びた、所謂ワンダの生まれ変わりだったから、偶像=玉座ごと破壊してクイーンを倒している。
そして城が崩れてヨルダ=モノも魂が解放され、彼女は浜辺で目覚めた。
そんな考えで古の祠や祭壇を見ると、何となく女王の間や玉座に似ているような……。
ヨルダはクイーンの娘だった。
ドルミンが男性と女性を超えた存在として恐れられていたのなら、娘という形でモノは魂を捧げられたのかもしれない。
ああ、書けば書くほど自分でも説得力があるような気がしてきた!
でも一つ。
もしこの説が本当なら。
……ワンダがただのお馬鹿さんになってしまう!
だから、何となく『ワンダと巨像』→『ICO』で話が繋がっているんだね~ぐらいの曖昧さで考えたほうがいい。
繋がっていないならちょっと切な過ぎる。
上田氏のインタビューを読んで「新作は『ICO』と似ていても接点が無いに違いない」と決め付けていた。が、「角」「影」「耳の大きな少女」「似たような紋章の格好」で、やっぱり「『ICO』と『ワンダと巨像』は接点のある物語」と考えざるを得ない。
てか、考えないと納得できない、あのエンディング
あんなに空しさが残るエンディングは初めてだ。
魂を失った少女を甦らせる為に巨像に封じられたドルミンを解放させ、最後には乗っ取られるワンダ。
司祭に封印されそうになる瞬間「mono!」と叫んで人の形を取るワンダ。
でも封印されるワンダ
目覚めた少女の元に足の折れたアグロが近寄り、主人の匂いを辿っているのか封印された水盆のそばによると、角の生えた赤ん坊が。
その赤ん坊を抱える少女を導くように、祠の上にある空中庭園を彼らは安住の地とする。
この赤ん坊が象徴するように、角が生えた子どもはワンダの生まれ変わりなのだと思う。そしてこれ以後、彼を封印した司祭たちの住む村に角の生えた子どもが生まれるようになった。
ではワンダが将来イコになるなら、少女(説明書の声優欄を見るとmono=モノちゃん?)は何なのだろうか。
耳が大きく儚げな姿を見ると、どうもヨルダっぽい。
が、何より共通するのが「魂」。
ワンダによるとモノは「魂が失われた」状態らしい。『ICO』では女王がヨルダを「魂の器」と言っている。
そう、共通点は「魂が無い」。
何故モノに魂は無いのか。それはいけにえとして捧げられたから(とか、言っていなかったっけ?自信ない)
では誰に捧げられたのか。
ここで思い出して欲しいのは、ドルミンの声。
彼の声は、男女の二重音声だった。
もしかしたらドルミンは、天の声が男性だったので「男なのではないか」と勝手に思っていたが、性別というものを超越した存在なのかもしれない。
「少女を守らなければ」というワンダの思いがドルミンの男性性を打ち負かし、以後角の生えた子どもになったとしたら。
残るのは女性性。
この女性性のドルミンこそ後の霧の城の女王、クイーンその人ではないのだろうか。
話は戻るが、モノは誰かによって魂を失われた。その誰かこそ、村で恐れられていたドルミンなのではないだろうか。
そうすればドルミンの女性性とモノの魂は連結しているので、モノが生き返る=ドルミンが生き残っているという図式が出来上がるはず。
ただドルミンの女性性は男性性と比べると弱かったのだと思われる。だからあまり女性の声も聞こえなかった。
しかし彼女は村に生まれた角の生えた子どもを生贄として取り入れることで、元々あった男性性を取り込み、より強い力を手に入れるようになった。
何故こんな変な説を唱えているかというと、どうしても気になる画像があるからだ。
少女の横たわる祭壇に注目
アップで見ると、手のある偶像に見えませんか?
ドルミンの女性性は、実はまだ封じられたままなのかもしれない。
そういう風に考えるならば、『ICO』でヨルダに対しクイーンが「この子は城から離れられない運命にある」と言うのも、ドルミンの女性性自身が封じられているせいで連結したヨルダ=モノも逃れられないという説になる。
そしてイコとクイーンの最終戦、クイーンは玉座に座ったまま戦った。彼女は座ったまま体を貫かれ、城と共に崩れ落ちた。
「この偶像は人間の力では壊せない」とは、ドルミンが冒頭で述べたセリフだ。
しかしイコはドルミンの男性性の力を帯びた、所謂ワンダの生まれ変わりだったから、偶像=玉座ごと破壊してクイーンを倒している。
そして城が崩れてヨルダ=モノも魂が解放され、彼女は浜辺で目覚めた。
そんな考えで古の祠や祭壇を見ると、何となく女王の間や玉座に似ているような……。
ヨルダはクイーンの娘だった。
ドルミンが男性と女性を超えた存在として恐れられていたのなら、娘という形でモノは魂を捧げられたのかもしれない。
ああ、書けば書くほど自分でも説得力があるような気がしてきた!
でも一つ。
もしこの説が本当なら。
……ワンダがただのお馬鹿さんになってしまう!
だから、何となく『ワンダと巨像』→『ICO』で話が繋がっているんだね~ぐらいの曖昧さで考えたほうがいい。
繋がっていないならちょっと切な過ぎる。